ユリウスさんのブログ
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本歌取り
9月30日、「挨拶句」について書いた時、本歌取りのことにちょっと触れたけれど、実ところはよく知らなかった。それで、機会があれば調べてみたいと思いつつ、今日までそのままになってしまっていた。
たまたま、丸谷才一著「新々百人一首」をぱらぱらっと見ていたら、柿本人麻呂の本歌取りについて記述があり、定家や後鳥羽院の本歌取りが数首上げられていた。それらの歌を眺めているうちに、本歌取りの歌を集めてみたくなった。
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まず、本歌取りの定義から。
本歌取り=和歌、連歌などの技巧の一つ。すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。新古今集の時代に最も隆盛した。
転じて、現代でも絵画や音楽などの芸術作品で、オリジナル作品へのリスペクトから、意識的にそのモチーフを取り入れたものをこう呼ぶ。
オリジナルの存在と、それに対する敬意をあきらかにし、その上で独自の趣向をこらしている点が、単なるコピー(パクリ)とは異なる。
翔年は専門的な歌の技巧については分かりませんが、オリジナル作品へのリスペクトが根底にあるということこそ、本歌取りの素晴らしいところではないかと思います。同じように俳句の「挨拶句」にもこの精神はハッキリ受け継がれていたように感じられましたし、こういうところが日本文化のよさなんでしょうね。(パロディより品が良い)
それでは見ていきましょう。
例1
本歌
淡路島松帆の浦に朝なぎに玉藻刈りつつ夕なぎに藻塩焼きつつ海人・・・
あま少女ありとは聞けど見にゆかむよしをとめのなければますらをの心は無しに…
-『万葉集』巻6にある長歌-
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ、藤原定家
大岡信のこの歌の対する評。
「掛詞を巧みに歌の本質にとけこませつつ駆使して、さらでだに憂いを深める夕なぎの海を背景に、藻塩を焼く煙の立ちのぼる浦の、そのじりじりと燃える炎のような胸の火を、象徴的雰囲気の中に立ちのぼらせる。心は焦慮に狂わんばかりだが、言葉はあくまで優艶という造りになっていて、そのために一種の客観性が生じ、物語世界が構成される。円熟期の定家はこういう景情融合の雰囲気をうたって他の追随を許さなかった。」
▼序詞=「まつほの浦の~藻塩の」は「こがれ」を導く序詞。
▼掛詞=「まつ」が「松」と「待つ」の掛詞、
「こがれ」が「(焼き)こがれ」と「(恋い)こがれ」の掛詞。
▼縁語=「藻塩」「こがれ」は「焼く」の縁語。
例2
本歌
をとめごが袖ふる山の瑞垣の久しき世より思ひそめてき 柿本人麻呂
へたな訳をつけますと、第一句から第三句までは序詞だから、「おれはずっと以前からあの女のことを思ってきた」というだけのこと。それじゃ、序詞はどうなるの?と言われそうなので丸谷さんの解説に沿って記しておきます。
瑞垣=神社の生垣。みづみづした青い若木を以って結うた籬(マガキ)で、これが久しきを呼び起こす。なぜ「久し」を呼び起こすのか? 神社の垣の長いのが時間の長さの比喩になるからと言う。
ふる山=a大和の国山辺郡石上に布留の社のある山があってこれが布留の山、b古しの意、c(長くなるので略)、d袖振るにかける。
袖=我々が今思うような袋形の袖のことではなく、筒袖形に手を被うているのを言う。 手よりも長く作られており、それを振って合図するのだろう。
序詞で技巧の限りを尽くしながら下の句がすこぶるあっけないと誰でも感じる。これについては、丸谷さんは「多分、これは上の句の歌い手と下の句の歌い手との掛け合いを秘めているもので、元をだどれば謎とその答という形式だったのかも知れない。」と見事な推測をされています。
序詞の長いのでは
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂
を、たいていの人は高校時代に習う。学校では長い山鳥の尾が「ながながし夜」を導くとだけ教えるが、これでは全然面白くない。
丸谷さんによると「山鳥は夜になると雌雄が谷を隔てて別れ別れに寝る」と言う伝承を始めとするさまざまな意味あいによって、多声的効果を感じ取らなければならないと教えてくれるから感心する。
脱線はこのくらいにして、本筋にもどします。この歌はいつの時代でもリスペクトの対象だったからなのでしょうか。たくさんの本歌取りがあるそうで、わりあいすぐれたものだけといって、以下の9首を引いておられます。本歌取りが多いのは、人麻呂が「歌の聖」として不動の位置にあった証ということなのでしょう。
花の色をそれかとぞ思ふおとめごが袖ふる山の春のあけぼの 藤原定家
幾世へぬ袖ふる山の瑞垣にたへぬ思ひのしめをかけつと 藤原定家
幾千代ぞ袖ふる山の瑞垣も及ばぬ池に澄める月かげ 藤原定家
おとめごが紅葉の衣うちしぐれ袖ふる山の秋の瑞垣 藤原家隆
神代より幾世か経にしをとめごが袖ふる山の瑞垣の松 藤原家隆
わぎもこが袖ふる山の桜花むかしにかへる春風ぞ吹く 藤原家隆
この寝ぬるあさけの風のをとめごが袖ふる山に秋やきぬらん 後鳥羽院
風は吹けどしづかに匂へ乙女子が袖ふる山に花のちるころ 後鳥羽院
乙女子がかざしの桜さきにけり袖ふる山にかかる白雲 藤原為氏
例3
さつきまつ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする (よみ人しらず)
たれかまた花たちばなに思ひ出でんわれも昔の人となりなば 藤原 俊成
例4
み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり -古今和歌集-
み吉野の山の秋風さ夜更けてふるさと寒く衣うつなり -新古今和歌集-
例5
松島や雄島の磯にあさりせし海人(アマ)の袖こそかくは濡れしか 源重之
松島や雄島の浦になく雁のなみだもぬらすあまの袖かな 俊成卿女
見せばやな雄島の海人の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず 殷富門院大輔
例6
契りしを我がみひとつに松島やをじまの浪の音ばかりして 俊成卿女
松島や恋せぬあまのぬれ衣(ごろも)ぬれてもしばしほさぬ物かは 有家朝臣
例7
ありそ海の浦とたのめしなごり浪うちよせてける忘れ貝かな よみ人しらず
いかにせん思ひありその忘れ貝かひもなぎさに波よする袖 後鳥羽院
友とみて伊勢をのあまに宿からん物思ふみは袖もかわかず 宮内卿
できるだけ集めてみました。これらの歌群を眺めていると、歌人たちは競って本歌取りに励んだに違いないと思われてきます。
ついでに俳句も。
旅人の窓よりのぞく雛かな 白 雄
旅人ののぞきてゆける雛かな 万太郎
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 高浜虚子
ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 森澄夫
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