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塵を払え 5年9月17日(日)15時13分
お釈迦様の弟子で、大変、頭の悪いのが、おりました。なにしろ、自分の名前も、忘れる程でした。けれども釈迦の説法には、必ず出席して、聞いておりました。聞き終わると、何を聞いたのか、分からない。そんな自分が、悲しくなって、一人、庭で泣いておりました。
そこへ、釈迦が現れ、「どうして、泣いているのか。」と、尋ねました。男は、釈迦の説法が終わると、全て忘れてしまい、それが悲しくて、泣いていると答えました。
すると釈迦は、
「明日から私の話は、聞かなくてもよい。その代わり、この庭を、毎日箒で、はいておくれ。その時に「塵を払え」と、この言葉だけ、繰り返して言ってみるがよい。」
男は喜んで、毎日、雨が降ろうが、雪が降ろうが、ほうきで庭を掃除しました。その時に「塵を払え」と、何度も言いながら、掃除をしたのでした。
そのうちに、男は気が付きました。掃除を毎日しているから、塵なんて、どこにもないじゃないか。どこも、綺麗じゃないか。そして、掃除をすれば、この心も澄み渡ってくる。
ここで、男ははっと、気が付きました。そうか、塵を払えというのは、澄み渡った心を、求めているのであり、この先に、悟りというものが、あるのだと。
お釈迦様は、このことを教えるために、頭の悪いわしに、庭の掃除をしてみろと、言ったのだ。
現在でも、禅宗の寺で、毎日、行われている「掃除」や「作務」は、このことを、求めるために、行っている。まず、外見を整える、その先に、悟りがあるようです。
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6件のコメントがあります
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堅実さん2023/9/17 15:24堅実 ですこの、作務は、精神科の患者の、治療に、作業療法として、行われております。患者の心を救うために、何か、作業をやらせ、その作業に精神が集中すると、患者の、苦しみや、悩みは、軽減されるというものです。これは、誰でも、一人でもできます。家の中で、掃除をする。不用なものは、かたずける。散歩に出かける。買い物をする。など、です。
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kouboudaisiさん2023/9/17 20:31周利槃特は兄と違い、一偈も記憶出来ないために精舎から追い出されるところを、釈迦仏が一枚の布を与えて比丘尼衆の履物を拭き取りさせた。と記憶しております。汚れを落とすことは貪瞋痴を落とす事だと悟り、阿羅漢になったそうです。私などは寺で修行中は朝昼晩に勤行をする、無給の土木作業員清掃員でしたので、他人の靴を磨いている余裕などはありませんでした。
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堅実さん2023/9/17 21:08kouboudaisi さんへ「周利槃特は兄と違い、一偈も記憶出来ないために精舎から追い出されるところを、釈迦仏が一枚の布を与えて比丘尼衆の履物を拭き取りさせた。と記憶しております。汚れを落とすことは貪瞋痴を落とす事だと悟り、阿羅漢になったそうです。」結構、いろいろ、知っておりますね。これは、NHKの「こころの時代」で、話していることを、そのまま、ブログに、したものです。内容が、少し異なりますが、汚れを落とす行為は、共通しております。「私などは寺で修行中は朝昼晩に勤行をする、無給の土木作業員清掃員でしたので、他人の靴を磨いている余裕などはありませんでした。」それにしても、修行が、足りないですね。株が下ると、下った、下ったと、大騒ぎする。ここの処は、静かに、我慢して、行動するという気持ちが、あれば、すこしは、人生、楽しくなるのでは。小生、「冷静沈着」が、口癖です。この言葉を言うと、落ち着いて、行動できます。
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kouboudaisiさん2023/9/18 20:40>ここの処は、静かに、我慢して、行動するという気持ちが、あれば、すこしは、人生、楽しくなるのでは。株下がる 貧乏人は 耐えられぬ 弘法
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堅実さん2023/9/19 08:45kouboudaisi さんへ「株下がる 貧乏人は 耐えられぬ 弘法 」お気持ちは、わかりますが、しかし、どうにもならないのは、どうにもならないのです。ここは、我慢ですよ。後は、静かに、時の去るのを、待つしかないです。考えてみれば、座禅は、時の去るのを、そのまま、待って、感じているとも、言えます。作務の考えでは、今日、やるべきことを、しっかりとやってみる。一つ、一つ、かたずける。これしかないのでは。重要な事をいいました。参考にして、ください。
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kouboudaisiさん2023/9/19 08:58ありがとうございます。>考えてみれば、座禅は、時の去るのを、そのまま、待って、感じているとも、言えます。私の修業した寺では土木作業や清掃作業に追われて、座禅する優雅な時間などは無かったのです。
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