3,313円
オリンパスの個人投資家の売買予想
予想株価
1,500円
登録時株価
1,289.0円
獲得ポイント
-19.85pt.
収益率
-6.90%
期間
理由
http://www.fooooo.com/watch.php?id=53ea37c258099c252085f61935a33063
「オリンパスへの御裁きは?上場廃止(島流し)ですか?」
⇒「いいえ」
ばう、ばう~~~
※注、そもそも最近東証一部の1日あたりの売買代金が減っているのは、オリンパスのせいだと決めつける方がいらっしゃるけれども、本当は、景気が悪いから・・
↓2003年6月以前の日経平均2万円からの右肩下がり一方通行の時の見てみぃ
http://www.tse.or.jp/market/data/v_and_v/index.html
【売買高・売買代金】の【株式・債券 (2011年12月)】のエクセルのとこね。
今よりも、えらく出来高が終了してるバウよ・・・・
本当は、景気の悪いせいで、東証の商いが低調なのに、ガイジンが、日本株を倦厭してる原因だとかして何でもかんでもオリンパスのせいにしたらアカンばうよ。
あまりに古典過ぎてつまらないバウねぇ・・・フランスの財政赤字は膨大な戰費
が大原因なのに、マリ―アントワネットの浪費が原因だとして、マリ―アントワネットをキロチンにかけた何100年も前の利用された無知な民衆と大差が無いバウねぇ。
まあ、批判の矛先、不満のはけ口がわりに、オリンパスを格好の標的にしたい気持ちは分かるばうが・・・・
「オリンパスへの御裁きは?上場廃止(島流し)ですか?」
⇒「いいえ」
ばう、ばう~~~
※注、そもそも最近東証一部の1日あたりの売買代金が減っているのは、オリンパスのせいだと決めつける方がいらっしゃるけれども、本当は、景気が悪いから・・
↓2003年6月以前の日経平均2万円からの右肩下がり一方通行の時の見てみぃ
http://www.tse.or.jp/market/data/v_and_v/index.html
【売買高・売買代金】の【株式・債券 (2011年12月)】のエクセルのとこね。
今よりも、えらく出来高が終了してるバウよ・・・・
本当は、景気の悪いせいで、東証の商いが低調なのに、ガイジンが、日本株を倦厭してる原因だとかして何でもかんでもオリンパスのせいにしたらアカンばうよ。
あまりに古典過ぎてつまらないバウねぇ・・・フランスの財政赤字は膨大な戰費
が大原因なのに、マリ―アントワネットの浪費が原因だとして、マリ―アントワネットをキロチンにかけた何100年も前の利用された無知な民衆と大差が無いバウねぇ。
まあ、批判の矛先、不満のはけ口がわりに、オリンパスを格好の標的にしたい気持ちは分かるばうが・・・・
4件のコメントがあります
↓各方面に、当たり障りのないものだけ再掲載バウ。
●今更、人(獣可◎)には聞けない【7733】オリンパスの基礎の基礎●②
*≪オリンパス業績推移≫*
〔売上髙〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和23年 4700万円
昭和24年 9900万円
昭和25年 1億5000万円
昭和26年 3億4000万円
昭和27年 4億8000万円
昭和28年 8億8300万円
昭和29年 11億8700万円
昭和30年 9億0400万円
昭和31年 13億1900万円
昭和32年 14億5700万円
昭和33年 14億7000万円
昭和34年 15億6800万円
昭和35年 20億3700万円
昭和36年 28億6600万円
昭和37年 41億7200万円
昭和38年 57億4300万円
昭和39年 79億4200万円
昭和40年 82億2300万円
昭和41年 79億8700万円
昭和42年 95億0100万円
昭和43年 117億4200万円
昭和44年 143億7200万円
昭和45年 179億7300万円
昭和46年 176億7000万円
昭和47年 198億1000万円
昭和48年 254億0300万円
昭和49年 365億6100万円
昭和50年 459億3600万円
昭和51年 535億6800万円
昭和52年 639億5700万円
昭和53年 655億7300万円
昭和54年 810億5400万円
昭和55年 963億5800万円
昭和56年 1031億7200万円
昭和57年 1089億5300万円
昭和58年 1058億0200万円
昭和59年 1159億8300万円
昭和60年 1285億6600万円
昭和61年 1208億9000万円
昭和62年 1224億9100万円
昭和63年 ※514億4300万円
1989年 1391億8300万円
1990年 1574億2300万円
1991年 1729億6600万円
1992年 1857億5400万円
1993年 1877億5300万円
1994年 1769億1500万円
1995年 1746億9500万円
1996年 1763億2400万円
1997年 2017億0600万円
1998年 2369億8500万円
1999年 2573億9100万円
2000年 2794億4600万円
2001年 3129億3100万円
2002年 3282億6800万円
2003年 3463億6400万円
2004年 4251億8400万円
2005年 2589億5300万円
〔營業利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和50年 62億8400万円
昭和51年 72億5600万円
昭和52年 87億9900万円
昭和53年 53億0700万円
昭和54年 114億6400万円
昭和55年 138億7200万円
昭和56年 130億3700万円
昭和57年 130億5000万円
昭和58年 63億9100万円
昭和59年 67億7700万円
昭和60年 67億6100万円
昭和61年 31億0800万円
昭和62年 56億3300万円
昭和63年 ※22億1300万円
1989年 86億6800万円
1990年 113億8400万円
1991年 140億0800万円
1992年 137億1000万円
1993年 136億5300万円
1994年 88億2700万円
1995年 74億7100万円
1996年 57億6100万円
1997年 120億7700万円
1998年 193億1600万円
1999年 209億2700万円
2000年 131億7700万円
2001年 173億0300万円
2002年 202億8700万円
2003年 318億7800万円
2004年 215億3800万円
2005年 ▲24億0400万円
〔経常利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和41年 5億6300万円
昭和42年 7億2700万円
昭和43年 9億5600万円
昭和44年 12億9900万円
昭和45年 15億7500万円
