iru*at*tu*ameさんのブログ
スーパーおばあさん。
私の母は、80代後半だが同じアパートで生活している。
何年か前に、「脳梗塞」になり入院した。
しかし、病院の紹介で「リハビリ病院」に入院する迄、2週間程で転院を繰り返し、どんどん自宅から遠い病院に入院する様になった。
その年の元旦は、リハビリ病院の家族控え室で迎え
「今年は、一体どんな年になるんだろう?」と思った。
その当時は、毎週自宅から病院迄、雪道を車で片道3時間位かけて通っていた。
(笛吹峠や、仙人峠を、滑りながら走っていた。)
幸い、母は障害が残ったものの退院する事が出来たが、暫くしたら「認知症」の症状が出てきた。
最初は、「認知症」と言うものの知識自体が無かったが、嫌でも覚えてしまった。
去年の東日本大震災の時には、母はディサービスに行っていて、そこから安全な所に
避難していて無事だった。
所が、そこの避難所も、私達が避難した避難所も、最初は800人以上が避難していた。
しかし、母が避難した避難所にはディサービスの職員さん達も一緒に避難していたんで
「安心」だった。
所が、母は「東日本大震災」の事が分からず
ディサービスの職員さん達に「却って、分からない方が幸せなんだ。」と言われていた。
地震保険が下りてからアパートに入ったが、私よりも家族が協力してくれるんで
特に問題無くアパートで生活出来ている。
もうアパートにいても、ご飯を食べたり、TVを見たり、昼寝をしたりで、特に気にもならない。
何とか、どこの施設にも入らせたくない。
私の町の仮設住宅には、私の母より高齢で一人で生活している「ス-パーおばあさん」も何人もいるがそこまでは望まない。
「なんとか、これ以上良くなってくれ。」とは思わない
「何とか、今以上悪くなって欲しくない。
今晩は。
介護施設も経営が苦しい所が多く、少しは歩ける高齢者も(職員の負担を少なくする為に)車椅子に乗せてしまう。
そうすると、高齢者の人達は、本当に歩けなくなってしまう。
そして、認知症になり、、、、。
私の母の場合、もう「記憶」と言う概念が無くなっているんですが、
食欲は旺盛で、おとなしく徘徊したり、暴力をふるうわけでもないんで
家族ともうまくいっています。
(私が、そう思っているだけかも知れませんが、、、、。)
お互い、「母を、施設には入れたくは無い。」ですね。
おはようございます。
介護は、これからの日本の重要な課題ですなぁ。
私のお袋も84歳。腰は曲がってしまいましたが、今のところは元気の領域。
ただ、元気がいつまで続くか?は準備しとかないと・・・・・
本人は施設には入りたくない、と言っていますが。