7733  東証プライム

オリンパス

2013
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株価(11/22)

2,458.5
-19.5(-0.78%)

オリンパスの個人投資家の売買予想

買い予想終了

内視鏡シェア76%が利きすぎて今飼ってもいづれ髙値に収斂する

予想株価

1,500
登録時株価

1,289.0円

獲得ポイント

-19.85pt.

収益率

-6.90%

期間

理由

http://www.fooooo.com/watch.php?id=53ea37c258099c252085f61935a33063

「オリンパスへの御裁きは?上場廃止(島流し)ですか?」
⇒「いいえ」


ばう、ばう~~~

※注、そもそも最近東証一部の1日あたりの売買代金が減っているのは、オリンパスのせいだと決めつける方がいらっしゃるけれども、本当は、景気が悪いから・・

↓2003年6月以前の日経平均2万円からの右肩下がり一方通行の時の見てみぃ
http://www.tse.or.jp/market/data/v_and_v/index.html

【売買高・売買代金】の【株式・債券 (2011年12月)】のエクセルのとこね。

今よりも、えらく出来高が終了してるバウよ・・・・

 本当は、景気の悪いせいで、東証の商いが低調なのに、ガイジンが、日本株を倦厭してる原因だとかして何でもかんでもオリンパスのせいにしたらアカンばうよ。

 あまりに古典過ぎてつまらないバウねぇ・・・フランスの財政赤字は膨大な戰費
が大原因なのに、マリ―アントワネットの浪費が原因だとして、マリ―アントワネットをキロチンにかけた何100年も前の利用された無知な民衆と大差が無いバウねぇ。

 まあ、批判の矛先、不満のはけ口がわりに、オリンパスを格好の標的にしたい気持ちは分かるばうが・・・・
4件のコメントがあります
↓各方面に、当たり障りのないものだけ再掲載バウ。

●今更、人(獣可◎)には聞けない【7733】オリンパスの基礎の基礎●②


*≪オリンパス業績推移≫*
〔売上髙〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和23年         4700万円
昭和24年         9900万円
昭和25年       1億5000万円
昭和26年       3億4000万円
昭和27年       4億8000万円
昭和28年       8億8300万円
昭和29年      11億8700万円
昭和30年       9億0400万円
昭和31年      13億1900万円
昭和32年      14億5700万円
昭和33年      14億7000万円
昭和34年      15億6800万円
昭和35年      20億3700万円
昭和36年      28億6600万円
昭和37年      41億7200万円
昭和38年      57億4300万円
昭和39年      79億4200万円
昭和40年      82億2300万円
昭和41年      79億8700万円
昭和42年      95億0100万円
昭和43年     117億4200万円
昭和44年     143億7200万円
昭和45年     179億7300万円
昭和46年     176億7000万円
昭和47年     198億1000万円
昭和48年     254億0300万円
昭和49年     365億6100万円
昭和50年     459億3600万円
昭和51年     535億6800万円
昭和52年     639億5700万円
昭和53年     655億7300万円
昭和54年     810億5400万円
昭和55年     963億5800万円
昭和56年    1031億7200万円
昭和57年    1089億5300万円
昭和58年    1058億0200万円
昭和59年    1159億8300万円
昭和60年    1285億6600万円
昭和61年    1208億9000万円
昭和62年    1224億9100万円
昭和63年    ※514億4300万円
1989年    1391億8300万円
1990年    1574億2300万円
1991年    1729億6600万円
1992年    1857億5400万円
1993年    1877億5300万円
1994年    1769億1500万円
1995年    1746億9500万円
1996年    1763億2400万円
1997年    2017億0600万円
1998年    2369億8500万円
1999年    2573億9100万円
2000年    2794億4600万円
2001年    3129億3100万円
2002年    3282億6800万円
2003年    3463億6400万円
2004年    4251億8400万円
2005年    2589億5300万円