昭和46年 8億0600万円
昭和47年 7億2300万円
昭和48年 24億2300万円
昭和49年 40億6600万円
昭和50年 62億1800万円
昭和51年 69億1800万円
昭和52年 90億3300万円
昭和53年 68億3800万円
昭和54年 105億2000万円
昭和55年 134億1100万円
昭和56年 132億1800万円
昭和57年 144億1900万円
昭和58年 66億0000万円
昭和59年 80億0900万円
昭和60年 81億5600万円
昭和61年 105億8800万円
昭和62年 70億2100万円
昭和63年 ※27億2400万円
1989年 97億4300万円
1990年 140億3500万円
1991年 127億1600万円
1992年 103億7900万円
1993年 93億6300万円
1994年 63億1500万円
1995年 63億5900万円
1996年 49億0300万円
1997年 60億1700万円
1998年 103億4200万円
1999年 100億5700万円
2000年 78億8800万円
2001年 123億4400万円
2002年 177億5500万円
2003年 280億3100万円
2004年 242億9900万円
2005年 ▲15億5500万円
〔純利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和23年 100万円
昭和24年 300万円
昭和25年 700万円
昭和26年 3900万円
昭和27年 6700万円
昭和28年 1億2800万円
昭和29年 1億3900万円
昭和30年 5900万円
昭和31年 1億5400万円
昭和32年 1億8200万円
昭和33年 1億4100万円
昭和34年 1億2800万円
昭和35年 1億3700万円
昭和36年 1億8600万円
昭和37年 3億4900万円
昭和38年 2億3300万円
昭和39年 3億4000万円
昭和40年 3億4800万円
昭和41年 3億1400万円
昭和42年 3億7800万円
昭和43年 4億8800万円
昭和44年 6億4300万円
昭和45年 7億5600万円
昭和46年 2億4700万円
昭和47年 2億9400万円
昭和48年 6億3800万円
昭和49年 12億1700万円
昭和50年 26億9000万円
昭和51年 31億8300万円
昭和52年 39億2600万円
昭和53年 33億6600万円
昭和54年 49億0100万円
昭和55年 63億2600万円
昭和56年 67億8500万円
昭和57年 72億9800万円
昭和58年 35億6000万円
昭和59年 40億5200万円
昭和60年 43億9000万円
昭和61年 105億8800万円
昭和62年 30億1100万円
昭和63年 ※54億9100万円
1989年 52億4300万円
1990年 76億1300万円
1991年 73億0200万円
1992年 43億0900万円
1993年 19億3700万円
1994年 31億4700万円
1995年 40億8800万円
1996年 21億7700万円
1997年 25億8100万円
1998年 64億2200万円
1999年 47億7900万円
2000年 ▲50億8900万円
2001年 75億0700万円
2002年 50億6200万円
2003年 114億8600万円
2004年 204億6000万円
2005年 15億8400万円
〔売上髙〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 1350億0500万円
昭和56年 1368億1700万円
昭和57年 1449億7500万円
昭和58年 1431億2700万円
昭和59年 1573億8400万円
昭和60年 1658億6300万円
昭和61年 1557億1900万円
昭和62年 1651億5300万円
昭和63年 ※678億0700万円
1989年 1916億4800万円
1990年 2191億9500万円
1991年 2484億3900万円
1992年 2601億1100万円
1993年 2677億1800万円
1994年 2395億5100万円
1995年 2520億9700万円
1996年 2561億4800万円
1997年 3104億7700万円
1998年 3649億8200万円
1999年 4137億4400万円
2000年 4286億4600万円
2001年 4667億0400万円
2002年 5284億1500万円
2003年 5643億4300万円
2004年 6336億2200万円
2005年 8135億3800万円
2006年 9781億2700万円
2007年 1兆0617億8600万円
2008年 1兆1288億7500万円
2009年 9808億0300万円
2010年 8830億8600万円
2011年 8771億7500万円
〔營業利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 198億2100万円
昭和56年 172億9400万円
昭和57年 120億5800万円
昭和58年 84億4900万円
昭和59年 112億3800万円
昭和60年 115億8500万円
昭和61年 52億2500万円
昭和62年 92億6000万円
昭和63年 ※ 40億8400万円
1989年 150億1800万円
1990年 166億5500万円
1991年 206億9400万円
1992年 138億0500万円
1993年 183億1200万円
1994年 42億3100万円
1995年 103億4800万円
1996年 151億6200万円
1997年 209億6100万円
1998年 305億4100万円
1999年 381億9100万円
2000年 301億3200万円
2001年 354億9600万円
2002年 422億8300万円
2003年 623億4600万円
2004年 629億9700万円
2005年 231億5300万円
2006年 625億2300万円
2007年 987億2900万円→訂正 987億円
2008年 1126億2300万円→訂正1128億円
2009年 345億8700万円→訂正 427億円
2010年 601億4900万円→訂正 612億円
2011年 353億6000万円→訂正 384億円
〔経常利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 186億8800万円
昭和56年 148億1100万円
昭和57年 123億9600万円
昭和58年 109億7500万円
昭和59年 133億7900万円
昭和60年 124億3500万円
昭和61年 152億6300万円
昭和62年 99億8300万円
昭和63年 ※ 88億2500万円
1989年 131億3100万円
