米国経済の好都合すぎる真実(謎)と基本矛盾2 <後編>

著者:武者 陵司
投稿:2023/04/21 10:01

※武者陵司「米国経済の好都合すぎる真実(謎)と基本矛盾2」<前編>から続く

(3)デフレリスクの時代は完全には終わってはいない

 企業部門の過剰利潤、資本の退蔵と金利低下という過去20年間の基本構造が、今回のインフレと金融政策の転換により変わってしまったのかが問われるが、いま米国経済で観測される現実は、デフレ経済時代の枠組みが完全には変わっていないことを物語っている。

●資金余剰は変わっていない

 第1に、グローバルに潤沢な投資資金の存在が依然として変わってはいない。歴史的利上げにもかかわらず、潤沢な流動性が健在で、新興国株式や米国の低格付けクレジット市場に流れ、リスクプレミアムは低下し始めている。何より5.0%まで短期金利が引き上げられたのに、米国10年債利回りは3.4~3.5%前後まで低下している。これは米消費者物価指数(CPI)伸び率や名目経済成長率の半分であり、テイラールールに基づけば、依然として緩和的水準にあるとも言える。金融引き締めの効果を金余りがしり抜けにさせているとも言えるのだ。

 シカゴ連銀が計算している金融環境指数は昨年第4四半期以降、大きく改善されてきている。歴史的な利上げにもかかわらず、潤沢な投資資金が健在であることは、多くの人々にとって全くの想定外であった。まさに2005年にグリーンスパン元FRB議長が「謎」といった事態が再現されているかのようである。

 この長期金利の低下を先行きの景気不安の予兆とする見方もあるが、よりリスクの高い新興国株式やジャンク債の値上がり、さらには米国銀行の貸し出し増加や、世界景気との連動性が高い銅市況の上昇などとは辻褄が合わない。1980年以降、長期金利の低下が景気悪化の前兆ではなかったように、いまの長期金利の低下も別の要因によるものである可能性が考えられる。

 それは何かと言えば、上述したように企業部門の生み出す価値が企業部門が必要とする投資より大きく、恒常的資金余剰が起こっている、ということである。

●好労働需給下にあっても労働余剰は続いている

 第2に、労働市場においても「余剰(slack)」の存在が消えていない。歴史的利上げ、大手ハイテク企業中心にレイオフの発表が相次いでいる中で、尋常ではない労働市場の好調さが続いている。2023年1月の失業率は3.4%と53年ぶりの水準まで低下し、2、3月も3.6% 、3.5%と好調で、企業の求人意欲は強く、すべてのセクターで雇用が増加している。

 しかしその中で、賃金上昇率が低下している。米国の平均時給(AHE:前年同月比)の推移を見ると、2022年1月のAHEは前月比0.7%であったが、2023年の2月には0.2%に低下している(3月は0.3%)。コロナ禍の下での異常な労働需給ひっ迫が引き起こした、トラック運転手やウェイター、ウェイトレスなど接客業での人手不足は緩和に向かい、非熟練、低賃金分野の賃金上昇率は鈍り始めている。また、高給セクターの金融や情報部門での雇用の伸びが低いことも、全体の賃金水準の伸びを引き下げている。

 労働市場が弾力的に動き、資源配分の采配が大きく効率化しているとみられる。より具体的には、NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment:インフレを加速させない失業率)が低下している可能性が考えられる。

 労働市場ではインターネットによって求人と求職のマッチングが瞬時にできるようになった。また、よりフェアな労働賃金決定が可能になっている。スキルアップによるジョブシフトが給与増+生産性上昇の連鎖を引き起こしているかもしれない。労働者のバーゲニングパワーは健在である。自発的離職者は高水準、企業、特に中小企業の求人未充足率も高水準で高給を求めての労働者のJob hopping (ジョブホッピング)が旺盛である。労働者は容易にスキルにあった職を探し当てることができ、失業期間(中央値)は2023年2月は8.3週と、コロナ禍前2019年の9.3週を下回っている。NAIRUが低下しているとすれば、それは労働力供給余力を意味し、生産増加の一方で賃金上昇が抑制される環境にあるのかもしれない。

●雇用が遅行指標でない可能性

 このように、金融引き締め下でも雇用ブームが続いており資金余剰も続いていること、雇用活況の下での賃金上昇がピークアウトしていることなど、常識では考えられない「好都合な真実」が起きている。

 その中ですでに次の好循環が起き始めた可能性もある。製造業PMIが下落する一方で、非製造業PMIはリバウンドに転じている。特に非製造業での新規受注が好調であり、それは好調な労働市場と消費によって支えられている。だとすれば、雇用は遅行指標ではなく先行指標ということになり、これも常識破りの事態「好都合な真実」と言える。金融引き締めの下でもマンハッタンの家賃上昇が続いていると伝えられるが、それも労働市場の強さに支えられているとの報道がなされている。

 企業の求人意欲は強く、すべてのセクターで雇用が増加している。旺盛な消費が広範な雇用機会をもたらすという好循環は、全く損なわれていない。1990年代前半の情報化革命、BPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)革命の時は、機械に置き換えられたホワイトカラーが失業し、労働市場が不振のままのジョブブレス・リカバリー(雇用なき景気回復)が続いた局面があった。当時と比較すれば、現在がいかに新規雇用機会の創造が旺盛であるかがわかる。

(4)政策へのインプリケーションと展望

●デフレリスク(景気後退リスク)に対する警戒が強まっていくだろう

 仮にNAIRUが低下しているとすれば、米国労働市場に依然、「余剰(slack)」が存在しており、FRBの性急な利上げは再びデフレのリスクを高めることになる。また、恒常的資金余剰が変わっていないとすれば、その下での長短金利の逆転は、金融機関の経営をいたずらに痛め、無用の金融ストレスの高まりを引き起こし、やはりデフレのリスクを強めることになる(注2)。

(注2)3月に起きたSVB以降の連鎖的銀行破綻は金融ストレスの高まりを示す。

 つまり、ここからのリスクはインフレではなく、景気後退とデフレである、ということになる。このことを、米国市場と米国当局はどう考えているだろうか。このハト派的観点での暗黙のコンセンサスが形成されているかのようである。パウエル議長発言は微妙に変化し、ディスインフレを指摘しつつ年内利下げの可能性を完全には排除しなかった。

●本質的にハト派の米国当局とエコノミスト

 ここで重要なことは、米国政策当局の真の敵は何かの見極めである。長らく市場をウォッチしてくると、つくづくFRBの最大の脅威はインフレではなくデフレ化であり、「Japanification(日本化)」であることを痛感させられる。

 FRBは本質的にデフレと戦っている。デフレとは潜在的に存在している成長可能性未達の結果であり、それは政策のサボタージュを意味し、必然では決してないということが、米国の経済学者と政策当局が共有するコンセンサスであろう。日本ではあいまいにされているが、米国の経済政策の最終ゴールは生活水準の向上であり、FRBの2大任務(dual mandate)とされている最大雇用と物価の安定はそのための手段に過ぎない。この点でデフレのリスクをより重視する、高圧経済論者であるイエレン財務長官が12月に再任されたことの意味は大きい。

 FRBは無理かつ不必要な引き締めは早晩転換させるであろう。このことが明らかになれば株価は急騰するだろう。それはAIネット革命、イノベーションと米国の労働・資本市場の一段の効率化が米国経済の強靭性(resilience)を強めている証になると言えそうである。

(2023年4月19日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン330号」を転載)

配信元: みんかぶ株式コラム