ユリウスさんのブログ
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囲碁百人一首(替え歌)
ひょんなことから江戸の狂歌に囲碁を詠んだ替え歌があることを知った。
あきれたのかれこれ囲碁の友を集めわがだまし手はつひに知れつつ 犬百人一首
この本歌が百人一首の一番
1 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
の替え歌であると分かるのに、時間はかからなかった。面白い、呆れるほど旨いと感心。
しばらく眺めているうちに、うろ覚えの百人一首で自分も出来そうなのが思い浮かんだ。手持ちの古い「百人一首」(昭和44年角川文庫)で本歌を確かめながら出来たのがこれ。
2 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 持統天皇
布石過ぎて中盤来にけらし白妙の風呂敷ひろげるアマの天狗山 アマ天狗
「百人一首」を片手にかたっぱしから思い浮かぶ替え歌を書きとめ、それを推敲して囲碁仲間の何人かに見せたところ、面白いと言ってもらえた。京都のIさんからは「本歌を決めて皆で競作したらおもしろいでしょう」というアイデアをいただいた。来年まで待てないので、忘れないように今までに出来たものを、ここに書きとめておこう。
7 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麻呂
アマの碁の振り変わりみれば悲しなる二、三十目も足らぬ局かも アマの仲好
この歌には酒飲みの替え歌がある。
あまの酒ふりさけみればかすかあるみかさも飲まばやがて尽きなむ 詠み人知らず
→ あまの酒=あまの甜酒。お神酒のこと。みかさ=三杯。
10 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関 蝉丸
あちこちとつけては跳ねて切りまくり死ぬも死なぬも乱戦の夜 空蝉
三連星打つも打たぬも広げては知るも知らぬも大風呂敷の碁 武宮太夫
14 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに 川原左大臣
隅奥のしのぶもぢずりそれよりも乱れそめにし今日の右隅 乱れ星朝臣
→ しのぶもぢずり=陸奥にある乱れ模様の織物のこと。「乱れ」にかかる序。
この歌の本歌取り。さすが定家、掛詞、縁語の技巧がすばらしい。
陸奥の信夫もぢずり乱れつつ色に恋ひむ思ひそめてき 藤原定家
17 ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは 在原業平朝臣
昔より助言も聞かず大甘碁地をくれないのコミが出ぬとは 無茶門殷
20 わびぬればいまはた同じ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思ふ 元良天皇
わびぬれば今また同じ形なり技尽くしても生きむとぞ思ふ 悪形天皇
わびぬれば6目半の大ゴミぞ何が何でも出さむとぞ思う 小寄せ名人
23 月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にあらねど 大江千里
那智黒に千々に蛤乱れけり我が身一つの臥所にあらねど 囲碁愛奴
→ 今のところ、これが一番艶っぽい。碁石は黒が那智の石、白はハマグリでできている。臥所=ふしど=ベッド。
48 風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな源 重之
切りをいたみ防戦の戦始まりぬ獲られて物を思ふころかな 無力の朝臣
60 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立 小式武内侍
大斜がけいく野の道の遠ければまだ勝ちも見ず無理な石立て 力自慢法師
→ 石立て=布石のこと=序盤戦。
70 さびしさに宿を立ちいでてながむればいづこもおなじ秋の夕ぐれ 良暹法師
悔しさに盤を立ちいでてながむればあちらこちらに屍るいるい 悪力法師
苦しさに盤を立ちいでて眺むれば煙草の煙まなこにしみいる 弱虫太夫
77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ 崇徳院
攻めをはやみ目つくりせかるる中盤の捌きの末は生きんとぞ思う 捌きの輔
99 人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑ物思ふ身は 後鳥羽院
死ぬは嫌殺すはあじきなし接待碁商談願ふゆえ物思ふ身は 接待関白
百人一首と言えば、どなたかの随筆にこの歌を読むとき、読み手の娘さんがぽっと頬を赤らめ、「さねかずら」にかかるころ、無意識に声が小さくなって、何とも言えない風情のある描写をされていたのを思い出す。
最後にこの歌の鑑賞で終わりにしたい。
左はサネカズラの花、右はサネカズラの実
Photo by 青木繁伸氏の「植物園へようこそ」
25 名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな 三条右大臣
(現代語訳)「逢って寝る」という名を持つ逢坂山のさねかずら。その蔓(つる)を手繰るように、人に知られずにやって来る方法がないものか。
→「あふ」は「逢う」と「逢坂」の掛詞。「さね」は「さねかずら」と「さ寝」の掛詞。「くる」は「来る」と「繰る」の掛詞。もがな=願望の終助詞。・・・てほしいなぁ。
恥をさらすが、翔年は今日まで娘さんが「さ寝」で声が小さくなるのは、「サネ」を「人に知られで繰る」意味からかと思っていたが、実はそうではなかった。「さ寝」は「小寝」で「逢ふ」の縁語だった。ヒドイ間違いにきずいて、こっちの顔が赤らむ。江戸川柳とは違う!
きみがよい頭こすったさねかずら 江戸川柳
→ 昔、さねかずらから採った樹液は整髪に用いられていたので、一応整髪のさまを詠んだと解釈できますが、どうでしょうか?
