元祖SHINSHINさんのブログ
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何かが足りないときに、足すべきもの
なんとなく、市販ルー「ジャワカレー」を作った。
製品箱に書いてあるとおり調理したのだが、何かが足りない。
ダシを加えてみた。コンソメ顆粒だ。
それでも、しっくりこない。
カレーが残ったまま、一晩がたった。
数日前に食した、「豆腐ステーキきのこバターソース」の美味さが頭をよぎった。「NHKテキスト きょうの料理ビギナーズ2月号」に載っていたレシピだった。このレシピには、調理の最終局面で、バターと醤油が投入されており、誰もが美味いというしかない風味になっていた。
過去の調理したものと比較すると、アンチョビバター炒めよりはワンランク下がるかもしれないが、ほぼ匹敵する美味さだ。
バターと醤油を加えてみよう。アンチョビはあるけれど、そのあとにしてみよう。そう思い立った。
残り物のカレーに、切れてるバターをひと切れと、醤油をほんの隠し味ていど垂らしてみた。ひとくち食すと、もう止まらない。これだ、こうこなくっちゃいけない、そういう風に思った。アンチョビを入れる間もなく、全部平らげてしまった。つまり、誰もが美味いというほかはない風味に激変したのだ。
「バターは、なんでも美味しくする」と、レイチェル・クーがよくささやいていたが、そういうことなのかと納得した。ただ、レイチェルはまだ、醤油の威力には気づいていない可能性があるが。
そういえば、カレーで名を売っている調理人も、書籍で「味に困ったときって、バター入れたくなっちゃうんだよね」などと書いていた。つまり、玄人筋では、きっと常識になっているんだろう、バターってやつは。
美味い、美味い、どうして美味いと思っていた近所のインドカレー専門店のカレーも、そーいえばバターの風味がしていたのを思い出した。ダシよりも、実はバターの方が威力があるってことなんだろう。
この原理を知ってしまえば、大概の料理は美味く味付けできるようになるだろう。味付けに失敗したら、バター醤油の鉄則。これをしてもダメだとすると、それ以前の段階から、そうとうダメなレシピってことなんだろう。
PS:日本人に馴染みのないものとして、発酵バターがあるらしい。
多くの日本人が、ひとたび口にすると、普通のバターより美味いと感じるらしい。
オイラは別にもう、「切れてるバター」で満足だが。
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SHINちゃん。おひさしぶり。
俺殿(オイドン)の父も、炊き立てご飯にバターと醬油を乗っけて、食(た)もっちょったど。
まだまだ昭和も30年代。食材は少なかった。
人間の食って、大食→美食→健康食→精進食(不殺生食)となってゆくらしひ。
とすると、俺殿は、いま健康食→精進食のプロセスにおりもす。ヨーガをしてるもんだから。肉類は、口にしなくなりもした。ここらへん、片岡鶴太郎に同じ。 拝
ヨーガでは、肉食するとハイヤー・セルフ(高位自我)の働きが悪くなるといはれているよ。
ま、そこまで霊的なことは、分からなひけど、これは畜産農家の秘密として、種子島の農家出身の友人が言ふには、「そうかいよ、やっぱい出荷まえの仔牛には、肉食させるど。そげんすっと肉付きや毛並がぐんとよくなる」とのこと。
しかし、これやりすぎると狂牛病よ。脳幹に穴があく、いはゆる脳がスポンジ状になってしまふ。
これひとつとっても、やっぱ肉は、あぶなひわ。
また、記憶に新しいところでは、WHOは、ハム・ソ-セージの発がん性を、タバコより一段うえのアスベストなんどのレベルと発表した。
日本ハムの社長は、怒るまひことか。「日本人の食べる量なら問題ない」とかなんとか。
あれは、製造過程で使ふ凝固剤に発がん性があるらしひ。
タンパク質うんぬんは、いまごろのボディ・ビルダーも大豆由来のプロテインぢゃなひの。 拝