堅実さんのブログ

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お爺さんの血筋(6.4.27)8時57分

(1ドル158円ですか。歴史は繰り返すというが、おそらく、しばらくして、どこどこの投機筋が、破綻したというニュースがでるだろう。こんな事を、考えるに、人は馬鹿だと思う。破綻した、経済を混乱させた投機筋には、全く同情はしないが)

 

よく、あの人は,だれだれの血を受け継いでいると言うが、私の場合、それはお爺さんである。お爺さんは、それこそ働き者で、家が農家なので、朝まだ暗いうちから畑に出て、働いた。近所の人が、起きてみると、お爺さんが、ひと仕事をして家に帰るところだった。近所の人は、このことを小学生の私に話した。


 また、お爺さんは、当時では「やり手」だった。始めは、畑が少ないので、畑を売りに出す人から、畑を買った。その数は4か所くらいだった。


 こんな、こともあった。雪が降ってきそうだと、お爺さんは、畑に出て、「ほうれん草」を取って、雪の降った日(この辺りでは積雪が、10センチくらい)に、自転車の後ろにリヤカーを付け、「前橋青果市場」に出した。それは、通常の3倍の値段がついた。他の農家は雪が降れば、野菜を、出さない日である。こんな事を予想して、畑仕事をしていた。その代り、寒い思いをしている。まあこんな風に、その場その場の機転がよくつく人だった。


 こんな事を、お爺さんから学んだ。そして成人してから、今度は自分が、コツコツと、やり始めることに、それは、自然になっていった。まず、生活をしっかりするために就職し、収入を確保した。そして、雑誌から「給料の1割は、貯蓄せよ」という記事を見つけ、これを、実践してみた。


ある程度、預金が溜まったときに、会社で、株式投資をしている人の話を聞いて、今度は自分も株式投資を始めた。若い時にどんな人に、会うかで、その人の人生は、影響を、うける。


 そして、このままではいけないと思い、慶応の通信教育を始めた。結局、振り返ると、今まで、学習、学習の人生だった。株は、調べる事に重点をおき、会社四季報、雑誌、罫線の本などを、読みあさった。これも、だいたい、うまくいき、退職時に、家を現金で、建てたこと。(まあ、これは、ねたまれました)子供、二人を、借金無しで大学までの資金を出したこと。そして、現在、ほどほどの、投資資金が有ることである。


 「三才児の魂、死ぬまで続く」というが、私の人生は、お爺さんに、学んだことが大きい。

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10件のコメントがあります
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    堅実さん
    2024/4/29 11:12
    tukumodayo    さんへ

    「転校するまでは、暴力が支配する
    超~危険な地域で暮らしていましたからね。
    虐めを見過ごせない性格でしたから
    必然的にDNAに頼らざるを得ません
    でしたね。
    転校先で初恋の女の子に涙で暴力を
    諫められ、その後はガルガル犬から
    可愛いプードルに変貌いたしましたよ。」

    了解、しました。

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    tukumodayoさん
    2024/4/29 07:55
    4798f28bc 







    堅実さんへ

    転校するまでは、暴力が支配する
    超~危険な地域で暮らしていましたからね。
    虐めを見過ごせない性格でしたから
    必然的にDNAに頼らざるを得ません
    でしたね。
    転校先で初恋の女の子に涙で暴力を
    諫められ、その後はガルガル犬から
    可愛いプードルに変貌いたしましたよ。
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    堅実さん
    2024/4/28 20:51
    tukumodayo   さんへ

    「小生は、祖父よりDNA的な恩恵を
    受けていると思いますね。
    祖父は、強靭な剣術家でしたからね。
    祖父は、小生が小学校に入学する日に
    笑い過ぎで血圧が上がり笑顔のままで
    亡くなりましたので、一緒に過ごした
    時間と記憶は希薄ですが、小生の事を
    一番可愛がってくれていましたね。
    老人になっても、俵3ヶを担いでる
    写真が残っていました。
    地方巡業の相撲取りが担いだので
    担げるのか試したそうですけどね。」

    剣術家ですか。これは凄いですね。
    俵3つを、担ぐのは、これまた、凄いですね。
    昔、良く、石塔を、夜こっそり持ち上げたという話を、聞きました。
    昔は、力自慢が、普通の世の中だったですね。

    「学習ではなく、肉体的なDNAで小生を
    守ってくれていたと感謝致しておりますね。
    小生が自分に一番似ていると感じてたのかも
    知れませんね。
    剣術家の爺さまは・・・・・・・・・???」

