元祖SHINSHINさんのブログ

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小林秀雄著「モオツァルト」にでてくるフリーメーソン

「モオツァルト・無常という事」小林秀雄著 新潮文庫 476円+税 
 「モオツァルト」(「創元」第一輯 昭和二十一年十二月)P69~70より抜粋

(略)ベエトオヴェンは、「ドン・ジョバンニ」の暗い逸楽の世界を許す事が出来なかったが、彼の称賛した「魔笛」は、果たして実際に、彼の好みの人生観を表現していただろうか。そこに地上の力と天上の力との争闘を読みとる解説者が、この劇に、フリイメイソンの戦と勝利とを見た当時の観客からどれ程進歩しているであろうか。疑わしいことである。
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オイラが目にしたしょっぱなから、
魔坂なフリーメーソンの文字が飛び込んでくるとは想いもしなかった。
オイラの眼には、その部分だけ文字が炎で燃えているように映る。

昭和21年にはパソコンもネットもないので、
小林秀雄氏は、自身が莫大に読み込んできた書物やあるいは海外赴任経験、はたまた友人などから、
フリーメーソンについて見識を得るしかないだろう。

そんな彼が「フリイメイソンの戦と勝利とを見た当時の観客」と表現していることから、そういった劇を観ることのできる裕福な人々ならば、当然のようにフリーメーソンを認識していたという可能性がみえてくる。

となると、当時から既に「秘密」結社でもなんでもないということになる。

因みに同著に出ているフリイメイソン解説は、以下のとおり。
「七十 フリイメイソン 中世の自由石工組合に端を発し、友愛・慈善・相互扶助的な論理綱領を実践する超政治・超宗教の国際的秘密結社。モーツァルトは一七八四年十二月に入団、結社のための葬送音楽なども書いている」

左翼筋ブロガーやオカルト系文献によれば、第一次・第二次世界大戦、フランス革命すらフリーメーソンが仕込んだ出来レースであった。
しかし、それは戦後大きな時間の隔たりがあるからこそ言えることだと、オイラは感じていたのだが、
そうした認識が、この小林秀雄氏の「フリイメイソンの戦と勝利とを見た当時の観客」という表現によって、いとも簡単に一蹴されてしまった。

だとしたら特に第二次大戦において、
何故にフリーメーソンの策略を見抜けなかったのか、強い疑念が沸いてきた。

しばらく時間がかかるのだが、昭和二十一年という年号を軸に、
オイラの数少ない手持ちの書物からそうした疑念に対峙してみたいと思う。
中心となる人物として、吉田茂氏と児玉誉士夫氏に焦点を当てたい。

なんでそんなことをするかって?
ひょっとしたら今現在も当時と同じ轍を踏んでいて、
世界情勢も相場もそのように動くかもしれないからだ。
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