〔營業利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和50年      62億8400万円
昭和51年      72億5600万円
昭和52年      87億9900万円
昭和53年      53億0700万円
昭和54年     114億6400万円
昭和55年     138億7200万円
昭和56年     130億3700万円
昭和57年     130億5000万円
昭和58年      63億9100万円
昭和59年      67億7700万円
昭和60年      67億6100万円
昭和61年      31億0800万円
昭和62年      56億3300万円
昭和63年     ※22億1300万円
1989年      86億6800万円
1990年     113億8400万円
1991年     140億0800万円
1992年     137億1000万円
1993年     136億5300万円
1994年      88億2700万円
1995年      74億7100万円
1996年      57億6100万円
1997年     120億7700万円
1998年     193億1600万円
1999年     209億2700万円
2000年     131億7700万円
2001年     173億0300万円
2002年     202億8700万円
2003年     318億7800万円
2004年     215億3800万円
2005年     ▲24億0400万円

〔経常利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和41年       5億6300万円
昭和42年       7億2700万円
昭和43年       9億5600万円
昭和44年      12億9900万円
昭和45年      15億7500万円
昭和46年       8億0600万円
昭和47年       7億2300万円
昭和48年      24億2300万円
昭和49年      40億6600万円
昭和50年      62億1800万円
昭和51年      69億1800万円
昭和52年      90億3300万円
昭和53年      68億3800万円
昭和54年     105億2000万円
昭和55年     134億1100万円
昭和56年     132億1800万円
昭和57年     144億1900万円
昭和58年      66億0000万円
昭和59年      80億0900万円
昭和60年      81億5600万円
昭和61年     105億8800万円
昭和62年      70億2100万円
昭和63年     ※27億2400万円
1989年      97億4300万円
1990年     140億3500万円
1991年     127億1600万円
1992年     103億7900万円
1993年      93億6300万円
1994年      63億1500万円
1995年      63億5900万円
1996年      49億0300万円
1997年      60億1700万円
1998年     103億4200万円
1999年     100億5700万円
2000年      78億8800万円
2001年     123億4400万円
2002年     177億5500万円
2003年     280億3100万円
2004年     242億9900万円
2005年     ▲15億5500万円


〔純利益〕(単独)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和23年          100万円
昭和24年          300万円
昭和25年          700万円
昭和26年         3900万円
昭和27年         6700万円
昭和28年       1億2800万円
昭和29年       1億3900万円
昭和30年         5900万円
昭和31年       1億5400万円
昭和32年       1億8200万円
昭和33年       1億4100万円
昭和34年       1億2800万円
昭和35年       1億3700万円
昭和36年       1億8600万円
昭和37年       3億4900万円
昭和38年       2億3300万円
昭和39年       3億4000万円
昭和40年       3億4800万円
昭和41年       3億1400万円
昭和42年       3億7800万円
昭和43年       4億8800万円
昭和44年       6億4300万円
昭和45年       7億5600万円
昭和46年       2億4700万円
昭和47年       2億9400万円
昭和48年       6億3800万円
昭和49年      12億1700万円
昭和50年      26億9000万円
昭和51年      31億8300万円
昭和52年      39億2600万円
昭和53年      33億6600万円
昭和54年      49億0100万円
昭和55年      63億2600万円
昭和56年      67億8500万円
昭和57年      72億9800万円
昭和58年      35億6000万円
昭和59年      40億5200万円
昭和60年      43億9000万円
昭和61年     105億8800万円
昭和62年      30億1100万円
昭和63年     ※54億9100万円
1989年      52億4300万円
1990年      76億1300万円
1991年      73億0200万円
1992年      43億0900万円
1993年      19億3700万円
1994年      31億4700万円
1995年      40億8800万円
1996年      21億7700万円
1997年      25億8100万円
1998年      64億2200万円
1999年      47億7900万円
2000年     ▲50億8900万円
2001年      75億0700万円
2002年      50億6200万円
2003年     114億8600万円
2004年     204億6000万円
2005年      15億8400万円