    しかしまあ、今までの、コメントを見ると、少し、
    乱暴な人生を歩んでますね。
    喧嘩の人生だったですね。
    まかり、間違えば、命が、無かったですね。
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    tukumodayoさん
    2024/4/28 18:30
    堅実さんへ

    小生は、祖父よりDNA的な恩恵を
    受けていると思いますね。
    祖父は、強靭な剣術家でしたからね。
    祖父は、小生が小学校に入学する日に
    笑い過ぎで血圧が上がり笑顔のままで
    亡くなりましたので、一緒に過ごした
    時間と記憶は希薄ですが、小生の事を
    一番可愛がってくれていましたね。
    老人になっても、俵3ヶを担いでる
    写真が残っていました。
    地方巡業の相撲取りが担いだので
    担げるのか試したそうですけどね。
    学習ではなく、肉体的なDNAで小生を
    守ってくれていたと感謝致しておりますね。
    小生が自分に一番似ていると感じてたのかも
    知れませんね。
    剣術家の爺さまは・・・・・・・・・???
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    堅実さん
    2024/4/28 09:39
    りす栗  さんへ

    「血も争えないが、身近に学んだというのも価値がありますね。
    自分のルーツに興味はありますが、どうも縁遠くなってしまい、代わりに現在の子や孫を大切にするようにしております。」

    ありがとう、ございます。
    驚く事に、生家の本家では、東京帝国大学(東京大学)の、医学部を卒業した人が、おります。戦前ですので、当時は、今の群馬大学医学部は、医学専門学校でした。
    そんな訳で、当時の群馬県知事から、公立病院を造るときに、初代の病院長になってくれと、本家にお願いにきました。
    近所の人が、知事が来たと言い、本家の庭に集まりました。
    そこで、知事が、帰る時に、ぺこぺこと、頭を下げたので、どっちが
    知事だか、分からないと、言っておりました。

    私には、ある程度、そんな血が、流れております。
    しかし、その後のトレーニングですね。
    いかに、自己開発するかです。


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    りす栗さん
    2024/4/28 08:45
    こんにちは。

    血も争えないが、身近に学んだというのも価値がありますね。

    自分のルーツに興味はありますが、どうも縁遠くなってしまい、代わりに現在の子や孫を大切にするようにしております。

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    堅実さん
    2024/4/27 21:48
    小監督  さんへ

    今、ユーチューブでキャンピングカーを見ております。
    何で、わざわざ、不自由な生活をするのかと、思います。

    「昔の人は朝早くから夜遅くまで、よく働いていましたね。 
    電化製品もなかったので、女性の家事も重労働だったと思います 」

    そうですね。ご飯は、昔の釜で、薪を燃やして炊きました。
    生家では、蚕を飼うので、桑の枝が燃料だったです。
    燃料費は、かかりませんでした。

    「私の祖父は兼業農家だったこともあり、
    今で言う、過労死で亡くなったのではと言われています 」

    そういう事もありますね。

    「今は当時よりも自分の時間がたくさんあるはずなんですけれどね 」
    そうなんです。
    全てにおいて、便利になり、その分、時間が、昔より十分あるのです。
    しかし、人はその余暇の時間を、つまらない」ことに使っております。
    「小人、閑居して、不善を成す」ですか。


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    小督さん
    2024/4/27 21:31
    こんばんは 

    昔の人は朝早くから夜遅くまで、よく働いていましたね。 
    電化製品もなかったので、女性の家事も重労働だったと思います 

    私の祖父は兼業農家だったこともあり、
    今で言う、過労死で亡くなったのではと言われています 

    今は当時よりも自分の時間がたくさんあるはずなんですけれどね
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    堅実さん
    2024/4/27 12:30
    風車の弥吉  さんへ

    「立派なお人だったんですね。
    私の祖父もそうだったようです。
    まぁ先代の人達はそういう人が多かったようです。
    粗食に甘んじて働き者。今の我々は幸せと言わなければ。」


    ありがとう、ございます。
    とにかく、働きものだったですね。農家なので、休日は、
    有りませんでした。
    祖父は、これといった、楽しみは、ありませんでした。
    ひとつだけ、こんな事が、あります。
    夏に、花火を大量に買い、近所の人に話して、庭で花火を
    打ち上げました。
    農家の庭は広いので、それと、屋敷内の前が畑だったので、
    火災の危険は、ありませんでした。
    楽しみと言えば、これくらいです。


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    風車の弥吉さん
    2024/4/27 10:36
    おはようございます。

    立派なお人だったんですね。

    私の祖父もそうだったようです。
    まぁ先代の人達はそういう人が多かったようです。

    粗食に甘んじて働き者。今の我々は幸せと言わなければ。