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70年前の兵士からのはがき 差出人はどこに 

70年前の兵士からのはがき 差出人はどこに 


70年前に兵士から届いたはがきを見つめる美濃岡啓治さん=神戸市垂水区塩屋町



 

 

 太平洋戦争中の1942(昭和17)年、姫路市内の陸軍病院に入院する兵士から、神戸市須磨区の西須磨国民学校(現・西須磨小学校)児童に届いたはがきが、同区内の民家で見つかった。茶色くなってはいるが、「元気な強い兵隊さんになって」という力強い文字が読める。当時受け取った美濃岡啓治さん(79)=同市垂水区=が差出人や家族を捜している。(中務庸子)


 はがきの消印は「昭和17年11月16日」で、陸軍病院「姫路市姫山分院一ノ西」に入院する「筒井高市」さんから出されている。趣味が古物収集という美濃岡さんの兄の家に保管されていたが、自宅を整理していて発見したという。

 当時、国民学校3年生だった美濃岡さんに宛てたもので、「お便り有難う」「来月退院出来ます」などの言葉が並ぶ。

 美濃岡さんによると、激励のために兵士を学校に招待し、体操や歌を披露した際、子どもたちが手紙などを入れた慰問袋を手渡したという。はがきはこの手紙への返信とみられるが、美濃岡さんは、自分がどんな手紙を書いたかなど、詳しいことは記憶にないという。

 同校は44年に陸軍兵の駐留所になった。子どもたちは集団疎開をすることになり、美濃岡さんも三田市の親類宅に身を寄せた。終戦までの約1年間は毎日、校庭に作った畑を耕したり、炭を焼いたりして過ごした。農家が空襲されたことや、下校中の児童が機銃掃射の犠牲になったこともあったという。

 「ひもじくて、つらくて、生きることに必死だった」と美濃岡さん。兵士から届いてちょうど70年。はがきを目にして複雑な思いが込み上げたという。美濃岡さんは「生きていたら会って当時のことを話したい。亡くなっていたとしても、直筆の手紙を親族にお返ししたい」と話している。

 手紙に関する情報は美濃岡さんTEL078・752・9688

2件のコメントがあります
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    こんにちは

    aramaさんの戦時中の六甲でのコメントを思い出します。
    世界に出て行くと国内外、アジア、極東、欧米、Europe人の話しを聞きます。
    若いときの☆=>=>=>(+_+。)ショックもありますがゆっくりと解決されるといいですね。
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    arama-さん
    2012/5/27 13:23

    ★我らの希望o(*^^)ノ⌒+。*;;・°(*^∀^)ノ♪さん

    こんにちは

    コメントありがとうございます

     

    時の流れを感じさせます。

     

    長いようでも、昔はすぐそばななだと。

     

     

     

     

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