1990年 177億1800万円
1991年 160億4100万円
1992年 60億7500万円
1993年 104億5300万円
1994年 ▲2億4500万円
1995年 48億0700万円
1996年 69億8800万円
1997年 57億3800万円
1998年 144億2700万円
1999年 200億5700万円
2000年 207億8400万円
2001年 226億8900万円
2002年 314億3500万円
2003年 524億1600万円
2004年 558億2900万円
2005年 102億0400万円
2006年 412億0600万円
2007年 762億2600万円→訂正 783億円
2008年 930億8500万円→訂正 973億円
2009年 183億9000万円→訂正 257億円
2010年 451億1500万円→訂正 461億円
2011年 221億4800万円→訂正 232億円
〔純利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 78億6700万円
昭和56年 70億3900万円
昭和57年 44億0600万円
昭和58年 38億0000万円
昭和59年 55億7000万円
昭和60年 58億1900万円
昭和61年 77億3000万円
昭和62年 51億9900万円
昭和63年 ※ 38億2900万円
1989年 66億7700万円
1990年 83億7700万円
1991年 96億8600万円
1992年 50億7800万円
1993年 38億0500万円
1994年 5億5600万円
1995年 31億0100万円
1996年 20億4100万円
1997年 23億2200万円
1998年 93億0900万円
1999年 88億8300万円
2000年 18億6000万円
2001年 117億8700万円
2002年 102億7900万円
2003年 243億4800万円
2004年 335億6400万円
2005年 ▲118億2700万円
2006年 285億6400万円
2007年 477億9900万円→訂正 470億円
2008年 579億6900万円→訂正 546億円
2009年 ▲1148億1000万円→訂正▲506億円
2010年 477億6300万円→訂正 525億円
2011年 73億8100万円→訂正 39億円
〔配当金〕(※1株・円表記後のもの)
~昭和37年までは計算方法複雑にて割愛。※戦後間もなくの時期のみ無配
昭和38年 6円
昭和39年 6円
昭和40年 6円
昭和41年 6円
昭和42年 6円
昭和43年 6円
昭和44年 6円75銭
昭和45年 7円50銭
昭和46年 5円
昭和47年 5円
昭和48年 5円50銭
昭和49年 6円
昭和50年 6円
昭和51年 7円50銭
昭和52年 7円50銭
昭和53年 7円50銭
昭和54年 9円
昭和55年 9円
昭和56年 11円
昭和57年 12円
昭和58年 13円
昭和59年 13円
昭和60年 13円
昭和61年 13円
昭和62年 13円
昭和63年 ※5円50銭
1989年 13円
1990年 13円
1991年 13円
1992年 13円
1993年 13円
1994年 13円
1995年 記13円50銭
1996年 13円
1997年 13円
1998年 13円
1999年 13円
2000年 6円50銭
2001年 13円
2002年 13円
2003年 14円
2004年 15円
2005年 15円
2006年 22円
2007年 35円
2008年 40円
2009年 20円
2010年 30円
2011年 30円
●今更、人(獣可◎)には聞けない【7733】オリンパスの基礎の基礎●②
*≪オリンパス業績推移≫*
〔売上髙〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和23年 4700万円
昭和24年 9900万円
昭和25年 1億5000万円
昭和26年 3億4000万円
昭和27年 4億8000万円
昭和28年 8億8300万円
昭和29年 11億8700万円
昭和30年 9億0400万円
昭和31年 13億1900万円
昭和32年 14億5700万円
昭和33年 14億7000万円
昭和34年 15億6800万円
昭和35年 20億3700万円
昭和36年 28億6600万円
昭和37年 41億7200万円
昭和38年 57億4300万円
昭和39年 79億4200万円
昭和40年 82億2300万円
昭和41年 79億8700万円
昭和42年 95億0100万円
昭和43年 117億4200万円
昭和44年 143億7200万円
昭和45年 179億7300万円
昭和46年 176億7000万円
昭和47年 198億1000万円
昭和48年 254億0300万円
昭和49年 365億6100万円
昭和50年 459億3600万円
昭和51年 535億6800万円
昭和52年 639億5700万円
昭和53年 655億7300万円
昭和54年 810億5400万円
昭和55年 963億5800万円
昭和56年 1031億7200万円
昭和57年 1089億5300万円
昭和58年 1058億0200万円
昭和59年 1159億8300万円
昭和60年 1285億6600万円
昭和61年 1208億9000万円
昭和62年 1224億9100万円
昭和63年 ※514億4300万円
1989年 1391億8300万円
1990年 1574億2300万円
1991年 1729億6600万円
1992年 1857億5400万円
1993年 1877億5300万円
1994年 1769億1500万円
1995年 1746億9500万円
1996年 1763億2400万円
1997年 2017億0600万円
1998年 2369億8500万円
1999年 2573億9100万円
2000年 2794億4600万円
2001年 3129億3100万円
2002年 3282億6800万円
2003年 3463億6400万円
2004年 4251億8400万円
2005年 2589億5300万円
〔營業利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和50年 62億8400万円
昭和51年 72億5600万円
昭和52年 87億9900万円
昭和53年 53億0700万円
昭和54年 114億6400万円
昭和55年 138億7200万円
昭和56年 130億3700万円
昭和57年 130億5000万円
昭和58年 63億9100万円
昭和59年 67億7700万円
昭和60年 67億6100万円
昭和61年 31億0800万円
昭和62年 56億3300万円
昭和63年 ※22億1300万円
1989年 86億6800万円
1990年 113億8400万円
1991年 140億0800万円
