エポワス さんへ
等伯を読んでいて気が付いた事がある。これは吉川栄治の宮本武蔵に似ている。異なるのは、剣と絵の違いである。
栄治の武蔵は、剣の極意のために、悩んだ。その師が沢庵和尚であった。等伯にも、僧、日通がでてくる。先生と生徒の関係が両作品にはある。
おそらく、安部龍太郎は、吉川栄治の宮本武蔵を読んでいたのではとも、想像できる。
さて、ここで、生きるとは何かと、突きつけられる。
どのように、生きようと、その人の勝手である。しかし、現代人は好きなように生きられないのも、事実である。
生まれながらの境遇、生い立ち、そしてどの人とめぐり会えるかで、その人の人生を大きく左右する。特に、現代サラリーマンは、自分の言いたいことも言えず、生活のため、家族のために、自分を犠牲にして、何とか、生きているのが本音ではないか。
数十年も我慢して、やっと、生きずまる組織から解放された時には、はや老人になり余生は短くなっている。
自分もそうでした。どこへぶつけようかと思う怒りが、時々込み上げます。
しかし、ここからです。
少しくらい、生きたい様に生きたい。そのためには、いかなる方法を採るか。答えは出ませんが、健康に留意して生きられるだけ、生きるのが、一つの生き方ではないか。
コメント、ありがとう、ございます。