ユリウスさんのブログ
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尊厳死協会のことなど -自然死はむずかしい
このBlog左欄の「人気記事30傑」のトップは2009年9月22日エントリーの「自殺幇助クリニック -ディグニタス」が占めている。3年前の記事を未だにたくさんの方々に読んでいただいているのは、どうやら「自殺」、「自殺幇助」だとか「尊厳死」、「尊厳死協会」だとか、今日的な重い意味のキーワードで検索されているかららしい。
会報「リビィング・ウイル」
翔年が1996年から入会している日本尊厳死協会とは、安らかな、人間らしい最後を迎える権利を求める一人一人が集まり、ともに終末期医療での「自己決定権の確立」をめざして活動している団体です。もっと平たく言えば「自分らしく死にたい!」という運動です。
最近送られてきた会報、『リビング・ウイルNo.145』から、気になったトピックを拾ってみます。
1 協会の会員数は 12万3278人(3月5日現在)です。(4月に入ってから12万5千人をオーバーした)
意外に会員数が少ないですね。会員は高齢者が多いので、お亡くなりになる方の数と新規加入会員の数が拮抗しているのかもしれません。もっと「会員になってよかった」という口コミやPRがなされなければ、会員増はむずかしいのでしょう。
2 2011年に志望退会届の出た遺族に「最期の医療に『尊厳死の宣言書(Living Will)』がいかされましたか」というアンケートをとったところ、回答のあった929人のうち約90%は「LWが生かされた」と答えています。
アンケートにはこんな言葉が綴られていたそうです。
「母のLWを見た医師は「自分の親であっても同様にするでしょう。」と答えられました。母のLWは娘である私たちを通して生かされ、安らかな最期を迎えられたと思います。(大阪府)
「父のLWを提示したものの、医師から「次に出来る事は気管切開しかない」と言われると、やはり家族はうろたえ、父の希望を忘れそうになりました。その時、数名いらした先生のうち年配の女医さんが「ご本人の意思を尊重するのが大事ではないでしょうか」と逆に諭してくださり、私も気持ちを落ち着かせ、父の意思に従うことができました。父がこの協会に入会したのは私の為だったな感じ、今でも涙がとまりません。(東京都)
しかし、LWを提示しても上手くいかないこともある。
「もう終末期だというのに、胃ろう・中心静脈カテーテル・大腸内視鏡検査・輸血等を進められました。「希望しません」と言いましたら、「では退院してください」と告げられました。(神奈川県)
「『できるだけのことをするのが務めだから』、『罪人にはなれないから』と医師にいわれました。本人は話せない、飲食できない、動けない、意識もないという状態でどんどん栄養補給されました。」(神奈川県)
「LWを提示しましたら薄情な娘だと白眼視され、医療者側との関係も険悪になり、今でも涙が出ます。医療産業として莫大な利益を得る為に病人を作り出しているようなこの現状では協会に入っていても無駄のようです。結局終末期になったら、西洋医学に近づかないという覚悟を持たない限り平穏な死を迎える事が出来ないと感じました。(大阪府)
上の例に見られるように、終末期医療においては、医療者側と患者・家族側の意識のズレがあり、それが感情のもつれや摩擦が生まれており、読むほうもいたたまりません。非は医療者側によりあると思います。
こういう事が起こらないように尊厳死協会では尊厳死立法にも取り組んでいる。議員連盟が国会で活動して既に6年を経過し、このほどようやく法律案の概要がまとまったところ。法律文に仕上げるまでにまだまだ細かい修正を施さないと同意が得られないという。多数の同意が得られないからといって、法律文に「無意味な延命措置は止める」と書かずに、「延命措置の差し控えができる」というようなゆるい表現になってしまったら、会員の望んでいる要求からかなり後退したものになってしまう。もうそうなりかけているように見える。わが国の「尊厳死立法」はどうやらあまり期待できない方向にあるように思います。
終末期医療現場からのもっと酷いこんな報告もありました。
「なぜこんなにもたくさん高齢者の胃ろうが増えたのか。理由のひとつに年金があります。これだけの不景気の中、毎月20万円もの年金をもらえる認知症の親がいるとします。その人がなくなったら生活に困るから胃ろうにして、一家がそれにすがって生きているケースが散見されます。自分の患者さんの中にも、『胃ろうチューブの交換に失敗したら訴えるぞ』と脅す家族がいます。よくよく聞くと、やはり年金なのです。」
最後のような事例は論外としても、医療が発達すればすればするほど、どこまでが延命治療なのか、素人には判断が大変難しくなっているのは事実。例えば人口栄養補給だって、枯れるように死にたいと望んでいる本人には余計なお世話だろうけど、医者や医療関係者は「病院という場ではやらざるを得ないと考える人が7割もおられるし、もし補給を控えた場合、法律問題を心配(殺人罪に問われる)されている医師が4割もいらっしゃるのです。
終末期医療は金がかかりすぎるというような経済の議論ではなく、自分の生をいかに終えたいかという本質的な議論が深められなければならないと思う。わが国は法制化議論ですら情緒的に流れがちなので、なかなか法文が確定できない。当面はやっぱり「尊厳死協会のこのカードをいつも持って歩き、必要な時に医師に示すしか、無用な延命処置を止めてもらう方法はいまのところわが国にはない。
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