1992年 137億1000万円
1993年 136億5300万円
1994年 88億2700万円
1995年 74億7100万円
1996年 57億6100万円
1997年 120億7700万円
1998年 193億1600万円
1999年 209億2700万円
2000年 131億7700万円
2001年 173億0300万円
2002年 202億8700万円
2003年 318億7800万円
2004年 215億3800万円
2005年 ▲24億0400万円
〔経常利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和41年 5億6300万円
昭和42年 7億2700万円
昭和43年 9億5600万円
昭和44年 12億9900万円
昭和45年 15億7500万円
昭和46年 8億0600万円
昭和47年 7億2300万円
昭和48年 24億2300万円
昭和49年 40億6600万円
昭和50年 62億1800万円
昭和51年 69億1800万円
昭和52年 90億3300万円
昭和53年 68億3800万円
昭和54年 105億2000万円
昭和55年 134億1100万円
昭和56年 132億1800万円
昭和57年 144億1900万円
昭和58年 66億0000万円
昭和59年 80億0900万円
昭和60年 81億5600万円
昭和61年 105億8800万円
昭和62年 70億2100万円
昭和63年 ※27億2400万円
1989年 97億4300万円
1990年 140億3500万円
1991年 127億1600万円
1992年 103億7900万円
1993年 93億6300万円
1994年 63億1500万円
1995年 63億5900万円
1996年 49億0300万円
1997年 60億1700万円
1998年 103億4200万円
1999年 100億5700万円
2000年 78億8800万円
2001年 123億4400万円
2002年 177億5500万円
2003年 280億3100万円
2004年 242億9900万円
2005年 ▲15億5500万円
〔純利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和23年 100万円
昭和24年 300万円
昭和25年 700万円
昭和26年 3900万円
昭和27年 6700万円
昭和28年 1億2800万円
昭和29年 1億3900万円
昭和30年 5900万円
昭和31年 1億5400万円
昭和32年 1億8200万円
昭和33年 1億4100万円
昭和34年 1億2800万円
昭和35年 1億3700万円
昭和36年 1億8600万円
昭和37年 3億4900万円
昭和38年 2億3300万円
昭和39年 3億4000万円
昭和40年 3億4800万円
昭和41年 3億1400万円
昭和42年 3億7800万円
昭和43年 4億8800万円
昭和44年 6億4300万円
昭和45年 7億5600万円
昭和46年 2億4700万円
昭和47年 2億9400万円
昭和48年 6億3800万円
昭和49年 12億1700万円
昭和50年 26億9000万円
昭和51年 31億8300万円
昭和52年 39億2600万円
昭和53年 33億6600万円
昭和54年 49億0100万円
昭和55年 63億2600万円
昭和56年 67億8500万円
昭和57年 72億9800万円
昭和58年 35億6000万円
昭和59年 40億5200万円
昭和60年 43億9000万円
昭和61年 105億8800万円
昭和62年 30億1100万円
昭和63年 ※54億9100万円
1989年 52億4300万円
1990年 76億1300万円
1991年 73億0200万円
1992年 43億0900万円
1993年 19億3700万円
1994年 31億4700万円
1995年 40億8800万円
1996年 21億7700万円
1997年 25億8100万円
1998年 64億2200万円
1999年 47億7900万円
2000年 ▲50億8900万円
2001年 75億0700万円
2002年 50億6200万円
2003年 114億8600万円
2004年 204億6000万円
2005年 15億8400万円
〔売上髙〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 1350億0500万円
昭和56年 1368億1700万円
昭和57年 1449億7500万円
昭和58年 1431億2700万円
昭和59年 1573億8400万円
昭和60年 1658億6300万円
昭和61年 1557億1900万円
昭和62年 1651億5300万円
昭和63年 ※678億0700万円
1989年 1916億4800万円
1990年 2191億9500万円
1991年 2484億3900万円
1992年 2601億1100万円
1993年 2677億1800万円
1994年 2395億5100万円
1995年 2520億9700万円
1996年 2561億4800万円
1997年 3104億7700万円
1998年 3649億8200万円
1999年 4137億4400万円
2000年 4286億4600万円
2001年 4667億0400万円
2002年 5284億1500万円
2003年 5643億4300万円
2004年 6336億2200万円
2005年 8135億3800万円
2006年 9781億2700万円
2007年 1兆0617億8600万円
2008年 1兆1288億7500万円
2009年 9808億0300万円
2010年 8830億8600万円
2011年 8771億7500万円
〔營業利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 198億2100万円
昭和56年 172億9400万円
昭和57年 120億5800万円
昭和58年 84億4900万円
昭和59年 112億3800万円
昭和60年 115億8500万円
昭和61年 52億2500万円
昭和62年 92億6000万円
昭和63年 ※ 40億8400万円
1989年 150億1800万円
1990年 166億5500万円
1991年 206億9400万円
1992年 138億0500万円
1993年 183億1200万円
1994年 42億3100万円
1995年 103億4800万円
1996年 151億6200万円
1997年 209億6100万円
1998年 305億4100万円
1999年 381億9100万円
2000年 301億3200万円
2001年 354億9600万円
2002年 422億8300万円
2003年 623億4600万円
2004年 629億9700万円
2005年 231億5300万円
