タグ:安岡正篤 のブログ

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  • Cedeaf0d5

    自己の内面に満足なものを持たない者ほど外物に憧れる。 その外物が案外あてにならなぬことを身にしみて 覚るところから「道に入る」のである。 衆人は財産とか地位とかを重んじる。 まんざら衆人の仲間だけでは満足しないが、 さりとてそれ程出来ても居らぬ人物は 文章とか芸術を重んずる。 その上になると、何か功業を樹て名声を あげることを重んずる。 一番の人物は道徳を重... ...続きを読む

    タグ:安岡正篤 
    登録日時:2010/03/07(17:43)  
  • 4c3d311c2

    先賢が教えてくれている 愚はよく他の欠点を挙げるが、自己の欠点を知らない。 話はうまいが、行いはつまらぬ。 若い時はうかうかして過ぎ、 壮時にはせかせか動き廻り、 老年には愚痴ばかりになり易い。 正に、敗事は多く得意の時に因り 成功はつねに苦辛の日に在る。 やはり平生能く道を聞くことだ。

    タグ:安岡正篤 
    登録日時:2010/03/06(18:48)  
  • 4f6898254

    1、人は一つの自然である。   われわれは自然の如く真実でなければならぬ。 1、自然はすこやかである。   われわれも常に怠ることなく努めよう。 1、自然は造化である。   われわれもかたくなにならず、一生自己を進化して   ゆこう。 1、自然は無限である。   われわれも大海・虚空の如く心胸を開こう。 1、自然は円通である。   われわれも万物一体の... ...続きを読む

    タグ:安岡正篤 七福神 福禄寿 
    登録日時:2010/01/02(19:01)  
  • 8156b3348

    学問というものは決して出世や生活のための手段ではない。 窮して悲鳴をあげたり、心配事のために直ぐぺしゃんこに なるようでは学とは言えない。 何が禍であり何が福であるか、 如何に始まり如何に終わるか、 ということを知って惑わざるが為である。

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    登録日時:2009/07/19(18:28)  
  • F84d5edb7

    あれは頭が良い、よく出来る。 けれども人を容れない。 人を用いる量がない。 深みがないなどといわれる人がいます。 度量、器量ということが良く考えられなければならないわけです。 応対とは、いろいろな問題に応じてきびきびと 処理してゆくことであり、 辞令とは事に対して自分の考えを的確に表現してゆくことです。 この応対辞令は大変大事でありますが、 俄か仕立てではど... ...続きを読む

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    登録日時:2009/07/12(18:28)  
  • D6eac83b6

    ずるいことをやったり、人を押しのけたりして、 地位や財産をつくるのも人間の能力、知能の一つであります。 それを使っていろいろのことができる。 できるけれども、そんなことができても、 これは人間としては少しも偉いことではない。 社会的には偉いかも知れぬが、 人間としてはむしろ恥ずべきことであります。 何を為すか、何をしたかということと、 彼はどういう人間か、如何にあ... ...続きを読む

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    登録日時:2009/07/09(17:50)  
  • 89c2701a7

    人間には、これあるによって初めて人間であるという 本質的要素と、必ずしもそうでない附属的要素との 二つがある。古神道でいう、心が明るい、清い、汚れがない、 人を愛する、人を助ける、人に報いる、精進する、 忍耐する等々の徳性こそがその本質だ。 これあるによって初めて人間となり得るのである。 これに対して、智能や技能というものはあるにこしたことはない。 確かに大事なものだけ... ...続きを読む

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    登録日時:2009/06/20(18:15)  
  • B82a9d8eb

    平生からおよそ善い物・善い人・真理・善い教・善い書物、 何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、 できるだけ縁を結んでおくことです。 これを勝縁といい、善縁といいます。 とにかく、折角善い人に会い、善い書を見、 善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、 あくびをしたり、そっぽを向いたりしている人間は だめであります。 うつけ者です。 大体そういう... ...続きを読む

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    登録日時:2009/06/14(18:25)  
  • 2a1afc2cb

    人間なにが悩みかというと、自分が自分を知らざることである。 人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、 自分を論じ、自分を知るということは、 実はこれが一番大事であるにかかわらず、 なかなか難しいことである。 人間は、まず自分を責むべきであって、 世の中や時代を責むべきだはない。 世の中が悪い、時代が悪いというのならば、 そういう時世に対して、一体自分はどれ... ...続きを読む

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    登録日時:2009/05/28(17:23)  
  • 1dc66e8d2

