元祖SHINSHINさんのブログ

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ム~民哲学 : 偶然性の哲学

ム~民一族な人には、きっとオモロイ哲学だと思われる。

また、その思想の中には、輪廻転生の概念も包括しているので、

なおさらだろう。

 

もしかしたら、三島由紀夫も、彼の論文・書籍を読んでいたかも知れない。

最後の四部作は、輪廻転生がテーマだというのだから、

きっと読んでいたはずだ。

 

★「九鬼周造 ~理知と情熱のはざまに立つ〈ことば〉の哲学~」

  藤田正勝著 講談社選書メチエ 2016.7.10.第1刷

 

巻末附録によれば、

「偶然性の問題」 1935(昭和10)年、

「偶然の諸相」   1936(昭和11)年、

「驚きの情と偶然性」 1939(昭和14)年、

「文学の形而上学」 1940(昭和15)年

などとなっている。

 

ただ、気を付けなくてはいけないことがある。

九鬼周造の上にあげた原書にいきなり踏み込むのは、危険だということだ。

 

著者である藤田によれば、

九鬼の思想は、ベルクソンや他の著名な哲学者により影響を受けながら、

揺らぎながら進化しているという。

 

つまり、そうした知見がなく、中途半端に原書に踏み込めば、

読者はかならず混乱を来すにちがいない。

おまけに、現代からみれば文体は古風だし、なおかつ哲学用語は難解だ。

三島由紀夫だから、この内容をストレートに理解できたってことなのではないか?

 

従って、現代の読者が九鬼周造の思想へ安全着実に触れるには、

藤田正勝のような著者の作品を、

九鬼周造の思想への道先案内として、

舐めるように読み込むべきと思われる。

 

PS1:九鬼の思想には他に、「いきの哲学」とか「時間の哲学」などがある。

    前者を感得できると、浅田次郎の「月島慕情」など、どうしてあの作品が人の魂を揺さぶるのか、

    理解の手助けになるだろう。

 

PS2:小林秀雄も、実はベルクソン信奉者。

PS3:九鬼周造の顔って、武豊に似ていたりする・・・。

PS4:ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」や、

    プルーストの「失われた時を求めて」による、

    藤田の抜粋箇所は、トリハダものなのだ。

 

 

 

 

 

 

2件のコメントがあります
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    元祖SHINSHINさん。

    SHINSHINさんは、九鬼周蔵まで手を伸ばしておられるのですか?

    小生未読。ここで話を変えて、九鬼は、九鬼でも。九鬼盛隆(易者・九鬼水軍の何代目かの統領・心霊主義者)という人の書いた「米株易占」大正二年に書かれた本(八幡書店;写真復刻版)を持っていますけど、この手の戦前の本にのめりこんだためか、なんだか吾ながらウソっぽゐ歴史的仮名使ひになってしまひました。

    結論を、SHINSHINさんに、傳(つた)ゑますれば、「ムツカシ」。

    これは九鬼先生の序文に於いても、「相場易は、難しゐ」と述べてをられますよ。相場では、うらなひは、成り立たなひかも。

    例ゑば、あの大霊能力者エドガー・ケイシーでも、競馬の予想なんどは、ほとんど當(あ)たらなかったとか。なぜかな?たぶん小生思いまするに、相場には、あまりに沢山の念が集まりすぎる?それともアカシック・レコードには、競馬の結果は書ゐてなひ?

    またはなしをもとに戻して、三島。三島由紀夫も、「英靈の聲」といふ心霊主義といふか、チャネリング小説を書いてますけど、これがもとで二・二六事件で処刑された磯崎中尉(すこし不明?)に憑靈された?自称天草四郎の生まれ変わり霊能者丸山明宏の説。

    たしかに、この小説のあとで、三島文学は、そのベルグソン的な、フランス文学の明晰さから、かなりデーモニッシュな色を帯びてきたやふな。拝

                         ほんまそうかい(靈ノー者)




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    元祖SHINSHINさん
    2016/9/4 01:51

    まいどご贔屓にありがとうございます。

     

    いや、別に相場に利用しようとは思ってないのです。

    オイラがもしも小説を書けるとしたら、

    こうした概念が関係してくるから読んでみたまでのことです。

    (副島本と、イヤな予感も手伝って、リーマンショックあたったことはありますが)

     

    もしも、もしも、うまく書けるのならば。

     

    小説なのに、いちいち証明がついている。

    新聞をさかのぼれば、たしかにそういう事件が掲載されているとか。

    あるいは、ごく一部の人たちだけには明白な事実が散りばめられているとか。

    社会的・客観的にみても、たしかな事実が散りばめられているとか。

     

    しかし、その中心には、誰にも証明できない形而上学的な経験があって、

    その話を先の証明事実によって固めていくと、

    「その形而上学的な経験って、本当かも知れない・・・」

    などと、読者を不思議な世界へ誘導することができれば、

    オイラの勝ち。

     

    まだまだ暗中模索ですけど。

    夢野久作「ドグラ・マグラ」とか、

    ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」などに、

    参考にしたい部分があります。

     

     

     

     

     

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