元祖SHINSHINさんのブログ
三島由紀夫の「建長寺小説」
見つけてしまった。
舞台は建長寺だけれども、内容はキリスト教。。
**********************************
文永九年の晩夏のことである。
のちに必要になるので附加えると、文久九年は西暦千二百七十二年である。
鎌倉建長寺裏の勝上ケ岳へ、年老いた寺男と一人の少年が登っていく。
寺男は夏のあいだも日ざかりに掃除をすまして、夕焼の美しそうな日には、
日没前に勝上ケ岳へ登るのを好んだ。
**********************************
★「はなざかりの森・憂国」
三島由紀夫著 新潮文庫 H27.8.5.八十刷 「海と夕焼」 P.138より抜粋
この寺男の名は「安里」、フランス人。
子どもの時の形而上学的な体験が元で、
故あって日本に流れ着いた。
**********************************
『海と夕焼』は、奇蹟の到来を信じながらそれが来なかったという不思議、
いや、奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議という主題を、
凝縮して示そうと思ったものである。
この主題はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ。
**********************************
同書、P.330より抜粋
小説自体は、ラストシーンの影響が大きく、
「懲りない男」とか、「後悔しない男」などがテーマなのではないかと思ったり、
また、物語の中盤を振り返ってみる限りでは、
「宗教の有する恐ろしさ」がテーマにも見える。
オイラには、「後悔しない男」というテーマイメージが、最もしっくり来るように思える。
ところで、三島は何故この物語を「おそらく私の一生を貫く主題」と言い切ったのだろうか?
実は、この抜粋の後にも文章が続くのであるが、さっぱり要領を得ない内容で終わっている。
なので、想像するしかない。
-
タグ:
せ、先生、それってもしかして、
「春の雪」じゃーありませんか?
ちょーど今、読んでいる最中です。
オ、オモロイです。
SHINちゃん。
さふいゑば、三島の小説には、「彼女は、白い歯をすこし見せて,微笑んだやふで、すこしも微笑んではいなかった」みたゐな、表現が多ひよふな。
暗喩(メタファー)おおし。
三島に言はせると、ここが文藝・小説の強みで、なんといっても、女優には、そんなひねくれた演技は、出来ませぬ。 拝
先生、朝起きたら次の方程式に気がつきましたよ。
「明らかな否定型」+「逡巡した表現」=「肯定」
三島文章には、二重否定が出て来ることもあるのだし、
それに比べれば、これはわかりやすい文章だったのですね。
どーも自分は、平素より直球しか待っていないので、
変化球が来ると戸惑ってしまうようです。
さすが先生は既読でしたか。
それが三島の解説によると、
この小説に敗戦を重ねてはいないと言うのですよ。
嘘なのでしょうかね?
元祖SHINSHINさん。
奇しくも、昨日は、三島忌。
三島は、夕焼けに、日本の敗戦を重ね合わせてゐるのだらふか。
たしか「安里」は、元少年十字軍。商人に騙されて、聖地奪回どころか、奴隷として、売られた身のうゑ。
三島は、すじがね入りのウルトラ右翼?
さふも言へやふ。ただし、三島の属してゐた日本浪漫派は、
「いまは死ぬことが文化である」保田興重朗言。と言ったやふな、元が過激なところ。
その保田も、中国戦線で戦死したんぢゃなかったか。
だふも敗戦とともに、日本文化は、いったん切れてゐるの感を持ってゐます。
終戦の日、天皇陛下は四回、腹を切ろうとしたらしひ。
左翼がいふやふに、日本の大東亜戦争が、百・ゼロで悪かった。
戦前は、暗黒の時代だった?
右翼の、その戦死や腹切りも困るが、左翼の日本暗黒史観にも附ひて行けませぬ。 拝