ずいぶん正面切ったタイトルの本だ、とまず思う。
文学とは何か、という問いに答える本としてぼくたちは他に
石川淳の『文学大概』や吉田健一の『文学の楽しみ』、
丸谷才一の『文学のレッスン』などを持っているけれど、
この加藤周一の本がいちばん果敢である。
それは執筆した時の年齢によるのかもしれない。
石川淳が『文学大概』を書いたのは四十三歳、
吉田健一の『文学の楽しみ』は五十五歳、
丸谷才一の『文学のレッスン』は八十五歳の時だが、
『文学とは何か』を書いた時に加藤周一は三十一歳だった。
若い分だけ覇気があり、無謀であり、勇猛だった。
もともと論争が好きだった。
一高の頃に話を聞きたいと言ってみんなで呼んだ横光利一を
加藤がこてんぱんにやっつけたというエピソードがある。
後に加藤は中村真一郎ならびに福永武彦(たまたまぼくの父だ)との共著である
『1946 文学的考察』という評論集で世に出たが、
ずっと後で回想記の中で中村は加藤があまり喧嘩っぱやいので
自分たちは迷惑したという愚痴を述べている。
若き加藤周一は意気軒昂だった。
それは目次を見てもわかる。
文学とは何かを論ずるのに『客観的な方法』から入るのだ。
果たして文学は客観的な方法で定義できるものなのだろうか?
(略)
解説:池澤夏樹
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★「文学とは何か」
加藤周一著 角川ソフィア文庫 720円+税 H26.7.25.初版
(1971.9.に刊行された角川選書を文庫化したもの)
このあとでいくつかのエピソードが連なった後、
「しかし言うまでもなく文学はまずもって主観の装置だ。それは加藤だってわかっている」
と、池澤夏樹は続けている。
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「もしわれわれが自己の内部へ深く降りてゆくことによって、
人間的なものを探りあてれば、普遍的な文学をつくることができるはずです」
この背表紙にある文句が気に入って、オイラはこの書籍を手にした。
まだブログで紹介していないけれど、
この文句は、今後の「村上春樹ストリップショー」においても、
重要な一葉として連なってくるものだ。