等伯(日経連載小説)24年5月5日(土) 11時24分

堅実さん

エポワス   さんへ

 

等伯を読んでいて気が付いた事がある。これは吉川栄治の宮本武蔵に似ている。異なるのは、剣と絵の違いである。

 

栄治の武蔵は、剣の極意のために、悩んだ。その師が沢庵和尚であった。等伯にも、僧、日通がでてくる。先生と生徒の関係が両作品にはある。

 

おそらく、安部龍太郎は、吉川栄治の宮本武蔵を読んでいたのではとも、想像できる。

 

さて、ここで、生きるとは何かと、突きつけられる。

 

どのように、生きようと、その人の勝手である。しかし、現代人は好きなように生きられないのも、事実である。

 

生まれながらの境遇、生い立ち、そしてどの人とめぐり会えるかで、その人の人生を大きく左右する。特に、現代サラリーマンは、自分の言いたいことも言えず、生活のため、家族のために、自分を犠牲にして、何とか、生きているのが本音ではないか。

 

数十年も我慢して、やっと、生きずまる組織から解放された時には、はや老人になり余生は短くなっている。

 

自分もそうでした。どこへぶつけようかと思う怒りが、時々込み上げます。

 

しかし、ここからです。

 

少しくらい、生きたい様に生きたい。そのためには、いかなる方法を採るか。答えは出ませんが、健康に留意して生きられるだけ、生きるのが、一つの生き方ではないか。

 

コメント、ありがとう、ございます。

 

 

1件のコメントがあります
1~1件 / 全1件

堅実さんこんばんは 日記にして下さって有難うございます

最初、この小説は本文より挿絵に惹かれていました。
中 一弥の挿絵が好きで、それに似た 西のぼるの挿絵を
眺めるだけで満足していたのですが

いつの間にか本文から発せられる気迫というか
気合に打たれて引き入れられるようになりました。

吉川英冶の宮本武蔵は残念なことに読んだ覚えがありません。
部分的には映画でみたような気もします。

沢庵和尚が地面に座った武蔵の体の周りに杖で円を描き、
それを見てはっと何かを悟る場面、お通とか又七とか
断片だけです。

機会があればきちんと向合って読んでみたいとおもいます。

この小説は絵書きを題材にしていますが、おっしゃるように
読み手を剣の道に誘い込みますね。

絶体絶命、捨て身で次の境地を切り開かねば絵描きとしての

本分が立ち行かない。
その緊張感がひしひしと伝わってくる書き方です。

絵をかくというのは命のやり取り。
常に高見を目指さずにやまない
本能というものなのか--------使命感なのか---------。

妥協が許されない為の孤独感が浮き彫りにされて
いるような感じがします。

人生とは畢竟孤独であり、どう耐えるかを問いかけ
られているようです。

己を誤魔化さないためには生きたいように生きる。

たとい傍目にさびしく写ろうともそれが孤独ではないか。

孤独という自由ではないか。

全編に流れているのは人間本来の孤独感のような
寂しさと同時に解放された自由といったもの。

あれこれと人生のあり方を探らさせられる小説ですね。

 

 

剣の道、

絵の道

株の道

どれも孤独の道ではないでしょうか?

 

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