ゴルゴダの丘さんのブログ
ひまだから・・・・・
外は、雨。
まあ、雨でなくてもひまだけど。
この日記を読む人も退屈してんだよね。・・・・あんた!退屈でしょう!
江戸時代の庶民
彼らは、退屈しなかった・・・・と今考えた。
生活に忙しかったし、土曜日は、仕事だった。
日曜日も働いていた?・・・・・・・・・・・・たぶん、日曜日も働いていた。
なぜなら、落語で「薮入り」?・・・・丁稚の実家への里帰りをテーマにした人情もの。
この落語では、年中働いている雰囲気だった。
現代なら過労死の領域か。
あのころは、過労死はなかった? たぶん、なかった。・・・精神的に楽な面もあったろう。
さむらいの世界
武士のなかには、一度も剣をぬかずに死んでいったものもいたろう。
ひょっとしたら、「だれそれが剣を抜いた。」と話の種になってたりして。
殿様もひまだった。
参勤交代から帰ってくると、何にもすることがない・・・・たぶん、ない。
有能な家老にまかせておけばいいんだから。
家老も家老で、「ずーと参勤交代で江戸にいればいいのに・・・・・」と思っていたりして。
だから、家老は、殿様の遊び相手をしなければならなかった。・・・・たぶん。
それで、狩などを企画して藩の帳簿類なぞに関心がいかないようにした。
殿様は、元気であほが一番いいのだ・・・・・藩の重臣たちには。
殿様も芯は、あほでないから、そのへんは心得ていた。
だから彼は、狩が一番好きだった。
狭いお城を出て、開放感もあったし、鹿などを射たときは達成感もあった。
ちょうどゴルフで、へたな社長がバーディなどを出した気分だったろう。
家来たちに自慢して、重さも量ったりして、魚拓はとらなかっただろうが、
それこれして大騒ぎだったろう。
家来たちも殿様とおなじくハイテンションになっていただろう。
鹿一頭で、わが藩は、かくも親睦を図られて、経費も小さくすみ上々なのである。
殿様で日記をつけていた人は、いないのかね?
こんばんは。
暇なのでやってきました(爆笑)
お殿様で日記をつけていたのは、「上杉鷹山」しか思いつけません。
もっとも、その日記を見たことはありませんが(*^_^*)
彼は、出羽の国米沢藩の第9代藩主です。
藩政の改革に努め、自らも倹約に努めたとか。
ケネディ大統領は大統領に就任したころ、「尊敬する人は誰か」と聞かれた時に、「日本の上杉鷹山」と答えたとか。
おはようございます。
現代文で読んでみたいですね。
ありがとう。