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相場  忘却してはいけない事

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変わった話をしますが、株式市場は江戸相場や鎌倉相場に戻ったのです。

これは昭和の所得倍増論を行った方が、言った言葉で世界は江戸時代や

鎌倉時代に戻るべきだと意見した言葉で、進化を遂げる日本を見て絶望の苦悩に

悩まされ言葉を無くした実力者の言葉は思い出さないといけないのです。

まず、昭和初期の日本の国会議員は自分の財産で国会運営を受け持って責任ある

行動を取ってた人物、所謂、国民の憧れの先生のような存在で義務・責任・権利を

国民に教えていた貴重な存在の役職だった。その時には番頭と言う役職の方が

居て世話役も兼ねていた顧問的存在の自分の思考があり、町会の世話役も

やって、まぁ思考を育てる寺子屋の講師をして子供の育成や生甲斐などを教えて

文武両道、いわゆる、子育てや姉妹の相談事などに悩むカウンセラー専門家を

育ててた、世界があった。世話役が実務をこなし町会の片隅で教えるのですから、

厳しいのが当たり前の時代だから、子供も純粋に周りの相談の班長や日直など

自分達でけじめを付けて教えを習い貧しさに負けない自分達の掟が存在した。

そして学年が上になる度に責務をこなし実力ある、商いを始めたりしたが責務は

果たして後継者育成は欠かさず重責をと義務に見合う事は行い務めは勤めで

終わると生き抜きに行き付けのご贔屓の店に行き後輩に酒の飲み方も教えていた

昭和初期だった、この頃には料理研究に熱心な人物が居て、乏しい材料から

今では芸術と伝わる程の職人の「匠」と言われる棟梁が昭和中期の番頭となる。

こんな人物が番頭となるのですから経済は栄える一方です。何と言っても東京では

生き馬の目を抜く「江戸の番頭」を目標にするのですから、当時は歩合給が一般で

サラリーマンは下級社員と言う掟があった、しかしサラリーマンにも上級試験が

あって「ノルマ」達成の暁には管理職が与えられ福利厚生を堂々と受ける権利を

貰え出世の道を歩く歴史書などを苦学し自分の身で学んで家族や姉妹の相談を

仕事が終わると「鶴の一声」と例えられる勢いで片付け、青年団の集いで育成をし

大奥などの良い部分や見習う部分などを客観視して町会を元気にしてた昭和史が

あった事を忘れてはいけない。
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