元祖SHINSHINさんのブログ
作家の書くエッセイ
というものは不思議なもので、小説よりオモロイことが多い。
基本的に書きたいことを、小細工なしに書くからだろうと、想像している。
例えば、お題が与えられていて。
「芥川賞について書け」と指示されても、
なんだかんだ、みんな自分の書きたい好き勝手なことを書いている。
で、それがまたオモロイ。
中にはクソ真面目に「芥川賞」について語る作家もいるのだが、
なぜなのか、それすらオモロイ。
★「文学界 三月号」
文藝春秋 1,200円税込み
初めて手にした。
天の邪鬼なオイラは、終わりから読んでいる。
藤野可織、田中慎弥、円城塔、諏訪哲史まできた。
前者三人の芥川賞作品は読んだが、
三人が三人とも、今回のエッセイの方が遥かにオモロイ。
諏訪哲史が、クソ真面目に「芥川賞」について書いているが、
なかなか読ませる内容で、ちょいと興奮してみた。
その前(いや後ろだった)に書いている石原慎太郎へのインタビュー記事や、
(豊﨑由美の書いた「石原慎太郎を読んでみた」にも言及してる)
星野博美の連載もの、若松英輔の哲学もの、高橋源一郎の連載ものなど、
なかなか読ませてくれる。
けっこう楽しんで読んで、
まだまだあと400ページあまり冒頭へ向かって残っているので、
実にお得な読み物だと思う。
もしもオイラが待ち時間の多い町医者などだったら、
こういう文芸誌を待合室に備えるだろう。
地域で有名になるほどコンテンツを充実させるだろう。
たとえば、大沢在昌の「新宿鮫」全シリーズが置いてある。
続きを読みたければ、自分で買うか、またはその店に通うしかないのだ。
アニメの「北斗の拳」とか「ゴルゴ13」は、敢えて置かないというわけなのだw
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こんにちは
作家のエッセイは作品よりずっと面白いですね。
作為がなくて本質が自然に出るからでしょうか?
どちらかというとエッセイのほうが手応え感じます。
そこで考えてみると・・・。
どうも最近ヒットしている作家の作品を読むと、
この辺のことを、書いている作家は実によくわかっていて、
自分のオモロイと思ったことを、
作品の中で登場人物にうまいこと語らせているんですよね。
デイヴィッド・ゴードン「ミステリ・ガール」や
ミシェル・ウェルベック「地図と領土」でも、そうです。
後者の場合には特に、この辺の芸がこまかいんです。
本当に、実に読ませるんですよ。
しかも、それを偉そうなうんちくぶらない工夫が見事だったりするんです。
いつも何を考えているのかわからない建築家の父親が、
大腸癌になって、最後の晩餐かという場面で
久しぶりに主人公の芸術家である息子と話をする下り。
実は、父親もかつて芸術家を志したことがあり、
息子も驚くほどの芸術に対する洞察と熱意を語り始めたりするんです。
読者に対して意外性を与えながら、
自分の言いたいことを書くという手法。
(ごちそうさまでした・・・)
こうなってくると、
これはエッセイよりも、もっとオモロクなってきます。
エッセイ+小説という合わせ技。
ところで田中慎弥は、実は長篇を最近書いたようで、
密かにそれはオモロそうだという感触を、
月刊誌の書評で知って得ているのですが、
彼は芥川賞作品よりも、もっともっとオモロイものが書ける男だと思います。
こんばんは
小説のなかにさりげなく紛れ込ませるエッセイ
>エッセイ+小説+という合せ伎
>しかも、それを偉そうなうんちくぶらない工夫が見事だったりするんです
やはりプロですね。
・・・・・・・作家は自覚しているからこそ
それを使はない手はない訳ですね~~。
>田中慎弥
これから注目してみます。
また、よい作家を教えて頂き有難うございました。