堅実さんのブログ
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人生は走馬灯 2年7月20日(月)23時08分
齢に、似あわず、相変わらず、馬鹿バカしいことをやっている。たぶん、みん株で最高齢なのだろう。そして、自身に、もういい加減にしたらと、言っている時もある。
今日、眼鏡を、新調しようとしたら、右目がおかしい。眼科に行ってくださいと言われて、診てもらったら、禄内症だと言われた。目薬をもらって、点けてみる。今のところ、これといった自覚症状はない。そして、特に生活に支障はない。
時々、こう考えている。つまらない人生だったが、最期は、落ち着いて、静かにこの世を去ってゆこう。自然に、なりゆきに任せよう。これが仏道で言うところの「生きとうない、死にとうない」という事だろう。これは、禅宗における最高の境地だという。
今は、とても、そんな気持ちちは、無いが、せめてこんな最期を迎えたいと、思っている。
録内症と言われても、それは、がっかりはするが、生活に特に、困った状況ではない。このまま後、10年も見えれば、それでもよいとも、思っている。もちろん、次第に悪くなるのは、気分が悪いが、それも神が与えた定めなら、それも、よしとしよう。今から準備しているが、がんだと言われても、静かに受け入れよう。
(今、「リンゴの唄」、「愛染かつらの旅の夜風」、「誰か故郷を想わざる」「知床旅情」が流れている。ひと時のしずかな流れなり。人生は走馬灯と、同じなり。それを、静かに見ているなり。他に音はしない。一人の静かな時間だけが、流れる。)
大変だ、大変だと、騒いだところで、症状が、改善はしないし、そして、ここは、その人の、人生観だと思っている。修行の成果とは、こんなものを言うのだろう。言うは易く、行うは難である。これも、日々の生活で、決まることである。難しいことは、言わないで、だだ、淡々と、一日が終われば、それで、それなりの、人生であると、思っている。何があっても、落ち着こう。釈迦が言う、第2の矢は受けない。こんな心境が、最高なのだろう。外見を整えた生き方である。
あわてず、騒がず、冷静に。これが、これからの人生目標なり。難しいのは、このことだ。敵は、自身内にあり。お休みなさい。
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りす栗 さんへ
碌内症ではなくて碌内障なんですね。
コメントを頂きまして、ありがとう、ございます。
眼鏡のフレームが、欠けて、眼鏡屋にいったら、「眼科に、行ってください」と言われ、眼科医から、碌内障の診断を受けました。
特に、今のところ、問題はないのです。
視野が欠けている検査を、8月に、致します。
目薬は、毎日、点ければ、進行は、抑えられるとか、聞きました。
場合によると、その後の、状況を、お聞きする場合も、ありますので、その時は、よろしく、お願いいたします。
株式は、頑張ってください。
yoc1234 さんへ
緑内症と、言っても、今のところ、目で見ている範囲では、問題ありません。
人生、どうなるか、不明です。
慌てず、騒がず、落ち着いてです。
世の中、なるようにしか、ならないのですから。
お互いに、健康には注意しましょう。