元祖SHINSHINさんのブログ
デジタル画像の威力と、ルノワールvsフェルメール
6/4(土)、国立新美術館にてルノワール展を覗いてきた。
美術に関してほとんど素人なのであるが、
以前にフェルメール「地理学者」を鑑賞して、
その何やら得体の知れない威力に圧倒されたことがある。
その時には少なくとも1時間くらい、眼が釘付けにされてしまった。
その理由は、ホンモノの「地理学者」には、
ポスターやデジタル画像では現しきれない立体感があって、
また、照明技術の素晴らしさもあったのかもしれないが、
その魅力に圧倒されてしまうからだった。
ルノワールの絵画にも、きっとそういう威力があるだろうと期待していたのだが、
そーでもなかったのは、意外だし驚きであった。
まず、絵の出来映えが、フェルメールのような立体感がまったくなく、
唖然とするほど絵が平板に見える。
また、その色彩も想像していたよりもずっと淡く、しかもくすんで見える。
(ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会)
拍子抜けしたような気がして、休憩室を見に行った。
するとそこには、ルノワールの作品に参観者が合成写真を作れるコーナーがあった。
また、デジテル画像でルノワールの作品を説明していた。
それら画像を見て気がついた。
デジタル画像の方が、色彩が鮮明に見えて素敵なのだと。
デジタル画像の色彩再構成力が、ルノワールの絵画に新しい息吹を与えている。
それら画像で見るルノワールは、
「読書する少女」も「都会のダンス」も「ピアノを弾く少女たち」も、
そしてもちろん「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」も、
たまらない魅力が溢れ出ている。
絵の具の素材力が違うせいで、ルノワールの描いた色彩が劣化している可能性がある。
逆にいえば、フェルメールの使った絵の具は、相当上質なモノだったのかも知れない。
絵のタッチ技術も違うのだろうが、そんなことを想像したりした。
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だからといって、このルノワール展がオモロクないのかというと、
それは違うのである。
ルノワールの交友関係が見事にわかるような構成になっていて、
ワーグナーの他界する前年の肖像画なんかがあったりする。
また、マルセス・プルーストがルノワールを評した言葉などに触れることができる。
オイラが一番凄いと思ったのは、
「水あるいはしゃがんで洗濯する女性」という、これは絵画ではなくって彫刻。
彫刻は絵画と違って、壊れたりしなければ、色彩や素材そのものが劣化するということがない。
そして、何よりも実感するのが、その存在力と絵画よりスーパー圧倒的な、そのエロさ。
いくらフェルメールだって、この彫刻という存在が放つ立体力には敵うわけがない。
オタク連中が、美少女フィギュアにハマってしまうのも、
大きさは違うとはいえ、こうした彫刻と同様な立体力に魅せられてしまうからだろうと想像した。
他にも、「影に色をつけた」ルノワールは、当時たいへんな議論を通の連中に巻き起こしたという。
*
国立新美術館が、母方先祖の眠る青山霊園の隣だったので、
久しぶりに墓参りをした。
入口にある花屋で、黄色と青の映える花束をふたつと線香を買って、
いざ墓に向かうと散々探しても見あたらない。
そこで今度は入口とは真反対にある花屋に行って、
「すいませんが、オイラ迷子になちゃったんです」
などと、女将さんに泣きついた。
この花屋には、青山霊園全体地図があって、
苗字が記録されているのだった。
ものの数分で場所がわかって、唖然としたのはその番地。
「●14通り-7番」
これ、麻雀やったことのある人だったら絶対忘れないよな。
なんで忘れたんだろう?
*
墓前に、黄色と青の映える花束を供えて気がついた。
風化しつつある灰色の墓石に対して、その花束が驚くほど鮮明に、
白黒画像に浮かぶ、次元が違う世界に突然現れたUFOのような色彩を強烈に放っていた。
ルノワールやフェルメールだったら、
この風景をどう描いただろう?
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