等伯(日経連載小説) 24年5月13日(日)22時57分

堅実さん

 今日で、等伯が完結した。最後の締めくくりは、「絵師として歩んだ道に悔いはないが、生まれ変わったらもう少しいい絵が描けるようになりたかった。(本文より)」

 

 こういう、職人は自分の仕事にやはり、満足できないのだろう。そしてそれは、作者、安部龍太郎に自分に言い聞かせる言葉であるとも思う。作者はおそらく、あの部分はまずかったなとか、書き変えたいけれど、もう活字にしてしまったので、どうにもならないなあ、という気持ちでいることだろう。

 

 この小説の隠れた主役は、御所の八重桜である。等伯がどう思おうと、毎年春になると、花を咲かせる。この桜に等伯がかなうかとも思わせる箇所が、要所、要所に出てくる。そして桜は静かであるが、等伯は、生きてきた節目、節目に桜との静かな対話をしている。等伯は、この桜、つまり自然の偉大さに敬意をはらっている。

 

 登場人物で、狩野派は随分、悪役になっているが、やはり全てが、よい役なら、話がつまらなくなるので、悪役を買ってでたものであろう。そういう狩野派の人々にお疲れ様と一言、声をかけてやりたい。

 

 また、等伯の兄の生き様には、近寄り難い、凄みを感ずる。あくまでも、畠山家の再興のために、一命を殉じたのである。今の政治家でこんな人はいるだろうか。

 

 全体をとうして、この小説は、今風に言えば、自己啓発とか、自己実現の小説ともいえる。行き詰り、壁に塞がれ、悩みぬいた末に、仏の世界に助けられている。全てのこの世の悩める人に、求めれば仏は手を差し出してくれる。等伯もこの仏の導くままに、最後は絵筆をとっている。

 

 現代人は、自己啓発とか、自己実現といっても、それはほとんど、仕事のためであり、生活のためでる。等伯の様に、更にその上、更にその上と努力することは、困難な場合が多い。

 

 しかし、時々、車の中で放送大学とか、NHKの通信制高校の科目を聞いたことがあったが、なかなかそれはそれで、面白いと思う。また、学問とはこういうものかとも、思う。知識の空間が広がるのである。NHKの通信制高校と言っても、教授陣は大学の講師で、そうそうたるものである。現代社会では東大の総長が講師をしていた。また、立命館大学の、若い女性講師の話は、チャーミングで面白かった。

 

 人が悩むとき、どうするか。等伯では、自分ではどうにもならない力、仏にたよっている。作者もこの部分には随分、苦心したものと思う。そして下調べにかなりの時間を費やしていることも、想像できる。

 

 さあ、それでは、読み終わって、現実の世界に戻った読者は、明日からどう生きるかである。

2件のコメントがあります
1~2件 / 全2件
堅実さん

エポワス  さんへ

 

凄い、コメントを頂きまして、このエポワスなる人物、想像以上の人であると、思いました。

 

一日一生、一時一生(これは、私の造語)です。

 

お体を大切にして、生き延びてください。

 

世の中、何があっても、決して、あきらめないことです。

 

中国の故事に、意地の悪い、連中に「俺の又の下を潜って、この道を通れ。」 と言われ、反論もせず、そのまま、又の下を潜って道を渡りました。

その連中は、それを嘲り、笑い、馬鹿にしましたが、その人は、つまらぬことにかまわず、自分の本当の目標に向かって生きたという話です。

 

一日、一学(これも、造語です)で、一生学べば、10年後には、少しは変わってきます。

今、使われているスキルアップなんてものは、江戸時代には、寺子屋としてありました。

つまらぬ、言葉に、惑わされぬことも、その心掛けも大切ではと、思っております。

 

 

 

こんばんは

安部龍太郎の日経新聞連載小説『等伯』の書評
まことにお見事と 感服いたしました。

書き手の意志が正確に届くかどうかは

水が方形の器に沿うように
読者の器次第であることが怖いところです。

等伯の首を賭けた松林図の仕上がりは
若い淀君には値打ちが見えず、

公家、近衛前久の望みに叶った、武家の絵を抜け出した
新境地を、歴戦の諸侯をして息を飲んで静まりかえらせ、

秀吉には「儂は今迄何をしてきたのだろうか?」と
嘆息させています。

仙洞御所の桜を隠れた主役と見抜かれた方は
あまりないのではないでしょうか。

長谷川 等伯の一生を通じて 絵佛師の心の節目
節目によりどころの象徴のように配置されていました。

桜は平忠則の歌にもあるように、古今日本の戦いの
歴史とは無縁でなさそうです。

殺されてもなお真実に生きる志を、 
千利休、等伯の捨て身の精進を 植物の生命力で
暗示させたのでしょうか。

読後、現実に立ち返って見るとき、

ほとけの涅槃図を描き上げた境地のことは今一つ

よくわからないのですが、わからないながらも
それなりに

小説に描かれた絵佛師等伯の生き方に
強い感銘を受けていたことを無駄にせず

日常の、大勢に惑わされず、雑念を払って
事の真髄を見極める目を養ってゆきたいものと
思いました。。

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