〔売上髙〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年    1350億0500万円
昭和56年    1368億1700万円
昭和57年    1449億7500万円
昭和58年    1431億2700万円
昭和59年    1573億8400万円
昭和60年    1658億6300万円
昭和61年    1557億1900万円
昭和62年    1651億5300万円
昭和63年    ※678億0700万円
1989年    1916億4800万円
1990年    2191億9500万円
1991年    2484億3900万円
1992年    2601億1100万円
1993年    2677億1800万円
1994年    2395億5100万円
1995年    2520億9700万円
1996年    2561億4800万円
1997年    3104億7700万円
1998年    3649億8200万円
1999年    4137億4400万円
2000年    4286億4600万円
2001年    4667億0400万円
2002年    5284億1500万円
2003年    5643億4300万円
2004年    6336億2200万円
2005年    8135億3800万円
2006年    9781億2700万円
2007年  1兆0617億8600万円
2008年  1兆1288億7500万円
2009年    9808億0300万円
2010年    8830億8600万円
2011年    8771億7500万円

〔營業利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年     198億2100万円
昭和56年     172億9400万円
昭和57年     120億5800万円
昭和58年      84億4900万円
昭和59年     112億3800万円
昭和60年     115億8500万円
昭和61年      52億2500万円
昭和62年      92億6000万円
昭和63年    ※ 40億8400万円
1989年     150億1800万円
1990年     166億5500万円
1991年     206億9400万円
1992年     138億0500万円
1993年     183億1200万円
1994年      42億3100万円
1995年     103億4800万円
1996年     151億6200万円
1997年     209億6100万円
1998年     305億4100万円
1999年     381億9100万円
2000年     301億3200万円
2001年     354億9600万円
2002年     422億8300万円
2003年     623億4600万円
2004年     629億9700万円
2005年     231億5300万円
2006年     625億2300万円
2007年     987億2900万円→訂正 987億円
2008年    1126億2300万円→訂正1128億円
2009年     345億8700万円→訂正 427億円
2010年     601億4900万円→訂正 612億円
2011年     353億6000万円→訂正 384億円

〔経常利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年     186億8800万円
昭和56年     148億1100万円
昭和57年     123億9600万円
昭和58年     109億7500万円
昭和59年     133億7900万円
昭和60年     124億3500万円
昭和61年     152億6300万円
昭和62年      99億8300万円
昭和63年    ※ 88億2500万円
1989年     131億3100万円
1990年     177億1800万円
1991年     160億4100万円
1992年      60億7500万円
1993年     104億5300万円
1994年      ▲2億4500万円
1995年      48億0700万円
1996年      69億8800万円
1997年      57億3800万円
1998年     144億2700万円
1999年     200億5700万円
2000年     207億8400万円
2001年     226億8900万円
2002年     314億3500万円
2003年     524億1600万円
2004年     558億2900万円
2005年     102億0400万円
2006年     412億0600万円
2007年     762億2600万円→訂正 783億円
2008年     930億8500万円→訂正 973億円
2009年     183億9000万円→訂正 257億円
2010年     451億1500万円→訂正 461億円
2011年     221億4800万円→訂正 232億円

〔純利益〕(連結)※昭和62年までは10月期決算。以降は3月期決算
昭和55年      78億6700万円
昭和56年      70億3900万円
昭和57年      44億0600万円
昭和58年      38億0000万円
昭和59年      55億7000万円
昭和60年      58億1900万円
昭和61年      77億3000万円
昭和62年      51億9900万円
昭和63年    ※ 38億2900万円
1989年      66億7700万円
1990年      83億7700万円
1991年      96億8600万円
1992年      50億7800万円
1993年      38億0500万円
1994年       5億5600万円
1995年      31億0100万円
1996年      20億4100万円
1997年      23億2200万円
1998年      93億0900万円
1999年      88億8300万円
2000年      18億6000万円
2001年     117億8700万円
2002年     102億7900万円
2003年     243億4800万円
2004年     335億6400万円
2005年    ▲118億2700万円
2006年     285億6400万円
2007年     477億9900万円→訂正 470億円
2008年     579億6900万円→訂正 546億円
2009年   ▲1148億1000万円→訂正▲506億円
2010年     477億6300万円→訂正 525億円
2011年      73億8100万円→訂正  39億円

