世界的なインフレが進行し、かつてない円安が起こっているのに、日銀は無策である、世界で唯一日銀だけがYCC(イールドカーブ・コントロール)という超金融緩和を放置している、という非難が聞こえる。
しかし、日銀の超金融緩和維持には無策どころか、経済復活の推進力を醸成するという明確な意図がある。推進力とはできる限り価格差を大きくし、市場変化の圧力を蓄え続けるということである。日銀の辛抱強い超金融緩和維持のおかげで、現在の日本経済に空前と言ってもよい価格差が現出している。高低差が水流を引き起こし、その水圧が地形を形作っていくように、経済や金融市場においては、価格差こそが市場取引を活発化し経済活力をもたらす。価格の低いところに需要と投資が流れ、そこから成長が始まる。
空前の割安さ(=逆内外価格差)
いま日本が直面している第一の価格差は、空前の逆内外価格差である。購買力の国際比較によく用いられるマクドナルドのビックマックの価格を主要国と比べると、2022年の今日、日本は390円とスイス(920円)、米国(710円)のほぼ半分、ドイツ、イギリスはもとより、韓国、中国、ベトナムよりも安くなっている。翻って27年前の1995年を振り返ると、日本のビックマック価格は390円と米国(200円)、英国(240円)、ドイツ(290円)を凌駕し、スイスを除き世界最高であった。過去30年の間に日本は世界最高の高物価国から、最低水準の低物価国へと変わったのである。
世界の平均物価との比較を意味する円の実質実効レート(2010=100)を見ると、1972年に65であった日本円は、1995年には150と2倍以上に上昇してピークを付け、2022年には58と最高値に比べて4割以下の水準に低下した。これは超円高から超円安へと円レートが他に類例のないほど、大きくスイングしたために引き起こされたものである。
低物価国・日本への世界需要の集中が始まる
この空前の物価格差により、低物価国・日本へと世界の需要が大きく集まり始めている。まず、輸出競争力が高まり、輸出数量が増加し始める。また、輸入品を国内製品に代替することが起きる。コロナ禍終息の暁には、お得感を増した日本への旅行需要が急増するだろう。割安になった日本で商品を調達し、海外へと転売する越境EC(Eコマース)が活況を呈している。この日本への需要集中はまだ始まったばかりであり、これが奔流のように力を増していくことは、疑いない。
日本はスマホ、PC、半導体などで大きくシェアを失ったが、広範な材料、部品、装置などのブラックボックス化できる部分で高い技術競争力を持っている。また、ダボス会議を主宰する世界経済フォーラム(WEF)の調査では、日本の観光開発力が世界最高となった。この高品質(非価格競争力)に価格競争力が加わることの大きな力を軽視するべきではない。
過去最高利益と設備投資20年ぶりの増加へ
大幅な円安は、輸出主体の製造業や海外展開をしている企業の為替換算益を増やし、企業収益の増加をもたらしている。2022年4-6月法人企業統計で全産業の経常利益は前年同期比17%増の28兆3181億円、売上高経常利益率は8.4%といずれも過去最高となった。
また、国内設備投資に急増の兆しが表れている。政策投資銀行調査による22年度設備投資計画は26.8%増とバブル崩壊以降最高となった。シリコンウエハー主体の非鉄金属、化学、電機、機械などの円安の恩恵を受けるハイテク産業の伸びが大きい。総額1兆円に達する台湾積体電路製造(TSMC)
異常に割安化した日本株式
第二に、日銀の執拗な低金利維持は、債券と株式の間に空前の価格差をもたらしている。株や債券などの金融資産の価格は、利回りから類推することができる。2大金融商品、債券と株式の価格は歴史的に見て大きく揺れ動いてきた。日本10年国債利回りは0.2%なので、投下資本を回収するのに500年かかると計算される。
他方、株式は益回り(1株利益/株価)が8%なので、投下資本を回収するのに12.5年で済む計算となる。ここから株式は債券に対して1対40という極端な割安状態にあることがわかる。この債券と株式の極端な価格差は、世界を見渡しても、日本の歴史を振り返っても、かつてなかったことである。
日米の国債利回りと株式益回りの推移を振り返ると、株式割高(債券割安)時代と、株式割安時代が交互に到来していることがわかる。そして、現在の日本の株式の相対価格は、ばかげていると見えるほど割安であることがわかる。
こうした極端な株式の割安さは、1950年代初頭の米国株式爆騰前夜にしかなかったことである。5年、10年後になって、振り返ると今がかつてない株式投資チャンスの時代であったことがわかるだろう。
日本にのみ存在する株高の条件
債券を売った(または預金を下ろした)お金で株を買うことで、とてつもなく有利な運用が可能になっている。日本の家計金融資産の74%(1089兆円)は利息が限りなくゼロに近い現預金・債券で占められ、益回りが8%という有利な株式・投資信託は全体の20%(295兆円)に過ぎない(比率は保険・年金・定型保証除く)。著しく割高な債券と現預金に巨額の資本が退蔵されているが、この巨額な資金がいよいよ株式投資に向かって流れ始めようとしているのである。
ちなみに、米国の家計金融資産構成は株式・投信73%、現預金・債券23%となっている(保険・年金・定型保証除く)。米国では国債利回りは3.2%なので、債券の元本回収に31年を要す。それに対して株式は益回り6%なので、回収には17年かかる。株式と債券との価格差は1対1.8と、日本に比べればだいぶ小さい。
日本には海外に例を見ない株式の割安さが存在し、そこに巨大な水圧が蓄えられているのである。2020年にはウォーレン・バフェット氏が、0.4%の低利で資金調達し、配当利回り4~5%の商社株を購入するなど、外国の長期投資資金も日本の株価の割安さを注目し始めている。株式と同様に、相対的に割安になった日本の不動産に対して外国人の投資ブームが盛り上がっている。
資産所得倍増政策へと舵を切った岸田政権のNISA改革もあり、「株式投資で資産形成を」という動きは国民的な広がりを見せている。NISA口座の急増、NISA口座からの買い付け額は指数関数的増加ペースにある。積み立てNISA口座からの買い付け額は倍増ペースの伸びを続けており、2023年には2兆円台に乗せるであろう。一般NISAからの買い付け(2021年年間2.7兆円、2021年1~3月1.4兆円)を合算すると、個人の株式積立投資が年間10兆円を超え、一大投資主体として登場するのはすぐ先である。
2023年は日本株の年になる
今後、日本の景況感向上に世界投資家の目が向くのではないか。IMF(国際通貨基金)の7月時点での2023年世界経済の実質成長率見通しでは、世界2.9%、米国1.0%、ユーロ圏1.2%に対して、日本は1.7%と先進国では最も高い伸びとなっている。(1)先進国で唯一日本だけが金融緩和を継続していること、(2)コロナ禍の下での景気圧迫特殊要因(2019年10月の消費税増税の影響と、日本人の過度のコロナ防御による経済被害)がなくなること、(3)上述の価格差が引き起こす経済活性化――がその要因である。
現在、米国の金融引き締めにより日本株式は調整場面にあるが、底値買いのチャンスと考えられる。
(2022年9月5日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン312号」を転載)
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