    富や位や才智などは結局人の愛に値しない。 要するに徳を補助するにすぎないものである。 真に人を愛すればその人の徳を厚くするように仕向けて やるべきである。 つまらぬ人間は、人を愛するにも一時の間に合わせですませる。 金があれば金をやり、権力があれば利権を与え、 それが愛する相手のためにどうなるかは深く考えない。

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    登録日時:2009/05/05(18:21)  
  • Dfffddc40

    人間が人間たる意義を求めるならば、 先ず敬するという心を持つことである。 人間が現実に留まらばいで、限りなく高いもの、 尊いもの、偉大なるものを求めてゆく、 そこに生ずるのが敬という心である。 この敬の心が発達してくると、必ず相対的に 自分の低い現実を顧みてそれを恥ずる心が起きる。 人間が進歩向上する一番大切なことは 敬する心を発達させることであり、 それに... ...続きを読む

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    登録日時:2009/05/04(18:16)  
  • E24b6a4ff

    1、忙中に掴んだものこそ本物である。 2、苦中に掴んだ楽こそ本当の楽である。 3、身を棄ててこそ浮ぶ瀬もあれ。 4、どんな境涯でも自分だけの内面世界は作れる。   どんな天を持つか。 5、心中に尊敬する人、相ゆるす人物を持つ。 6、心身を養い、経綸に役立つ学問をする。 この観をなして、如何なる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、精神的空虚に陥らな... ...続きを読む

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    登録日時:2009/03/12(18:54)  
  • 7b93cebcc

    第一に心中常に喜神を含むこと。 第二に心中絶えず感謝の念を含むこと。 第三に陰徳を志すこと。

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    登録日時:2009/03/10(20:50)  
  • C98d8dd30

    「さいわい」にも幸と福と二字ある。 学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が 自分の中にはない、偶然的な、他より与えられたにすぎない 幸いを幸という。 たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなく うまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、 これは幸。 これは当てにならない。 そうではなくて原因を自己の中に有する、 即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得... ...続きを読む

    タグ:安岡正篤 
    登録日時:2009/03/08(19:49)  
  • Bc09d1894

    臨喜臨怒に涵養を看るは、喜びや悲しみに際して 恬淡としているとか、どんなに怒るかと思っていると 悠揚としているなど、平生深く養っておればそれが 出ることだ。 群行群止とは、大勢の人間と一緒の行動をしているとき、 その人の識見が現われることをいう。 gold 借金に借金を重ね、消費してきたアメリカ。 何年も前から、わかっていたこと。 今迄が異常であり、本来ある... ...続きを読む

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    登録日時:2009/02/01(08:13)  
  • 88d630fec

    「大事・難事には担当を看る。  逆境・順境には襟度を看る。    臨喜・臨怒には涵養を看る。  群行・群止には識見を看る。」 これは呂新吾のしん吟語に出てくる言葉であるが、 大事難事がおこったときは、 人の担当力を看るだけではなく、 自分自身がどう対処し得るかと内省する意味がある。 逆境順境に襟度を看るは、 襟は心であり、度は度量である。 gold ... ...続きを読む

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    登録日時:2009/01/29(18:26)  
  • 61f634b5f

    真に自己を社会化するためには、 常に自己を深めねばならぬ。 真に人を愛するには、かえって独りを楽しむ者で なければならぬ。 浅薄な利他と同情とは最も徳の賊である。

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    登録日時:2009/01/28(20:51)  
  • 30088008f

    太陽の光に浴さなければ、物が育たないのと同じことで、 人間の理想精神というものは心の太陽なのだ。 理想に向かって情熱を湧かすということは、 日に向かう、太陽を仰ぐということだ。 これがないと人間のあらゆる徳が発達せず、 したがって才知芸能も発達しない。

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    登録日時:2009/01/25(07:25)  
  • 1140b4eea

    人生で一番大切なのは徳性である。 その徳性の中で最も人間に大事なものは二つある。 その二つは、いち早くお誕生過ぎにはっきりと表れる。 その一つは明暗ということ。 心を明るくするということで、心を明るく持つということが まずもって一番大事なのです。 その次は清潔、不潔ということです。 浄不浄ということです。

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    登録日時:2009/01/24(20:18)  
  • 1140b4eea

    人間は教育よろしきを得れば、知命、立命の教養を積めば、 その人なりに大成する。 それから先はいろいろの経験が加わって鍛錬陶冶され、 いわゆる磨きがかかるだけで、人そのものは 十七、八歳でちゃんと出来る。 満十五、十六歳で元服の礼を行った昔の人は、 近代の科学的研究からみても実に正しい、 妥当であるということが立証されている。

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    登録日時:2009/01/12(18:10)  
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