元祖SHINSHINさんのブログ
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五木寛之の展開する宗教観
平素から稲荷、稲荷と書いている割には、
オイラの宗教観はとても緩やかだ。
稲荷神は「キッツイ」という霊能関係の人びとが多いけれど、
オイラはその星野仙一のような「キッツイ」ところが、
神様の中の暴力団の親分のようで、
そういうものに憧れのあるオイラにとって、
魅力的に思えるのだった。
オイラが若い頃に経験した、
白旗神社での不思議体験から始まって、
さらに後年、いろいろ不思議なことが起こり、
稲荷に辿りついた。
なので、仏教よりは神道寄りなのだけれど、
だからといって原理主義的な獰猛さは有していない。
もしもオイラに獰猛なところがあるとしたら、
それは宗教と離れた、単純に個人的な精神状況がそうさせている。
などと、間違っているのかもしれないが、オイラは自分を考察している。
★「孤独のすすめ」
五木寛之著 中央公論新社 2017.7.10.初版 2017.9.10.7刷
この書籍の多くは、
人生100年時代の後半生を、いかように生きるべきなのか
著者が述べたものだ。
だが、その途上に記されている宗教観がオモロイ。
西洋からみれば遅れているとされる日本の多神教環境こそ、
逆に、日本から世界に提案できる宗教観なのではないか、
という件が、P.118から126にかけて述べられている。
「100寺巡礼」とか「親鸞」方面で活躍していた著者は、
しかし、それらに強いこだわりはないという。
そういう世界観が好きなだけなのだという。
オイラも、この著者と近い感覚で、同じように稲荷が好きなだけなのだ。
(ホンモノの宗教家からすると、どうして不思議体験をしたのに
宗教に本格参入しないのかと、怒られるかもしれないが)
またまたSHINちゃん、こんにちは。
神秘体験といへば、ハーバード大学の誇り、ウイリアム・ジェームスの著書「宗教的体験の諸相」が名高いけれど、小生未読。世界の名著なんだけどなぁ。
自分の場合、佐保田鶴治博士の「般若心経の眞實」なんかが、若いころは好きだった。佐保田博士の専門は、外道哲学(ヒンヅー)だから、ヒンヅーから見た佛法。
また運痴だから、カラダをうごかす趣味がなく、瞑想かねて、ヨーガをしていたら、ある日とっぜん、カラダが勝手に撥ねだした。
空中浮遊?ま、そこまでは、いきませんけど。
これは、ヨーガがすすんだ徴(しるし)。*タルドリー・シッディといはれるもので、友人に自慢したところ、「お前、いい年して、そんなもん、なにすんのよ」とバカにされた。
*タルドリー・シッディ=かえるの超能力。
ただし、後年、大東流合気術の先生に、この話をしてみたところ、非常に関心をよせて、なんでも、その先生の師匠は、畳に長坐(足を前に投げ出して座る座法)して、気合い一閃、天井近くまで飛び上がり、空中で結跏趺坐して元の処へすわっていたらしい。
でも、これは、神秘体験では、ないかもね。
宗教には、3ッの相があるのかな(佐保田博士の受け売り)。
1、神霊主義。神道、キリスト教など。親鸞聖人。
2、神秘主義。禅宗、タオイズム、スーフイなど。道元禅師。
3、呪。シャーマニズム。
でも、宗教って、ボクラの若いころは、すこしバカにされるかんじだった。まだまだマルクス主義や、実存主義(サルトルやらカミュ)が幅を利かしていた。
ところが、いまやISISなどが示すように、ぎゃくに宗教が世界をうごかすようになった。
ま、ここまで、とりとめないことを、コメントできて、ボクは、うれしいよ。地方都市で、損保や生保のセールス(代理店業)で、人生の大半をすごした僕には、宗教・哲学について話せる相手がいなかった(ヘタに話せば、変人扱い)。
創価学会員とか、昔ながらの真宗の門徒とか、町の霊能者って、そりぁ~いますよ。話が合わないな。
真向いのおうちが学会員の幹部、一件はさんだ、お隣が、日教組役員・共産党員。沈黙は金なり。
My esoteric life(秘教的わが人生)は、つづく。拝。