堅実さんのブログ
新年の思い 1月2日(金)9時47分
今年も、宜しく、お願い申し上げます。
今月から、巨人軍の王選手の「私の履歴書」が連載された。本人は不器用な自分だと言っている。一本足打法は、この方法が自分にはよく、二本足だと、うまく打てないからだと言っていた。この人には、以前より、啓蒙書に、時々出て来る人なので、どのような生き方をしてきたのかと、興味がある。(記憶が定かで無いが、金田投手が、思い切りバットを振った打者がいる。この男には、何時か打たれる。と有ったと思う。それが王選手だった。ここに王選手がどのような人物であるかを物語る。)そしてここに、その人なりの生き方が全て凝縮している。人生、ままならぬものである。しかし、日経新聞の「私の履歴書」を見ると、ほとんどの人が、それこそ、大変な苦労をしていることは共通している。
振り返ってみれば、わたしの生きてきたのは、常に自己を改造することだった。今の時流に合わないかもしれない。そして、この人は如何に工夫してやってきたかに、関心がある。
若き時に遡れば、吉川栄治の「宮本武蔵」にその原点が有るのかもしれない。丁度、その頃、ソニーの創業者、井深大氏と、本田の本田宗一郎氏が活躍していた時であった。この二人と宮本武蔵が、重なっていた。
どうも、わたしには、普通には生きられないらしい人生を歩んできた。努力とか我慢が死語になっているような現在、何か自分には足りない、何か足りないと、思いつつ、更に、このままで自分はよいのかが加わり、挙句の果てには、交際らしい交際を殆ど断り、生きてきたような今までだった。しかし、交際を全て断ったわけでもない。例えば、「みん株」でメールが時々あるが、必ず返事は出している。日記のコメントには、必ずコメントを付け加えている。この程度の、交際はしている。
もう、この方法は変えられない。変えるつもりもない。その先に何があるか分からない。その先どころか、現在でも、まず自分、そして子供のこと、孫のことで悩んでいる。しかし、「世の中どうなるというものでもない」。
自分には無力なのである。それでも、諦めてもいない。「まあ、やれるだけやって、結果は諦めるか」となる。この連続なんだろう。
今、みん株日記は、月にどのくらいかの投稿が、自分には適当かが、これは依然より考えていたことである。
気持ちの整理として作文し、それを「みん株」日記に載せることは、心のもやもやが、何となく消えていくような気がしてくる。ただ、それだけの事である。
しかし、中々、個別銘柄の調査に踏み込めない。この正月は、孫が来ていて、孫の世話に明け暮れている。娘夫婦に子育てで、かなりの問題があるが、これは人の能力で、言っても効果は無い。そうなると、僅かの期間であるが、孫の将来を考えて、少しの面倒みようということになる。これは、単に孫だけではなく、これからの日本の将来の、極僅かな部分を手伝っていることは間違いない。
そして、この老人の書く日記を見るからには、何か、見て良かったと思えることを、常に考えているのは、その中に返礼の意味もある。しかし、こんな老人の考えが、果たしてどこまで、通じるかである。こんな事を考える事が、異常だよと思われる社会になって欲しくはない。
あなたの心に咲く香りさんへ
コメント、有難う、ございます。
今、階下では、孫2人が、歌を歌ったり、ブロック積とか、少しすると、喧嘩をして、大騒ぎです。
人、それぞれに、悩みを抱えていると、思います。
私の日記に出てまいりますが、「人は弱いものである」ことが考える上での原点となっております。
孫が、降りて来いと催促しております。
この辺で。 16時54分