〔配当金〕(※1株・円表記後のもの)
~昭和37年までは計算方法複雑にて割愛。※戦後間もなくの時期のみ無配
昭和38年   6円
昭和39年   6円
昭和40年   6円
昭和41年   6円
昭和42年   6円
昭和43年   6円
昭和44年   6円75銭
昭和45年   7円50銭
昭和46年   5円
昭和47年   5円
昭和48年   5円50銭
昭和49年   6円
昭和50年   6円
昭和51年   7円50銭
昭和52年   7円50銭
昭和53年   7円50銭
昭和54年   9円
昭和55年   9円
昭和56年  11円
昭和57年  12円
昭和58年  13円
昭和59年  13円
昭和60年  13円
昭和61年  13円
昭和62年  13円
昭和63年  ※5円50銭
1989年  13円
1990年  13円
1991年  13円
1992年  13円
1993年  13円
1994年  13円
1995年 記13円50銭
1996年  13円
1997年  13円
1998年  13円
1999年  13円
2000年   6円50銭
2001年  13円
2002年  13円
2003年  14円
2004年  15円
2005年  15円
2006年  22円
2007年  35円
2008年  40円
2009年  20円
2010年  30円
2011年  30円
↓各方面に、当たり障りのないものだけ再掲載バウ。

●今更、人(獣可◎)には聞けない【7733】オリンパスの基礎の基礎●

・【7733】オリンパス 日経平均225採用銘柄
『不況下でも強い内視鏡が飛ばしている数少ない髙成長力の1兆円優良企業』
http://www.olympus.co.jp/jp/corc/ir/data/factbook/pdf/factbook_medical02.pdf#search=

http://www.nsjournal.jp/news/news_detail.php?id=189810

http://diamond.jp/articles/-/15499

【幹事證券會社】
山一證券(破綻)⇒野村證券(引継)※元々、海外部門で主幹事を務めていた


・≪沿革≫(概要)
大正8年10月12日、髙千穗製作所として顕微鏡の國産化と
その他光学機械の製造を目的に設立

昭和8年、海軍指定工場となる

昭和11年4月、カメラ(写真機)の生産に着手

昭和17年6月、髙千穗光學工業に改称

大東亞戰争中まで光學兵器の生産に注力したが、
終戰後は、顕微鏡、望遠鏡、双眼鏡のほか写真器械の製造販売へと移行

昭和24年1月、オリンパス光学工業に改称し、同年5月上場

昭和27年5月、医療機器の生産を開始

ハーフサイズカメラで先駆し、ペンシリーズが大ヒットとなって独走状態に

昭和35年10月、測定器の生産を開始

昭和38年後期、世界最初の一眼レフカメラ「ペンF」を上市

昭和44年6月、マイクロカセットテープレコーダーの生産を開始

昭和46年頃より脱カメラ路線を積極推進し、医療機器の拡充および
ファクシミリなど情報伝達機器への進出に取組む
そのうち、グラスファイバー付き内視鏡は全世界シェア7~8割までに膨張。
このほか、血液検査機等の新分野も開拓する

昭和50年代に入ると、カメラ、内視鏡、顕微鏡、録音機の4本柱経営により、
着実にますます財務基盤を強化

昭和55年頃まで自己資本比率がおおむね6割(※単独)とすこぶる健全に推移したが、
50年代後半に突入するや、内視鏡は医療用中心のため、景気動向や為替相場の影響少なく、引き続き底堅く順調であったものの、(一時的に)他が振るわなくなり、営業利益以下の伸びが停滞をはじめるようになった

※↓注、ここから下記は通説。
 
そうこうしてうちに、当時は当たり前にどこの企業でも、生き場を失った経営資源の有効活用の1つの有力選択肢としての【財テクブーム】が到来しており、オリンパス光學も当時、豊富に持て余していた余剰資産を会社の閉塞感打開のために【財テク】に投入した。

 しかし、オリンパスは、ものづくりの専門家であり、それまで貯め込む一方の専門であったため、特に、プロはプロでも投資のプロではなく、周旋のプロであった、妙に調子のよいプロの投資周旋屋さんの口車に乗せられてしまったこと等?により、最終的に【財テク】に失敗

