「さいわい」にも幸と福と二字ある。
学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が
自分の中にはない、偶然的な、他より与えられたにすぎない
幸いを幸という。
たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなく
うまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、
これは幸。
これは当てにならない。
そうではなくて原因を自己の中に有する、
即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを
「福」という。
福という字がそれをよく表しておる。
示偏というのは神さまのことだ。
示というのは上から光がさしている、神の光、
叡智の光を表す。
つくりは「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば俵を積み上げるという文字。
神の前に蓄積されたるものが「福」である。
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#安岡正篤
2件のコメントがあります
1~2件 / 全2件
ハンドミキサーさま
こんばんは、ありがとうございます。
陰徳を積むことも大切ですね。
お互い、頑張りましょう。
こんばんは、ありがとうございます。
陰徳を積むことも大切ですね。
お互い、頑張りましょう。
goldfingerさん こんばんは
幸と福は、なんとなく同じように使ったり、思ったりしたいましたが、違いがあるんですね。
そうですね。幸にも、福にも恵まれたいところです。
よく、福々しいと言われますが、いかにも福徳が満ちている様子をさすようです。
徳を積むことが必要のようです。
やはり、努力が必要か。がんばりたいと思います。
幸と福は、なんとなく同じように使ったり、思ったりしたいましたが、違いがあるんですね。
そうですね。幸にも、福にも恵まれたいところです。
よく、福々しいと言われますが、いかにも福徳が満ちている様子をさすようです。
徳を積むことが必要のようです。
やはり、努力が必要か。がんばりたいと思います。