あきれたのかれこれ囲碁の友を集めわがだまし手はつひに知れつつ 犬百人一首
この本歌が百人一首の一番
1 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
の替え歌であると分かるのに、時間はかからなかった。面白い、呆れるほど旨いと感心。
しばらく眺めているうちに、うろ覚えの百人一首で自分も出来そうなのが思い浮かんだ。手持ちの古い「百人一首」(昭和44年角川文庫)で本歌を確かめながら出来たのがこれ。
2 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山 持統天皇
布石過ぎて中盤来にけらし白妙の風呂敷ひろげるアマの天狗山 アマ天狗
「百人一首」を片手にかたっぱしから思い浮かぶ替え歌を書きとめ、それを推敲して囲碁仲間の何人かに見せたところ、面白いと言ってもらえた。京都のIさんからは「本歌を決めて皆で競作したらおもしろいでしょう」というアイデアをいただいた。来年まで待てないので、忘れないように今までに出来たものを、ここに書きとめておこう。
7 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麻呂
アマの碁の振り変わりみれば悲しなる二、三十目も足らぬ局かも アマの仲好
この歌には酒飲みの替え歌がある。
あまの酒ふりさけみればかすかあるみかさも飲まばやがて尽きなむ 詠み人知らず
→ あまの酒=あまの甜酒。お神酒のこと。みかさ=三杯。
10 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関 蝉丸
あちこちとつけては跳ねて切りまくり死ぬも死なぬも乱戦の夜 空蝉
三連星打つも打たぬも広げては知るも知らぬも大風呂敷の碁 武宮太夫
14 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに 川原左大臣
隅奥のしのぶもぢずりそれよりも乱れそめにし今日の右隅 乱れ星朝臣
→ しのぶもぢずり=陸奥にある乱れ模様の織物のこと。「乱れ」にかかる序。
この歌の本歌取り。さすが定家、掛詞、縁語の技巧がすばらしい。
陸奥の信夫もぢずり乱れつつ色に恋ひむ思ひそめてき 藤原定家
17 ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとは 在原業平朝臣
昔より助言も聞かず大甘碁地をくれないのコミが出ぬとは 無茶門殷
20 わびぬればいまはた同じ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思ふ 元良天皇
わびぬれば今また同じ形なり技尽くしても生きむとぞ思ふ 悪形天皇
わびぬれば6目半の大ゴミぞ何が何でも出さむとぞ思う 小寄せ名人
23 月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にあらねど 大江千里
那智黒に千々に蛤乱れけり我が身一つの臥所にあらねど 囲碁愛奴
→ 今のところ、これが一番艶っぽい。碁石は黒が那智の石、白はハマグリでできている。臥所=ふしど=ベッド。
48 風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな源 重之
切りをいたみ防戦の戦始まりぬ獲られて物を思ふころかな 無力の朝臣
60 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立 小式武内侍
大斜がけいく野の道の遠ければまだ勝ちも見ず無理な石立て 力自慢法師
→ 石立て=布石のこと=序盤戦。
70 さびしさに宿を立ちいでてながむればいづこもおなじ秋の夕ぐれ 良暹法師
悔しさに盤を立ちいでてながむればあちらこちらに屍るいるい 悪力法師
苦しさに盤を立ちいでて眺むれば煙草の煙まなこにしみいる 弱虫太夫
77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ 崇徳院
攻めをはやみ目つくりせかるる中盤の捌きの末は生きんとぞ思う 捌きの輔
99 人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑ物思ふ身は 後鳥羽院
死ぬは嫌殺すはあじきなし接待碁商談願ふゆえ物思ふ身は 接待関白
百人一首と言えば、どなたかの随筆にこの歌を読むとき、読み手の娘さんがぽっと頬を赤らめ、「さねかずら」にかかるころ、無意識に声が小さくなって、何とも言えない風情のある描写をされていたのを思い出す。
最後にこの歌の鑑賞で終わりにしたい。
左はサネカズラの花、右はサネカズラの実
Photo by 青木繁伸氏の「植物園へようこそ」
25 名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな 三条右大臣
(現代語訳)「逢って寝る」という名を持つ逢坂山のさねかずら。その蔓(つる)を手繰るように、人に知られずにやって来る方法がないものか。
→「あふ」は「逢う」と「逢坂」の掛詞。「さね」は「さねかずら」と「さ寝」の掛詞。「くる」は「来る」と「繰る」の掛詞。もがな=願望の終助詞。・・・てほしいなぁ。
恥をさらすが、翔年は今日まで娘さんが「さ寝」で声が小さくなるのは、「サネ」を「人に知られで繰る」意味からかと思っていたが、実はそうではなかった。「さ寝」は「小寝」で「逢ふ」の縁語だった。ヒドイ間違いにきずいて、こっちの顔が赤らむ。江戸川柳とは違う!
きみがよい頭こすったさねかずら 江戸川柳
→ 昔、さねかずらから採った樹液は整髪に用いられていたので、一応整髪のさまを詠んだと解釈できますが、どうでしょうか?
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