2006年 625億2300万円
2007年 987億2900万円→訂正 987億円
2008年 1126億2300万円→訂正1128億円
2009年 345億8700万円→訂正 427億円
2010年 601億4900万円→訂正 612億円
2011年 353億6000万円→訂正 384億円
〔経常利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 186億8800万円
昭和56年 148億1100万円
昭和57年 123億9600万円
昭和58年 109億7500万円
昭和59年 133億7900万円
昭和60年 124億3500万円
昭和61年 152億6300万円
昭和62年 99億8300万円
昭和63年 ※ 88億2500万円
1989年 131億3100万円
1990年 177億1800万円
1991年 160億4100万円
1992年 60億7500万円
1993年 104億5300万円
1994年 ▲2億4500万円
1995年 48億0700万円
1996年 69億8800万円
1997年 57億3800万円
1998年 144億2700万円
1999年 200億5700万円
2000年 207億8400万円
2001年 226億8900万円
2002年 314億3500万円
2003年 524億1600万円
2004年 558億2900万円
2005年 102億0400万円
2006年 412億0600万円
2007年 762億2600万円→訂正 783億円
2008年 930億8500万円→訂正 973億円
2009年 183億9000万円→訂正 257億円
2010年 451億1500万円→訂正 461億円
2011年 221億4800万円→訂正 232億円
〔純利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年 78億6700万円
昭和56年 70億3900万円
昭和57年 44億0600万円
昭和58年 38億0000万円
昭和59年 55億7000万円
昭和60年 58億1900万円
昭和61年 77億3000万円
昭和62年 51億9900万円
昭和63年 ※ 38億2900万円
1989年 66億7700万円
1990年 83億7700万円
1991年 96億8600万円
1992年 50億7800万円
1993年 38億0500万円
1994年 5億5600万円
1995年 31億0100万円
1996年 20億4100万円
1997年 23億2200万円
1998年 93億0900万円
1999年 88億8300万円
2000年 18億6000万円
2001年 117億8700万円
2002年 102億7900万円
2003年 243億4800万円
2004年 335億6400万円
2005年 ▲118億2700万円
2006年 285億6400万円
2007年 477億9900万円→訂正 470億円
2008年 579億6900万円→訂正 546億円
2009年 ▲1148億1000万円→訂正▲506億円
2010年 477億6300万円→訂正 525億円
2011年 73億8100万円→訂正 39億円
〔配当金〕(※1株・円表記後のもの)
~昭和37年までは計算方法複雑にて割愛。※戦後間もなくの時期のみ無配
昭和38年 6円
昭和39年 6円
昭和40年 6円
昭和41年 6円
昭和42年 6円
昭和43年 6円
昭和44年 6円75銭
昭和45年 7円50銭
昭和46年 5円
昭和47年 5円
昭和48年 5円50銭
昭和49年 6円
昭和50年 6円
昭和51年 7円50銭
昭和52年 7円50銭
昭和53年 7円50銭
昭和54年 9円
昭和55年 9円
昭和56年 11円
昭和57年 12円
昭和58年 13円
昭和59年 13円
昭和60年 13円
昭和61年 13円
昭和62年 13円
昭和63年 ※5円50銭
1989年 13円
1990年 13円
1991年 13円
1992年 13円
1993年 13円
1994年 13円
1995年 記13円50銭
1996年 13円
1997年 13円
1998年 13円
1999年 13円
2000年 6円50銭
2001年 13円
2002年 13円
2003年 14円
2004年 15円
2005年 15円
2006年 22円
2007年 35円
2008年 40円
2009年 20円
2010年 30円
2011年 30円
↓各方面に、当たり障りのないものだけ再掲載バウ。
●今更、人(獣可◎)には聞けない【7733】オリンパスの基礎の基礎●
・【7733】オリンパス 日経平均225採用銘柄
『不況下でも強い内視鏡が飛ばしている数少ない髙成長力の1兆円優良企業』
http://www.olympus.co.jp/jp/corc/ir/data/factbook/pdf/factbook_medical02.pdf#search=
http://www.nsjournal.jp/news/news_detail.php?id=189810
http://diamond.jp/articles/-/15499
【幹事證券會社】
山一證券(破綻)⇒野村證券(引継)※元々、海外部門で主幹事を務めていた
・≪沿革≫(概要)
大正8年10月12日、髙千穗製作所として顕微鏡の國産化と
その他光学機械の製造を目的に設立
↓
昭和8年、海軍指定工場となる
↓
昭和11年4月、カメラ(写真機)の生産に着手
↓
昭和17年6月、髙千穗光學工業に改称
↓
大東亞戰争中まで光學兵器の生産に注力したが、
終戰後は、顕微鏡、望遠鏡、双眼鏡のほか写真器械の製造販売へと移行
↓
昭和24年1月、オリンパス光学工業に改称し、同年5月上場
↓
昭和27年5月、医療機器の生産を開始
↓
ハーフサイズカメラで先駆し、ペンシリーズが大ヒットとなって独走状態に
↓
昭和35年10月、測定器の生産を開始
↓
昭和38年後期、世界最初の一眼レフカメラ「ペンF」を上市
↓
昭和44年6月、マイクロカセットテープレコーダーの生産を開始
↓
昭和46年頃より脱カメラ路線を積極推進し、医療機器の拡充および
ファクシミリなど情報伝達機器への進出に取組む
そのうち、グラスファイバー付き内視鏡は全世界シェア7~8割までに膨張。
このほか、血液検査機等の新分野も開拓する
↓
昭和50年代に入ると、カメラ、内視鏡、顕微鏡、録音機の4本柱経営により、
着実にますます財務基盤を強化
↓
昭和55年頃まで自己資本比率がおおむね6割(※単独)とすこぶる健全に推移したが、
50年代後半に突入するや、内視鏡は医療用中心のため、景気動向や為替相場の影響少なく、引き続き底堅く順調であったものの、(一時的に)他が振るわなくなり、営業利益以下の伸びが停滞をはじめるようになった
※↓注、ここから下記は通説。