2001年3月期会計より、【含み損】を計上しなければならない時価会計に移行せざるを得なくなり、【財テク失敗】による一連の含み損を計上するかしないかの瀬戸際となったが、元々、【財テク】は会社のためにと正当な目的の下に行われたものであったものであるし、2001年3月期当時、連結で32、9%に(実態は連結15%程度まで低下していた?)自己資本比率の悪さもあって、
http://tax.funer.net/modules/pico/index.php?content_id=94
計上(表面化)することによる製品研究等の委縮、制限、制約、現場の士気の低下、と更なる世界への展開が停滞することによる日本の産業競争力の低下による日本経済への悪影響は避けられないこと、また、時価会計に移行さえしなければ問題なく長期間で解決出来たはずのものであったやるせなさから、やむなく、逃げられなくなって置き場に困った負の遺産を海外ファンドなどの受け皿へ移す、いわゆる【損失飛ばし】という誤った判断に至ったものと思われる

 その後、景気回復により業績が大いに振るった2006年~2008年間に、一気に、この忌々しい負の遺産の鎖から解かれ、穏便に元の正真正銘の優良企業に戻れる最後のチャンスと見て、英医療機器メーカーなどを買収する費用に残余の【財テク失敗】のツケを上乗せするカタチで見事な処理にほぼ成功したとされる。

 しかし、軽い身へと脱出できた(※但し、正確にはまだまだまとまった資金が必要?)ものの、そのために自己資本比率は大幅に低下を余儀なくされ、過去の失敗に懲りた教訓からコツコツまた地道に財務基盤を固めていこうと、本道に歩みだした矢先、紳士(ジェントルマン)や騎士(ナイト)とか繕われるものの、ご先祖さんは、人の迷惑も顧みない単純明快の豪快さを振るうヴァイキング(海賊)でしかない英國人さんによって、ただでさえ、景気が悪く、財務もまだまだ脆弱な状況であるのにもかかわらず、まるで、誰からも批判されることのない新手の企業テロにでもあったかような※危機的な状況へと追いやられる。

※ある意味では映画「Uボート」の最後のシーンみたいに、せっかく、命からがら生還したとおもったら、英吉利軍に急襲
http://www.youtube.com/watch?v=GGz3OItIkiA&feature=related


★日証協:上場廃止株の市場創設へ-投資家保護でカネボウ株など取引も

  4月15日(ブルームバーグ):15日付の毎日新聞は、日本証券業協会が、
東京証券取引所やジャスダック市場などで上場廃止になった株式を売買する
市場を創設する方針と報じた。日証協は近く作業部会を設けて検討に入る。

  不祥事でカネボウやライブドアなどの株式は市場で上場が廃止され、
個人投資家が保有する多数の株券は市場での取引ができなくなった。
投資家保護の観点から批判が高まっていることに配慮し、具体的な
受け皿として新市場を設ける方向としている。

Bloomberg http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003009&sid=aM1OkmJNerVc

■毎日の記事(一部抜粋)

東証やジャスダックの場合、上場廃止が決まった企業の株式は「整理ポスト」に移され、 原則として1カ月間売買した後に上場廃止になる。しかし、整理ポストに入った株式は 大幅に値下がりしたり、売買が成立しなくなることもあるため、売る機会を逸する株主も多い。
 上場廃止後も売買はできるが、証券会社に仲介してもらうか自分で取引相手を探さなければならず、現実には売買しにくい。上場廃止前の個人株主(有価証券報告書ベース)は、カネボウが約5万人、 ライブドアは約22万人と多く、株式を売れなくなった個人投資家が不満を募らせた。

上場廃止後も取引できる市場があれば、上場廃止になった企業の買収狙いや、
再上場時の値上がりを期待する投資家の購入が見込まれる。新たに創設する市場は日証協が運営し、 売買は証券会社が売値と買値を提示して、投資家の注文を成立させる手法を軸に議論が進む見通し。
 法改正などは必要ないとみられるが、企業情報の開示や価格提示の手法、上場廃止になった 企業をどのような基準で選別するか−−などが課題に浮上しそうだ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kinyu/news/20070415k0000m020108000c.html

http://www.ma-intercross.com/f_index/ma_news-070514.html


↑さらに、さらに前の※2007年※4月時点で出ていたお話バウ。


・・・それで、上のお話は別にして、東証さんが
2007年後半に「特設注意市場」を創設したという経緯。



http://www.j-cast.com/2007/07/06008962.html?p=all
東京証券取引所は、有価証券報告書の虚偽記載などの法令違反をしながら、「上場廃止」を免れた「グレー企業」の株を取引する新たな市場「特設注意市場」を設ける。2007年10月をめどに実施する大規模な上場制度改正の柱と位置づけている。利益水増しを行ったにもかかわらず、「黒」ではなくて「グレー」と判断されて上場を維持できた日興コーディアルグループを巡る問題の深刻さが、新市場創設の引き金になった。

