堅実さんのブログ

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難問です 24年5月6日(日) 11時08分

エポワス  さんへ

 

小説を読むとか、人の話を聞くとか、楽しみでもありあますが、そこには、自分では体験出来ない、擬似体験が含まれております。

 

所詮、小説などは絵空事と片づけられない、別の何かを持っておると思います。

 

尽きるところ、作者本人の人生観がその中に、入っております。

 

吉川栄治は、育ちが貧しく、小学校の学歴でした。そこで、栄治は、おそらく、もっと学びたいという、欲望から、「我以外、皆師なり」という生き方が出てきたものと、思います。

 

そして、宮本武蔵の中で、剣をとうして、学習したいという栄治の願望をその中に入れたものと、考えております。その中で学習は真剣勝負、出来なければ、死ぬ覚悟を、いれたものと、思います。

 

等伯にも、この姿勢が全編をとうして、出ております。

 

等伯を読んで、これはと、思うのは、等伯の周囲の人が、いよいよ危機になると、援助するという箇所が、随所に見受けられます。等伯が秀吉に意見書を手渡そうとした時に、怒りをかい、打ち首になる寸前、公家の第一人者が、等伯を助けたい気持ちから、絵で勝負する場面などは、その一つです。

 

その絵が、審判の日をむかえました。また、ここでも、等伯を援助する人が、警護役ででてきております。

 

これらを、考えますと、弱い人を援助する、人たちがいる事も、生きる上で(方法として)大切なことです。できるだけ、多くの、援助する人を、見つけたいものです。必ず、役に立ちます。

 

もし、いないとすれば、「よい本」を見つけることです。捜せば、必ずあります。ただ、最近の、新刊本は、薄っぺらいものが、幅を利かせていると、感じます。こんな、くだらん本に惑わされない事も大切です。

 

やはり、古典には、それなりの、価値があると思います。大切な一生です。くだらん事に消費しない態度を持っていれば、人なり本なり必ず会えると、思います。

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5件のコメントがあります
  • イメージ
    堅実さん
    2012/5/9 13:20

    エポワス  さん  へ

     

    難問につきましては、その答え見つからないのです。

     

    ただ、これだけは、言えるのでは。

     

    それは、何とか、生きていれば、答えが、見つかるかもしれないという希望です。

     

    私も、相当生きております。

     

    しかし、毎日が、下らん事ばかり、考えております。これは、何なのかと、考える、日々です。

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    エポワスさん
    2012/5/9 13:06

    こんにちは

    お題の「難問です」の意味が今一つ呑み込めなくて

    昨夜のコメント同様これも又、

    見当違いのコメントかも知れませんが

     

    『難問』についてもう一度考えてみました。

    誰でも生まれたとき、それぞれが課題を負わされて
    いるのかどうかは疑問ですが、

    長谷川等伯のように災難続きの人がそれを克服して
    誰にもできない仕事を達成したのを後世から見るとき、

    生涯に課せられた難題に比例して社会に光を齎す
    使命があるのではないかと感じてしまいます。
    錯覚でしょうか?

     

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    エポワスさん
    2012/5/9 00:00

    こんばんは

    難問有難うございます。
    ただ読み流している癖がつきますと、一旦気が付きながら

    話の展開の面白さに流され、作者の伝えようとする真意を

    ふと見逃してしまうことがことがしばしばです。

    >これはと、思うのは、等伯の周囲の人が、いよいよ危機になると、

    >援助するという箇所が、随所に見受けられます

    そうですね。ご指摘のように危機に救いが現れるのは虚構でなく現実に

    等伯の生涯に起きたことですが、作者が気付いて欲しかった事の一つ、

    因果応報ではとも思います。

    公家、近衛前久の子と知らず、殺されかけた幼児を救ったのが最初でした。

    >弱い人を援助する、人たちがいる事も、生きる上で(方法として)

    >大切なことです。できるだけ、多くの、援助する人を、見つけたいものです。

    >必ず、役に立ちます。

    おっしゃる通りです。

    得難い援助者を得るにはそれに相応しい対象であるべく、
    自分を磨いてそれに報いなくてはなりませんね。

    絵描きを含め芸術家という者の使命は、その作品に
    触れたものをして、現在の境地から一段高みに
     導く者であるべきと思われますが、普通の人間はせめて

    無駄を排除して、真善美の本物と付き合うことで

    向上してゆきたいものです
    真偽を見分ける目がそれで養われるのではとおもいます。

    吉川英治で思いだしましたが、かの、他山の石と路傍の石の話、

    嫁ぐ娘に与えたという

    「たとえ三坪の庭とても、人生植えるものは多かり」の言葉は

    気が付いてみればいつの間にか私の人生の指針でした。

    山本周五郎の日本婦道記もそうです。

    その気でみれば、周りは良書の山ですね。

    株を志す者としては日本一の大株主竹田和平さんの言葉

    「株の技術を教えて貰いたいならその前に、
    人間としての修業をすること。一日最低100遍は
    感謝しなさい。株を教えるのはそれが自然に
    できるようになってから…」と弟子入りを願った人に
    諭したという逸話も得難い指針だとおもいます。

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    堅実さん
    2012/5/6 20:40

    Kattan  さんへ

     

    コメント、ありがとう、御座います。

     

    日記にしましたので、時間が有れば、読んで下さい。

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    kattanさん
    2012/5/6 12:10

    関係ない第三者が入ってすみません。

     

    ちょっと興味があったものですから。

     

    「よい本」を見つけることです。

    古典には、それなりの、価値があると思います。

     

    上の二行が素晴らしい。本ぐらい安いものは無い

    その人が精根尽きるほど考え抜いて書いているのですから。

    私と同じ考えです