そうこうしてうちに、当時は当たり前にどこの企業でも、生き場を失った経営資源の有効活用の1つの有力選択肢としての【財テクブーム】が到来しており、オリンパス光學も当時、豊富に持て余していた余剰資産を会社の閉塞感打開のために【財テク】に投入した。
↓
しかし、オリンパスは、ものづくりの専門家であり、それまで貯め込む一方の専門であったため、特に、プロはプロでも投資のプロではなく、周旋のプロであった、妙に調子のよいプロの投資周旋屋さんの口車に乗せられてしまったこと等?により、最終的に【財テク】に失敗
↓
2001年3月期会計より、【含み損】を計上しなければならない時価会計に移行せざるを得なくなり、【財テク失敗】による一連の含み損を計上するかしないかの瀬戸際となったが、元々、【財テク】は会社のためにと正当な目的の下に行われたものであったものであるし、2001年3月期当時、連結で32、9%に(実態は連結15%程度まで低下していた?)自己資本比率の悪さもあって、
http://tax.funer.net/modules/pico/index.php?content_id=94
計上(表面化)することによる製品研究等の委縮、制限、制約、現場の士気の低下、と更なる世界への展開が停滞することによる日本の産業競争力の低下による日本経済への悪影響は避けられないこと、また、時価会計に移行さえしなければ問題なく長期間で解決出来たはずのものであったやるせなさから、やむなく、逃げられなくなって置き場に困った負の遺産を海外ファンドなどの受け皿へ移す、いわゆる【損失飛ばし】という誤った判断に至ったものと思われる
↓
その後、景気回復により業績が大いに振るった2006年~2008年間に、一気に、この忌々しい負の遺産の鎖から解かれ、穏便に元の正真正銘の優良企業に戻れる最後のチャンスと見て、英医療機器メーカーなどを買収する費用に残余の【財テク失敗】のツケを上乗せするカタチで見事な処理にほぼ成功したとされる。
↓
しかし、軽い身へと脱出できた(※但し、正確にはまだまだまとまった資金が必要?)ものの、そのために自己資本比率は大幅に低下を余儀なくされ、過去の失敗に懲りた教訓からコツコツまた地道に財務基盤を固めていこうと、本道に歩みだした矢先、紳士(ジェントルマン)や騎士(ナイト)とか繕われるものの、ご先祖さんは、人の迷惑も顧みない単純明快の豪快さを振るうヴァイキング(海賊)でしかない英國人さんによって、ただでさえ、景気が悪く、財務もまだまだ脆弱な状況であるのにもかかわらず、まるで、誰からも批判されることのない新手の企業テロにでもあったかような※危機的な状況へと追いやられる。
※ある意味では映画「Uボート」の最後のシーンみたいに、せっかく、命からがら生還したとおもったら、英吉利軍に急襲
http://www.youtube.com/watch?v=GGz3OItIkiA&feature=related
●今更、人(獣可◎)には聞けない【7733】オリンパスの基礎の基礎●
・【7733】オリンパス 日経平均225採用銘柄
『不況下でも強い内視鏡が飛ばしている数少ない髙成長力の1兆円優良企業』
http://www.olympus.co.jp/jp/corc/ir/data/factbook/pdf/factbook_medical02.pdf#search=
http://www.nsjournal.jp/news/news_detail.php?id=189810
http://diamond.jp/articles/-/15499
【幹事證券會社】
山一證券(破綻)⇒野村證券(引継)※元々、海外部門で主幹事を務めていた
・≪沿革≫(概要)
大正8年10月12日、髙千穗製作所として顕微鏡の國産化と
その他光学機械の製造を目的に設立
↓
昭和8年、海軍指定工場となる
↓
昭和11年4月、カメラ(写真機)の生産に着手
↓
昭和17年6月、髙千穗光學工業に改称
↓
大東亞戰争中まで光學兵器の生産に注力したが、
終戰後は、顕微鏡、望遠鏡、双眼鏡のほか写真器械の製造販売へと移行
↓
昭和24年1月、オリンパス光学工業に改称し、同年5月上場
↓
昭和27年5月、医療機器の生産を開始
↓
ハーフサイズカメラで先駆し、ペンシリーズが大ヒットとなって独走状態に
↓
昭和35年10月、測定器の生産を開始
↓
昭和38年後期、世界最初の一眼レフカメラ「ペンF」を上市
↓
昭和44年6月、マイクロカセットテープレコーダーの生産を開始
↓
昭和46年頃より脱カメラ路線を積極推進し、医療機器の拡充および
ファクシミリなど情報伝達機器への進出に取組む
そのうち、グラスファイバー付き内視鏡は全世界シェア7~8割までに膨張。
このほか、血液検査機等の新分野も開拓する
↓
昭和50年代に入ると、カメラ、内視鏡、顕微鏡、録音機の4本柱経営により、
着実にますます財務基盤を強化
↓
昭和55年頃まで自己資本比率がおおむね6割(※単独)とすこぶる健全に推移したが、
50年代後半に突入するや、内視鏡は医療用中心のため、景気動向や為替相場の影響少なく、引き続き底堅く順調であったものの、(一時的に)他が振るわなくなり、営業利益以下の伸びが停滞をはじめるようになった
※↓注、ここから下記は通説。
そうこうしてうちに、当時は当たり前にどこの企業でも、生き場を失った経営資源の有効活用の1つの有力選択肢としての【財テクブーム】が到来しており、オリンパス光學も当時、豊富に持て余していた余剰資産を会社の閉塞感打開のために【財テク】に投入した。
↓
しかし、オリンパスは、ものづくりの専門家であり、それまで貯め込む一方の専門であったため、特に、プロはプロでも投資のプロではなく、周旋のプロであった、妙に調子のよいプロの投資周旋屋さんの口車に乗せられてしまったこと等?により、最終的に【財テク】に失敗
↓
2001年3月期会計より、【含み損】を計上しなければならない時価会計に移行せざるを得なくなり、【財テク失敗】による一連の含み損を計上するかしないかの瀬戸際となったが、元々、【財テク】は会社のためにと正当な目的の下に行われたものであったものであるし、2001年3月期当時、連結で32、9%に(実態は連結15%程度まで低下していた?)自己資本比率の悪さもあって、
http://tax.funer.net/modules/pico/index.php?content_id=94
計上(表面化)することによる製品研究等の委縮、制限、制約、現場の士気の低下、と更なる世界への展開が停滞することによる日本の産業競争力の低下による日本経済への悪影響は避けられないこと、また、時価会計に移行さえしなければ問題なく長期間で解決出来たはずのものであったやるせなさから、やむなく、逃げられなくなって置き場に困った負の遺産を海外ファンドなどの受け皿へ移す、いわゆる【損失飛ばし】という誤った判断に至ったものと思われる
↓
その後、景気回復により業績が大いに振るった2006年~2008年間に、一気に、この忌々しい負の遺産の鎖から解かれ、穏便に元の正真正銘の優良企業に戻れる最後のチャンスと見て、英医療機器メーカーなどを買収する費用に残余の【財テク失敗】のツケを上乗せするカタチで見事な処理にほぼ成功したとされる。
