今でも、永平寺の修行に行くと聞けば、身構える。今でも、通常では理解 できない厳しい修行である。ここのお寺だけは、道元禅師の教えを、厳格に守っている。とにかく、修行中、それで死ねば、本望であるというのである。
まあ、大抵の人は尻込みする。それくらい厳しい。托鉢では、雨が降ろうが、ずぶぬれになろうが、予定どおり家々を回る。これを見ただけでも、びっくりすることだろう。すぶ濡れになって、お寺へ帰る。それでも、一言も不平を言わない。いや、いう事ができない。言えば、「あなたは、永平寺ではだめだから、里へ帰りなさい」と、言われるだけである。
冬でも、暖房設備などない。マイナス10度の修行の間で、ひたすら、只管打坐(座禅の姿勢)で、無言のまま、一日を終わる。そして、居眠りが出ると、尺状(細長い板)で、思いきり背中を叩く。これが多いと、腫れあがるという。容赦しない。板が折れる場合もあるという。その後、丁寧に頭を下げるのは、肉体を痛めて、申し訳がないということである。
それにしても、厳しい。寒中は、10日間だろうか。この10日間を、一日として、座禅だけである。この時の、睡眠時間は、3時間くらいだという。おそらく、最後には、意識が、もうろうとしてくるだろう。ひたすら苦痛を与え、我慢するのである。
こんな事だから、永平寺で、1年間、修行をしたと聞けば、大抵の人は、恐れるだろう。
今「へずまりゅう」は、社会から、叩かれている。信用回復には、永平寺に、行ったらどうかと、思うが。