この「悪の正体」という書籍は、
中野信子の「サイコパス」と同格にオモロイ。
ただし、そう思えるためには条件があって、
宗教に興味のある人、
人間の意識とは何なのか不思議に思ったことのある人、
善とか悪とは何なのか一度でも考えてみたことのある人、
このような条件が必要になるだろう。
★「悪の正体」
佐藤優著 朝日新書 2017.6.30.第1刷発行
読書歴四万冊という著者は、
小説にも造詣が深く、それらに絡めた考察もオモロイ。
ドストエフスキーに関する考察は特に。
そして、注目すべきは、
各宗教における「意識」に対するとらえ方だ。
「意識」を人間の裁量における自由意思と見なすか否か。
普通一般人は、「意識」を人間の自由意思と見なすが、
宗教各派でも、たいがいはそうとらえていると著者は教えてくれる。
けれど、ひとつだけ、そうとはとらえない宗派がある。
たいへんにオモロイ見識だ。
*
さらにオモロイのが、日本の神道にかんする著述だ。
キリスト教から視ると、日本の神道は「交替宗教」といって、
邪道と見なすのが普通だと著者は述べる。
その典型に、「稲荷」があがっている。
オイラは自身の実体験によって、
まったく真逆に思っている。
だからといって、他の宗教を否定しない。
そういう宗教観をいつの日か小説に表してみたいと、
画策している最中だ。
*
著者は、キリスト教プロテスタントとして、
この書籍を書いている。
なので、この書籍を読むと、
必然的に現在プロテスタントの有する思想に触れる。
正直、それは過激だ。
「究極的には世間が何を言ったとしても関係がない。
最終的に、自分の中で神様の声が聞こえたならば
その声に従わなければいけない。
第3章でも触れたように、これをキリスト教では召命といいます。
英語でいうコーリング(calling)です」
(同著 P.149より抜粋)
だが、他の宗教でも、同様な現象はあると思われる。
なぜ、キリスト教だけに、それが起こると思うのだろうか?