↓
しかし、軽い身へと脱出できた(※但し、正確にはまだまだまとまった資金が必要?)ものの、そのために自己資本比率は大幅に低下を余儀なくされ、過去の失敗に懲りた教訓からコツコツまた地道に財務基盤を固めていこうと、本道に歩みだした矢先、紳士(ジェントルマン)や騎士(ナイト)とか繕われるものの、ご先祖さんは、人の迷惑も顧みない単純明快の豪快さを振るうヴァイキング(海賊)でしかない英國人さんによって、ただでさえ、景気が悪く、財務もまだまだ脆弱な状況であるのにもかかわらず、まるで、誰からも批判されることのない新手の企業テロにでもあったかような※危機的な状況へと追いやられる。
※ある意味では映画「Uボート」の最後のシーンみたいに、せっかく、命からがら生還したとおもったら、英吉利軍に急襲
http://www.youtube.com/watch?v=GGz3OItIkiA&feature=related
★日証協:上場廃止株の市場創設へ-投資家保護でカネボウ株など取引も
4月15日(ブルームバーグ):15日付の毎日新聞は、日本証券業協会が、
東京証券取引所やジャスダック市場などで上場廃止になった株式を売買する
市場を創設する方針と報じた。日証協は近く作業部会を設けて検討に入る。
不祥事でカネボウやライブドアなどの株式は市場で上場が廃止され、
個人投資家が保有する多数の株券は市場での取引ができなくなった。
投資家保護の観点から批判が高まっていることに配慮し、具体的な
受け皿として新市場を設ける方向としている。
Bloomberg http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003009&sid=aM1OkmJNerVc
■毎日の記事(一部抜粋)
東証やジャスダックの場合、上場廃止が決まった企業の株式は「整理ポスト」に移され、 原則として1カ月間売買した後に上場廃止になる。しかし、整理ポストに入った株式は 大幅に値下がりしたり、売買が成立しなくなることもあるため、売る機会を逸する株主も多い。
上場廃止後も売買はできるが、証券会社に仲介してもらうか自分で取引相手を探さなければならず、現実には売買しにくい。上場廃止前の個人株主(有価証券報告書ベース)は、カネボウが約5万人、 ライブドアは約22万人と多く、株式を売れなくなった個人投資家が不満を募らせた。
上場廃止後も取引できる市場があれば、上場廃止になった企業の買収狙いや、
再上場時の値上がりを期待する投資家の購入が見込まれる。新たに創設する市場は日証協が運営し、 売買は証券会社が売値と買値を提示して、投資家の注文を成立させる手法を軸に議論が進む見通し。
法改正などは必要ないとみられるが、企業情報の開示や価格提示の手法、上場廃止になった 企業をどのような基準で選別するか−−などが課題に浮上しそうだ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kinyu/news/20070415k0000m020108000c.html
http://www.ma-intercross.com/f_index/ma_news-070514.html
↑さらに、さらに前の※2007年※4月時点で出ていたお話バウ。
・・・それで、上のお話は別にして、東証さんが
2007年後半に「特設注意市場」を創設したという経緯。
http://www.j-cast.com/2007/07/06008962.html?p=all
東京証券取引所は、有価証券報告書の虚偽記載などの法令違反をしながら、「上場廃止」を免れた「グレー企業」の株を取引する新たな市場「特設注意市場」を設ける。2007年10月をめどに実施する大規模な上場制度改正の柱と位置づけている。利益水増しを行ったにもかかわらず、「黒」ではなくて「グレー」と判断されて上場を維持できた日興コーディアルグループを巡る問題の深刻さが、新市場創設の引き金になった。
東証の現行の制度では、(1)有価証券報告書の虚偽記載(2)財務諸表の監査報告書での不正意見(3)上場契約の違反――などの不正を行った企業は「監理ポスト」に指定して不正の重大性を審査する。その結果、悪質性が高いなど、重大性があると判断した場合は、「整理ポスト」に移行し、最終的には上場廃止にする。
「日興の上場維持」への不信感がきっかけ
「グレー企業」株扱う「特設注意市場」が設けられる
しかし、審査で「重大性がない」と判断されれば、監理ポストの指定を解除して、通常の市場に戻すだけだ。上場廃止と上場維持の間には企業の生き死にもかかわりかねない天と地ほどの差があるのに、問題企業への対処は、いわば「死刑」と「無罪」の二者選択しかないことに、批判の声が高まっていた。
こうした批判は日興の上場維持を巡る問題でクローズアップされた。
日興の上場維持を決定した時の記者会見で、東証の西室泰三社長(現会長)は「グレーの部分がまったくないとは言わないが、グレーを罰することはできない」と説明した。日興の不正への組織的な関与が「グレー」であるとは認めつつ、市場に与えた影響は重大とは言えないと結論付けたわけだ。
これにより、日興は市場からの退場という最悪の事態を避けることができたが、この判断について「不透明だ」との不信感が残った。
「要注意企業」と知らせて監視下に
こうした事態を受けて、東証は、監理ポストの審査で重大性がないとされた企業でも、内部管理体制の改善が必要と認めた企業については、「無罪放免」するのではなく、「特設注意市場」を新たに設けて、ここに入れようというのだ。
指定された企業は1年ごとに内部管理体制の確認書を東証に提出しなければならない。この内容に特別な問題がなければ、従来の市場に戻れる。しかし、内容に引き続き問題があれば指定は解除されず、3年を経ても問題が解決しなければ最終的には上場廃止にする――という仕組みだ。
特設注意市場に指定すれば、問題をもった企業であることを投資家に周知させることができ、東証の監視の目も強まる。もちろん、不正を犯した企業が、緊張感をもって内部管理体制の整備に取り組むことが最大の眼目だ。
この新たな制度に従えば、「日興も特設注意市場に指定されていたかもしれない」(市場関係者)と見る向きが多い。「あれだけの問題を起こしながら、日興コーデュアルを『無罪放免』せざるを得なかったことが東証にとっては"無念"だったのだろう」との声も聞こえる。
新制度を、問題企業の延命でなく真の再出発の場にするためには、厳格な運用が欠かせない
・・・そもそも、【有価証券報告書の虚偽記載などの法令違反をしながら、「上場廃止」を免れた「グレー企業」の株を取引する新たな「特設注意市場」】
とある時点で、概ね法令違反等による【上場廃止】(島流し)という選択肢は、それ以降、実質的に死語になりつつあったと言わざるを得ず、
【世界】がどうのとか、オリンパス1社と引き換えに【日本株3千数百社を道連れ】にさせる気か!