東証の現行の制度では、(1)有価証券報告書の虚偽記載(2)財務諸表の監査報告書での不正意見(3)上場契約の違反――などの不正を行った企業は「監理ポスト」に指定して不正の重大性を審査する。その結果、悪質性が高いなど、重大性があると判断した場合は、「整理ポスト」に移行し、最終的には上場廃止にする。
「日興の上場維持」への不信感がきっかけ

「グレー企業」株扱う「特設注意市場」が設けられる

しかし、審査で「重大性がない」と判断されれば、監理ポストの指定を解除して、通常の市場に戻すだけだ。上場廃止と上場維持の間には企業の生き死にもかかわりかねない天と地ほどの差があるのに、問題企業への対処は、いわば「死刑」と「無罪」の二者選択しかないことに、批判の声が高まっていた。

こうした批判は日興の上場維持を巡る問題でクローズアップされた。

日興の上場維持を決定した時の記者会見で、東証の西室泰三社長(現会長)は「グレーの部分がまったくないとは言わないが、グレーを罰することはできない」と説明した。日興の不正への組織的な関与が「グレー」であるとは認めつつ、市場に与えた影響は重大とは言えないと結論付けたわけだ。

これにより、日興は市場からの退場という最悪の事態を避けることができたが、この判断について「不透明だ」との不信感が残った。

「要注意企業」と知らせて監視下に

こうした事態を受けて、東証は、監理ポストの審査で重大性がないとされた企業でも、内部管理体制の改善が必要と認めた企業については、「無罪放免」するのではなく、「特設注意市場」を新たに設けて、ここに入れようというのだ。

指定された企業は1年ごとに内部管理体制の確認書を東証に提出しなければならない。この内容に特別な問題がなければ、従来の市場に戻れる。しかし、内容に引き続き問題があれば指定は解除されず、3年を経ても問題が解決しなければ最終的には上場廃止にする――という仕組みだ。

特設注意市場に指定すれば、問題をもった企業であることを投資家に周知させることができ、東証の監視の目も強まる。もちろん、不正を犯した企業が、緊張感をもって内部管理体制の整備に取り組むことが最大の眼目だ。

この新たな制度に従えば、「日興も特設注意市場に指定されていたかもしれない」(市場関係者)と見る向きが多い。「あれだけの問題を起こしながら、日興コーデュアルを『無罪放免』せざるを得なかったことが東証にとっては"無念"だったのだろう」との声も聞こえる。

新制度を、問題企業の延命でなく真の再出発の場にするためには、厳格な運用が欠かせない



・・・そもそも、【有価証券報告書の虚偽記載などの法令違反をしながら、「上場廃止」を免れた「グレー企業」の株を取引する新たな「特設注意市場」】

とある時点で、概ね法令違反等による【上場廃止】(島流し)という選択肢は、それ以降、実質的に死語になりつつあったと言わざるを得ず、

【世界】がどうのとか、オリンパス1社と引き換えに【日本株3千数百社を道連れ】にさせる気か!

という議論というか御批判は、むしろ、本来は2007年時の「特設注意市場」の開設に踏み切る従前になされて尽くされているべきであって、今回のオリンパスの段になって、今更かしましく言いだすのは極めて不可解・滑稽といわざるを得ない。

ばう、ばう~~~。

 オリンパスは、「特設注意市場」設置の前でしたらば、上場廃止を争うには十分だったのでしょうが、制度が変わった以上、それに基づいて、それにのっとって、仮に「特設注意市場入り」=【実質的な上場維持】と判断された場合であっても、それは制度のルールに従ったものなのでしょうから、批判を受けるべきではなかろうかと思わるバウな・・・

http://jp.reuters.com/article/technologyNews/idJPJAPAN-24127220111111?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0

↑結構前に既に出ていた冷静なご意見の場合。
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