ジャックは由比ヶ浜のホテルのわきから、八月の午後十一時半の、
海の波の白い歯嚙みに背を向けて、広い切り通しの砂地の坂を、ひとりで登りだした。
彼は東京から何とかここまでヒッチ・ハイクで来たのである。
そのために江ノ島電鉄稲村ヶ崎駅での、ピータアやハイミナーラやキー子との、
待ち合わせの時刻にはずいぶん遅れた上、あらぬところでトラックから下ろされたが、
こちらからも会場へ行く道はひらけている。
ただずっと迂路になっていて、道のりが遠いだけである。
ピータアたちはとっくに彼を見限って、会場へ直行しているはずである。
ジャックは二十二歳で、透明な結晶体だった。
自分を透明人間にしてしまおう、とつねづね思っていた。
英語が得意で、アルバイトにSFの翻訳をしていて、自殺未遂の経験があり、
痩せて、美しい白い象牙づくりの顔をしていた。
どんなに殴ったって、反応を示しそうもない顔だから、誰も殴りはしなかった。
「あいつに向って、ぴゅっと駆け出していってぶつかったらよ、
知らない間にあいつの体を通り抜けちゃってるような気がするぜ、ほんと」
とモダン・ジャズの店に来ていた一人がジャックを評した。
──両側から切通しの崖が大きく迫り、空には星の数は少なく、登るにつれて、
背後の波の轟きと、有料道路の車のひびきが遠ざかると、濃厚な闇がすべてになった。
ゴム草履のあらわな足の甲を砂が流れた。
闇がどこかで結ばれちゃってる、とジャックは思っていた。
闇の大きな袋の口が結ばれ、小さな袋を併呑していた。
そのあるかなきかの小さな綻びが星で、ほかに光の綻びは一つもなかった。
(略)
昭和三十八年一月 『世界』
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「である」なんて、村上春樹は書かないだろうというあなた、
これは彼が14歳の頃に書いたものだとすれば、
ありえる文章なのではないか?
会話文やら、「闇がどこかでむすばれちゃってる」なんて言い回し、
彼なら書く可能性があるでしょう?
この短編には、そういった村上春樹の文体を彷彿とさせるような表現が散りばめられている。
この後もう少し読んでいくと、
「砂糖壺の中へ滑り落ちてゆく蠅みたいな感じがした」
なんて、村上春樹そのものみたいな表現もちゃんとある。
実はこれ、村上春樹が14歳だった頃、油の乗り切っていた38歳の某作家による文章だ。
(因みに、オイラはまだあの世にいる頃の話だけど、ゴホゴホッ)
★「真夏の死」
三島由紀夫著 新潮文庫 S45.7.15.発行 H23.9.25.五十六刷
「葡萄パン」P.304~305より抜粋
この書籍は、三島による十三編からなる短編集だ。
自身の解説によると、それぞれ趣向を凝らした実験小説の意味合いが強いものだという。
なので、作品ごとに文体もほとんど異なっている。
また、「春子」という作品は、レズビアン小説の走りと目されているものだという。
ところで村上春樹自身は、
川端康成だけでなく三島由紀夫の文体もあまり好きではないと言っていた。
しかし、前々から思っていたのだが、
「葡萄パン」だけでなく、「仮面の告白」や「音楽」にしても、
オモロイだけでなく、どこか村上春樹の息吹のようなものを感じる。
スペイン酒場で出会った元作家の森さんにこの話をすると、
「嫌い嫌いも好きなうちって言うからね、若い頃に読んで、盗んでるのかも知れないね」
などと言うのであった。
真偽の程は定かではないけれど、
別の見方をすると、三島由紀夫は村上春樹の文体にニアミスしていた、とも言える。
世界も不思議だけれども、文学も不思議なのであった。
PS:ひょっとしたらこの話、とっくに有名だったのかも・・・・・・。