小督さんのブログ
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一より習い
4月。学校や職場では、新入生や新入社員を迎え、
覚えるほうも大変でしょうけれど、教えるほうも大変ですね。
私はしばらく、覚えることも教えることもなさそうです
稽古とは 一より習ひ 十を知り
十よりかへる もとのその一
「利休百首」
稽古をするには、一から二、三、四と順を追って十まで進み、覚えるほうも大変でしょうけれど、教えるほうも大変ですね。
私はしばらく、覚えることも教えることもなさそうです
稽古とは 一より習ひ 十を知り
十よりかへる もとのその一
「利休百首」
その次には再び初めの一にもどって、また改めて二、三、四、五と順に進む、
ということを歌っています。
初めて一を習うときと、十から元の一にもどって、再び一を習うときと、
その習う人の心は全く変わっているものです。
「利休百首ハンドブック」 淡交社 編集局編 の解説より抜粋
利休百首とあって、もともと茶道の心得を歌ったものですが、
私はこの歌を、お稽古の時はもちろん、仕事の時に時々思い出します
以前、仕事でよく使うファイルの一番前のページに、
得意客からのメールをプリントアウトして入れていたことがあります。
これは、私が大失敗をして、その得意客に迷惑をかけた時に送られてきたメールで、
会社に対する苦言が書かれていました。
私の会社での役割分担のまずさや他支店の対応の悪さやクレーム処理の遅さ、
などが書かれており、直接私や私のミスには触れていませんでした。
私の味方は社外にもいたんだ…、と思うと、ウルウルしてしまいました
現在私はその仕事とも会社とも離れてしまいましたが、
そのメールは今でも私の本棚にある仕事ファイルに入れています。
凹んだ時や「何となく」読み返したくなる時があり、
一読すると気持ちを立て直すことが出来ます
なお、「利休百首ハンドブック」解説の最後には、以下のように書かれております
十まで習ったから、これでもう良いと思った人の進歩は、
それで止まってしまいます。
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こんばんは
再度ご説明ありがとうございました。
失敗を戒めとして手近に置く、という心理は良くわかります。
仕事を始めて1~2年程度だったらともかく、私の場合、
経験者として年数が経ってからのミスだから、タチが悪いのです
自分のクビが吹き飛ぶくらいなら自業自得ですが、
世話になった人たちに迷惑をかけたのが耐えられませんでした
でも、本当に賢い人は大きな失敗をしないと思います
こんばんは
もともと、得意客の担当者と私はお互い意思疎通は上手くいっており、
勤務年数も長くなっていたので、信頼関係は出来ていたと思います。
でも、複合的な理由とはいえ、私が担当を外されても仕方がないミスで、
私はこのまま仕事を続けるのは難しいと思っていました。
ですから、後任が決まったら、私の仕事を全部譲るつもりでしたが、
得意客は担当は私のままでいい、との返事でした。
その判断はとても嬉しいものでしたが、
すっかり自信を失くした私には精神的にかなりきつい日が続きました
今はネットで簡単に検索できるとは言え、
毎週校長先生が訓示のプリントを用意されるとは、
多くの訓示をご自身の中にストックされているのでしょうね
こんばんは
仰る通りだと思います。
さらに三回目の一ともなると、二回めの一より改善されているはず。
その繰り返しですよね
>新たな年度となり、仕事も投資も次の段階へ、となりそうです。
投資の方は、毎年レベルアップされておられますね。
素人目にも、特に、去年は飛躍的に伸びているのがわかりました。
ただ、お仕事が忙しそうなので、機会損失より、
体調管理には十分気をつけたほうが良さそうに思います
こんばんは
敬称を「さん」で統一したいため、「さま」ではなくて、すみません
> これに反して、「ああ、それならば、僕は、もう知っているよ。」
>やっぱり、この態度が、内的にも、外的にも、成長の敵です。同感です。
この態度が全ての情報をシャットアウトしてしまいます。
自分自身の力だけでは限界がありますし、
盗めるものも盗めなくなってしまうのは、かえってロスですね
最初に一から十を習う時は文字通り「習う」だけ。
次にその一から十に会う時は「復習」という側面と「(習って知ったことを)使う」という段階になり、新たに「習う」一から十に活かしていくという形になると、個人的には思います^ ^
新たな年度となり、仕事も投資も次の段階へ、となりそうです。
小督さま。
「稽古とは、一より習い十を知り、
十よりかえるもとのその一」利休百首。
これに反して、「ああ、それならば、僕は、もう知っているよ。」
やっぱり、この態度が、内的にも、外的にも、成長の敵です。 拝
こんばんは
ルーティン・ワークでも、意識して続けるのと、全く意識しないのとでは、
表面では同じに見えても、中身は全然違うと思います
私も解説の最後の言葉に共感しています。
たとえ物事が進展せずに停滞していても、
自分の思考や行動が止まらない限りは可能性がある、
と「希望」を持てるからです
こんばんは
徳川園、いいですねえ~
私はお雛様の頃に行った事がありますが、
庭園が綺麗で長い時間滞在したのを想い出します
何もかも恵まれていて、どこまでも運が良いyoc1234さんには
羨ましい限りですが、大きな失敗は本当にこたえます
その一方で、難問題を解決できたのだから、
と自信にもなっています
しかし、家康さんが私のマネをするとは。(違)
伏字が気になります…
こんにちわん。
>これでもう良いと思った人の進歩はそれで止まってしまいます。
そうそう、人間死ぬまで勉強ですよ。 これでいいと思う人は「井の中の蛙」です。