ユリウスさんのブログ

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日本語の「は」はややこしい?

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例1  あなたのそういうところが好きだ

例2  あなたのそういうところは好きだ



 読者のみなさんは例1と例2のニュアンスの差をどのように感じとられますか?

 前者は単純に
「○○が好きだ」
と言っているだけだから、これは問題なし。だったら、後者の
「○○は好きだ」
と、どういう違いがあるのだろう。

 実は先日、仮にAさんとして話を進めますが、言葉のニュアンスの差が生じた。Aさんは翔年より大分若い世代に属するが、読書家で、かつ、言葉に対する感性が鋭い方です。

 Aさんの意見は「あなたのそういうところは好きだ」という言い方は、「他に嫌いなところもいろいろあるが、そういうところ(例えば律儀とか細やかとか)は好きだ」という意味になるから、言われた方は嬉しくないということだった。もっと言えば「が」を使って欲しいということらしい。

 翔年はそうではなくて「カレーは大好きです」といったからと言って、カレー以外は嫌いという意味になるとは限らない。他にもたくさん好きな食べ物はあるけれど、カレーは特に好きですという対比の強調になると主張した。

 二人の意見は平行線をたどりました。決して痴話喧嘩ではありません。刺激的な「好き」という言葉を用いて、話を盛り上げようとしているだけです。ご心配なく。


閑話休題
 日本語の助詞「は」と「が」については、世界に同じような働きをする言葉を持つ言語はないため、外国人はこの習得にそうとう苦労するらしい。

 日本語を学ぶ中国人向けの教科書(文法)には「は」と「が」について、六つの原理が書いてある。(例は翔年が付け加えました。)


1 新情報と旧情報の原理:旧情報には「は」、新情報には「が」
昔々、あるところにおじいさん「が」おりました。(その)おじいさん「は」山へ柴刈に行きました。

2 現象文と判断文の原理:判断文には「は」、現象文には「が」
像「は」鼻「が」長い。

3 措定と指定の原理:措定には「は」、指定には「は」か「が」
(省略)
4 有題文と無題文の原理:有題文には「は」、無題文には「が」
(省略)
5 文と節の原理:文の中には「は」、節の中には「が」
(省略)
6 対比と排他の原理:対比のときは「は」、排他のときは「が」
カレーは好き。(他の食べ物と対比して)、カレーが好き(他の食べ物は嫌い)

この区分けによれば、論争は6の対比と排他の原理に該当するので、翔年の意見に分がある。(Aさんがいうように「が」を使えばそういうこと以外は嫌いになってしまう)ただしこれは中国人向けの文法書の話、日本人による日本語の先生の意見も確かめておこう。


 大野晋先生の「日本語練習帳」では「はの働き」を下のように説明されている。(翔年がはしょったり、付け加えたりしています)

1 問題(topic)を設定して下に答が来ると予約する。
○山田君はビデオにうずもれて暮らしている。 →山田君はドウシテイルカトイウト・・・暮らしている。
○それを繰り返している間は試験にうからないだろう。 →それを繰り返している間はドウナルカトイウト・・・受からないだろう。

2 対比
○山田さんは碁は打つが将棋は指さない。
○私は猫は嫌い。 →犬はとか馬はとか書いてないが「別の何かは(好きだけど)」が言外にある。
これだ。この例がAさんの主張にピッタリ合う。これがある限り、彼女は主張を曲げないと思われる。

3 限度
○四時からはあいています。(それ以前はダメです)
これは暗に「それ以前は」と対比していると考えれば2の延長線上にある使い方ですね。

4 再問題化
○美しくは見えた。
この「は」があると、例えば「美しく見えた。しかし遠くから見たら」のように条件がついて単純な肯定ではなくなる。
○美しくはなかった。
これは「美しく」と肯定の判断を一度は確定的に下しているが、にもかかわらず、「は」で再び問題として設定しなおしたもの。それは再問題化であり、直前の判断に留保条件をつけたり、否定したりすることにつながる。

 ここで、元に戻って、頭書の「あなたのそういうところは好きだ」の「は」を再問題化の「は」とすると、言外に「(あなたの、ああいうところ、こういうところ、好きなところは色々ありますが)、」「あなたのそういうところは」と再設定しなおして「好きだ」と言っているという翔年の主張も、あながち的外れではないと思いますがどうでしょうか?


 
 文法が必要なのは知らない言語を学ぶ時です。しかし、日本人は日本語の文法など知らなくても日本語で意思疎通は出来ると単純に言い切ることは出来ません。それで、今回は文脈に頼らず、徹底的に文法的な解釈で対処しようとしました。上に見たように、文法的解釈では1勝1敗でした。

 上で「文脈にたよらず」と書きました。大野晋、丸谷才一著「日本語で一番大事なもの」には「『は』と『が』を考えていくうえでは、事項の文脈においてどういうふうな了解が話してと聞き手との間にあるか、ということを見るのが大事なんです。」とありますから、これでこの問題が一件落着したという訳ではありません。(今回は文脈は無視しましたから)
 
 女性は「受身の性」、「見られる性」といわれる。それ故かどうか知りませんが、一般的に「愛する」、「好き」、「嫌い」、「きれい」、「魅力的」などの言葉には強い反応がある。(男の場合、「自由」とか「正義」とか「強い」、「弱い」などかな)そういうことも考慮して考察すれば、翔年のように文法を盾に頑張るのは野暮というもの、おっしゃるとおり「は」ではなく「が」を使うべきでした、と頭を下げる方が大人の態度だったかもしれません。



応用問題:
この歌の三つの「は」は文法的にいえばどうなるでしょう?

秋はきぬ紅葉はやどにふりしきぬ道ふみわけてとふ人はなし   古今集


 もし、読者の中で、漱石や鴎外や谷崎などの文学作品中に、今回の「は」がどのような使われ方をしているかを調べた文献をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。
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