元祖SHINSHINさんのブログ一覧
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「ノルウェイの森」と「縦書きの雨」
やっぱり完全な創作とわかる作品よりも、私小説風の作品が好きだ。 三島由紀夫なら「仮面の告白」、川上弘美だとこれはエッセイに近いけど「Blue
昭和38年にも書いていた村上春樹、きっとその頃14歳
ジャックは由比ヶ浜のホテルのわきから、八月の午後十一時半の、海の波の白い歯嚙みに背を向けて、広い切り通しの砂地の坂を、ひとりで登りだした。
加藤周一の復刻本について、池澤夏樹の解説
ずいぶん正面切ったタイトルの本だ、とまず思う。文学とは何か、という問いに答える本としてぼくたちは他に石川淳の『文学大概』や吉田健一の『文学の楽しみ』、丸谷才一の『文学のレッスン』などを持っているけれど
村上春樹ストリップショー その3 ~倫理観~
── 物語という人間の持ったものは言語そのものと密接につながっていて、 言語を持った瞬間にまで物語に至る道筋がたどれるとしたら、 それは要するに、「非近代」という色が濃くなりますね。 村上
芥川賞選評 ~山田詠美の怒り~
今回の芥川賞選評は、かなり難航したらしい。相変わらず、受賞作そのものよりも、その選評の方がずっとオモロイ。受賞作は、柴崎有香「春の庭」。
「光」 三浦しをん ~オイラが五右衛門になった瞬間~
(略)島じゅうの山に咲きほこっていた、不吉な赤い花。どうかしていると思った。そんな名前を娘につける信之も、獣のように輔(たすく)のまえに這いつくばっている女も。
村上春樹ストリップショー その2
村上 (略)だから僕が伝えたかったのは、カーネル・サンダースみたいのなものは、 実在するんだということなんです。 彼は必要に応じて、どこからともなくあなたの前にすっと出てくるんだ、ということ。
「かつて・・・」ドストエフスキーと呼ばれた男
フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー(1821~81年)は、キリスト教作家だという評価が定まっている。特に、『カラマーゾフの兄弟』は、人々を信仰に誘う書だという解釈がされることが多いが、筆者は
村上春樹ストリップショー その1
別にオイラから、脱いでくれっていったわけじゃない。彼の方から、勝手に脱ぎ始めてしまったんだ。 件の「1Q84」事件以来、オイラは三島由紀夫の「仮面の告白」的な情感を、彼に対して抱くようになっていた。
「A love song」と、代行の女性ドライバーとの関係
行きつけなスナック・カスタムからの帰り道だった。いつものように、代行「湘南ドライバーズ」を呼んでの帰宅道。今日のドライバーは、かつても一緒になったことのある女性ドライバーだった。
「あしながのサルヴァドール」
たった数回聴いただけで、魅了されてしまう楽曲ばかりなようだ。「色彩のヴルース」の入ったCDをショップで探すと、今はベスト盤でしか入手できないという。
7/27 鵠沼公民館にてヌエが鳴いた日
かつて一度だって個人情報を提供した覚えのない、衆議院・あべともこから郵送物が届くようになってから、もうどのくらい経つだろう。
「こころの読書教室」 河合隼雄
村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』では、ふとある日、パッと奥さんがいなくなるんですね。これは現代という状況をピッタリ描いていて、すごいと思います。
「修羅場の極意」 佐藤勝
佐藤:巻き込まれないように注意する──というのは修羅場を作らない重要なポイントだけど、 僕の場合は、巻き込まないように気を付けています。
弁天小僧と江ノ島と1984年の話
そういえば、かつては存在していたマエストロ掲示板で、なぜだか急に思い立って、弁天小僧の見得を切ったことがあったなぁ。こういう小さいけれど不思議な偶然の積み重ねが、彼の意識を少しずつ、むしばむように支配
これはたまらん「東大で文学を学ぶ」
小説を書くという行為は、きっと知的な総合格闘技なのに違いないと思ってきたが、東大で実際に講義されたという、この書籍で述べられている文学部テキストの内容も、まさに文学の総合格闘技と言える内容のものであっ
これはたまらん「色彩のブルース」
職場のユーセンで流れていて一発で気に入っていた。誰が歌っているのか、ずっとわからなかった曲だ。やっと発見した。 Ego-Wrapping’ の曲で、「Neon Sign
石原慎太郎「星と舵」に対する三島批評
この頃の江藤さんの文芸時評に関連して、思い出したことがある。この連載の第六回で紹介したように、六十五年一月号と二月号に分載した石原慎太郎の長編小説「星と舵」について江藤さんは「才能の浪費の好例」として
「パンドラの箱」 エゴ・ラッピン
「やられたら、やり返す」という因果関係を、何とか1つ1つ終結させたいものです。これが個人でも国家でも因果法則が生きているのです。それはもう重力のような、お手上げするしかない完璧な磁気法則により因果の糸
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