という議論というか御批判は、むしろ、本来は2007年時の「特設注意市場」の開設に踏み切る従前になされて尽くされているべきであって、今回のオリンパスの段になって、今更かしましく言いだすのは極めて不可解・滑稽といわざるを得ない。
ばう、ばう~~~。
オリンパスは、「特設注意市場」設置の前でしたらば、上場廃止を争うには十分だったのでしょうが、制度が変わった以上、それに基づいて、それにのっとって、仮に「特設注意市場入り」=【実質的な上場維持】と判断された場合であっても、それは制度のルールに従ったものなのでしょうから、批判を受けるべきではなかろうかと思わるバウな・・・
4月15日(ブルームバーグ):15日付の毎日新聞は、日本証券業協会が、
東京証券取引所やジャスダック市場などで上場廃止になった株式を売買する
市場を創設する方針と報じた。日証協は近く作業部会を設けて検討に入る。
不祥事でカネボウやライブドアなどの株式は市場で上場が廃止され、
個人投資家が保有する多数の株券は市場での取引ができなくなった。
投資家保護の観点から批判が高まっていることに配慮し、具体的な
受け皿として新市場を設ける方向としている。
Bloomberg http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003009&sid=aM1OkmJNerVc
■毎日の記事(一部抜粋)
東証やジャスダックの場合、上場廃止が決まった企業の株式は「整理ポスト」に移され、 原則として1カ月間売買した後に上場廃止になる。しかし、整理ポストに入った株式は 大幅に値下がりしたり、売買が成立しなくなることもあるため、売る機会を逸する株主も多い。
上場廃止後も売買はできるが、証券会社に仲介してもらうか自分で取引相手を探さなければならず、現実には売買しにくい。上場廃止前の個人株主(有価証券報告書ベース)は、カネボウが約5万人、 ライブドアは約22万人と多く、株式を売れなくなった個人投資家が不満を募らせた。
上場廃止後も取引できる市場があれば、上場廃止になった企業の買収狙いや、
再上場時の値上がりを期待する投資家の購入が見込まれる。新たに創設する市場は日証協が運営し、 売買は証券会社が売値と買値を提示して、投資家の注文を成立させる手法を軸に議論が進む見通し。
法改正などは必要ないとみられるが、企業情報の開示や価格提示の手法、上場廃止になった 企業をどのような基準で選別するか−−などが課題に浮上しそうだ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kinyu/news/20070415k0000m020108000c.html
http://www.ma-intercross.com/f_index/ma_news-070514.html
↑さらに、さらに前の※2007年※4月時点で出ていたお話バウ。
・・・それで、上のお話は別にして、東証さんが
2007年後半に「特設注意市場」を創設したという経緯。
http://www.j-cast.com/2007/07/06008962.html?p=all
東京証券取引所は、有価証券報告書の虚偽記載などの法令違反をしながら、「上場廃止」を免れた「グレー企業」の株を取引する新たな市場「特設注意市場」を設ける。2007年10月をめどに実施する大規模な上場制度改正の柱と位置づけている。利益水増しを行ったにもかかわらず、「黒」ではなくて「グレー」と判断されて上場を維持できた日興コーディアルグループを巡る問題の深刻さが、新市場創設の引き金になった。
東証の現行の制度では、(1)有価証券報告書の虚偽記載(2)財務諸表の監査報告書での不正意見(3)上場契約の違反――などの不正を行った企業は「監理ポスト」に指定して不正の重大性を審査する。その結果、悪質性が高いなど、重大性があると判断した場合は、「整理ポスト」に移行し、最終的には上場廃止にする。
「日興の上場維持」への不信感がきっかけ
「グレー企業」株扱う「特設注意市場」が設けられる
しかし、審査で「重大性がない」と判断されれば、監理ポストの指定を解除して、通常の市場に戻すだけだ。上場廃止と上場維持の間には企業の生き死にもかかわりかねない天と地ほどの差があるのに、問題企業への対処は、いわば「死刑」と「無罪」の二者選択しかないことに、批判の声が高まっていた。
こうした批判は日興の上場維持を巡る問題でクローズアップされた。
日興の上場維持を決定した時の記者会見で、東証の西室泰三社長(現会長)は「グレーの部分がまったくないとは言わないが、グレーを罰することはできない」と説明した。日興の不正への組織的な関与が「グレー」であるとは認めつつ、市場に与えた影響は重大とは言えないと結論付けたわけだ。
これにより、日興は市場からの退場という最悪の事態を避けることができたが、この判断について「不透明だ」との不信感が残った。
「要注意企業」と知らせて監視下に
こうした事態を受けて、東証は、監理ポストの審査で重大性がないとされた企業でも、内部管理体制の改善が必要と認めた企業については、「無罪放免」するのではなく、「特設注意市場」を新たに設けて、ここに入れようというのだ。
指定された企業は1年ごとに内部管理体制の確認書を東証に提出しなければならない。この内容に特別な問題がなければ、従来の市場に戻れる。しかし、内容に引き続き問題があれば指定は解除されず、3年を経ても問題が解決しなければ最終的には上場廃止にする――という仕組みだ。
特設注意市場に指定すれば、問題をもった企業であることを投資家に周知させることができ、東証の監視の目も強まる。もちろん、不正を犯した企業が、緊張感をもって内部管理体制の整備に取り組むことが最大の眼目だ。
この新たな制度に従えば、「日興も特設注意市場に指定されていたかもしれない」(市場関係者)と見る向きが多い。「あれだけの問題を起こしながら、日興コーデュアルを『無罪放免』せざるを得なかったことが東証にとっては"無念"だったのだろう」との声も聞こえる。
新制度を、問題企業の延命でなく真の再出発の場にするためには、厳格な運用が欠かせない
・・・そもそも、【有価証券報告書の虚偽記載などの法令違反をしながら、「上場廃止」を免れた「グレー企業」の株を取引する新たな「特設注意市場」】
とある時点で、概ね法令違反等による【上場廃止】(島流し)という選択肢は、それ以降、実質的に死語になりつつあったと言わざるを得ず、
【世界】がどうのとか、オリンパス1社と引き換えに【日本株3千数百社を道連れ】にさせる気か!
という議論というか御批判は、むしろ、本来は2007年時の「特設注意市場」の開設に踏み切る従前になされて尽くされているべきであって、今回のオリンパスの段になって、今更かしましく言いだすのは極めて不可解・滑稽といわざるを得ない。
ばう、ばう~~~。
オリンパスは、「特設注意市場」設置の前でしたらば、上場廃止を争うには十分だったのでしょうが、制度が変わった以上、それに基づいて、それにのっとって、仮に「特設注意市場入り」=【実質的な上場維持】と判断された場合であっても、それは制度のルールに従ったものなのでしょうから、批判を受けるべきではなかろうかと思わるバウな・・・
http://jp.reuters.com/article/technologyNews/idJPJAPAN-24127220111111?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
↑結構前に既に出ていた冷静なご意見の場合。
↑結構前に既に出ていた冷静なご意見の場合。
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