フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー(1821~81年)は、
キリスト教作家だという評価が定まっている。
特に、『カラマーゾフの兄弟』は、人々を信仰に誘う書だという解釈がされることが多いが、
筆者はこういう評価に強い違和感を覚える。
それは、ドストエフスキーの作品に神やキリストという言葉が過剰なほどに出てくるからである。
古代ユダヤ教において、ヤーウェという神の名は、
エルサレムの神殿で大司祭が一回しか唱えることができなかったことに象徴されるように、
真のキリスト教信仰を持つ人は、神やキリストについてあまり語らない。
神やキリストという名を口に出すことが畏れ多いからだ。
ドストエフスキーは、若い頃に革命運動に関与したことがある。
逮捕、起訴され、銃殺刑の判決を言い渡された。
しかし、処刑が執行される直前に皇帝の恩赦状が届き、刑を減じられて、
ドストエフスキーはシベリアに流刑になった。
このときの体験が革命家ドストエフスキーを
敬虔なキリスト教徒に改心させたきっかけになったというのが通説的な解釈だ。
しかし、筆者は「そうなのだろうか」という強い疑念を持っている。
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★「修羅場の極意」
佐藤優著 中央新書クラレ 800円+税 2014.6.10.初版 2014.6.20.3版
「3章 偽装というテクニック フォードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー」
P.43~44より抜粋
この後に、佐藤優の鋭い考察が続いている。
神学を学んだ後に外務省の激務に耐え、
さらなる投獄にも耐えてきた佐藤優ならではの、それは鋭い見解に思えた。
” 作家は危険な思想について語るとき、
あたかもそれが自分に敵対する思想であるかのごとき偽装をすることがある ”
佐藤優という男は、とてつもなく鋭い読み手だ。
★「かつて・・・」 EGO-WRAPPIN'
https://www.youtube.com/watch?v=cyIme_SwtrU