黒田日銀が日本を救った
黒田日銀の登場と異次元の金融緩和、量的質的金融緩和の開始(2013年4月)から8年、マイナス金利導入(2016年2月)から5年が経過した。この間の政策効果を検証すべく日本銀行は3月18日、19日の金融政策決定会合で、政策運営の点検結果を公表する。日銀批判派は、(1) 2%のインフレターゲットが達成できていない、(2)マイナス金利は利幅をなくし金融機関の収益に打撃を与えた、(3)株式ETF購入により市場の規律を損なった、などと問題点を指摘している。
しかし、黒田日銀の登場なくしては、日本経済は想像し難い打撃を受けていたであろう。実際、 日経平均株価は1万円強から3万円まで上昇し、為替相場(ドル円レート)は80円から一時120円までの円安となり、デフレ基調からインフレ基調へと、物価趨勢を変えた。
異次元金融緩和が凍てついたマネーフローを突き動かした
異次元の金融緩和が決定的に変えたのは、日本の凍てついたマネーフローを大きく突き動かしたということであろう。日本における主体別国債保有比率の推移(1997年~)を見ると、日銀比率が11%から48%へと37ポイント上昇し、国内金融機関・投資家・公的年金の比率が74%から38%へと36ポイント低下した。
日銀による大幅な国債買い入れは政府の赤字補填ではなく、大量の国債保有で身動きができなくなっていた民間金融機関、ゆうちょ銀行、公的年金(GPIFなど)を身軽にしたという意義がある。国内金融機関・投資家はポートフォリオのリバランスを通して新たな貸し出し、株式や海外資産投資に向けた新たなマネーフローを構築した。
また、日本株式の累積投資額(2011年~)をみると、累計35兆円を購入した日銀が唯一最大の買い手であり、株価を押し上げる機関車であったことがわかる。経済が成長し、企業業績が拡大して2%前後の配当率が続く中で、家計が累計34兆円もの株式を売り越すこと、しかもその売却代金のほとんどすべてを利息ゼロの現預金に滞留させてきたことは、経済的に見て極めて非合理的行為であった。これに立ち向かったのが日銀である。日銀の介入が無かったら株価低迷が続き、デフレは深刻化していたであろう。
日銀は世界に先駆けて政策イノベーションを実施し続けた
日本は世界で唯一、本格的デフレに陥った特別の国である故、通常とは異なる対応が求められる。論理ですべて割り切れる科学の世界ではなく、アートの世界で活動しなければならない。QE(量的金融緩和)も、株式購入も、長短金利操作(イールドカーブコントロール=YCC)も、すべて日銀が世界に先駆けて行ってきた金融政策イノベーションである。
今回の点検では、物価目標や「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」の枠組み自体は有効なので検討対象でないと説明されている。(1)さらなる金融困難・円高への切り札として追加緩和・マイナス金利の深堀りの余地を残すこと、(2)長短金利の変動幅の一定の拡大を容認し、金融機関の利ザヤを確保すること(YCC)、(3)ETF購入を弾力化・機動化、などが提起されるだろう。
日本経済の蹉跌→名目GDP500兆円台から脱却できず、コロナで再びデフレに陥落
日銀の政策失敗のせいでは全くないが、日本経済は依然として世界の落第生から脱却できてはいない。バブル崩壊後の1994年以降26年にわたって日本の名目GDPは500~550兆円の範囲内で推移している。黒田日銀登場直前の2012年500兆円に対して、コロナ前の2019年561兆円、7年間で12%(年率1.7%)しか増加していない。2020年はコロナにより物価は再度マイナスに落ち込み、名目GDPは540兆円を下回る見通しである。
詳細な分析は省くが二つの根本原因を指摘したい。第一は、財政引き締めの影響である。2度の消費税増税により財政赤字(対GDP比)は2012年の-7.4%から2019年には-2.6%に改善した。財政改善により累計でGDPの約5%が失われた。日銀の異次元金融緩和効果は財政の逆風により大きく減殺されたといえる。
根拠なき悲観論の大罪
第二の日本停滞の根本原因は、過度の根拠なき悲観論である。1990~2005年頃までは日本固有の成長制約があった。米国の日本叩き、円高誘導、バブルのつけ(不良債権処理・企業のリストラコスト)などが成長を抑制した。しかし、2005年頃より、日本固有の制約要素がなくなったにもかかわらず、成長率の向上が実現できなかった。悲観論の定着→経済悪化と悲観の悪循環が起きてしまったと考えられる。
例えば、なぜ日本のハイテクは敗れたのか? 高い技術力はあった、技術者はまじめに働いた、だが円高で価格競争に負けた、またリスクキャピタルの凍結で投資競争に負けた。エルピーダメモリ―の破綻など、相次ぐハイテク企業の挫折・部門売却、技術流出はなぜ起きたのだろうか。日本には資金=貯蓄は極めて潤沢にあったのに、リスクプレミアムが高すぎて投資には向かわなかったためである。何故、リスクプレミアムが高かったのか。それは根拠なき悲観のため、アニマルスピリットが消えたからである。
アニマルスピリットの喪失が日本株式の極端なアンダーバリュエーションを引き起こしている。日本と各国のPBRを比較すると米国4.1倍、英独仏1.7倍、日本1.2倍と極端な割負けが存在している。日銀が株式ETFを購入する目的はリスクプレミアムの引き下げとしているが、これこそ日本の病の核といえる。
渡辺教授が指摘する恐怖心が与える大きな経済制約
渡辺努・東京大学教授は、恐怖心こそがコロナ後の景気悪化の最大原因であったと分析している。健康被害(コロナ感染者/死者数)の大きな米国が経済被害では日本と変わらないのは、恐怖心が原因である、との分析である。100万人当たり死者数が1500人にのぼる米国の経済被害(渡辺教授試算のGDP損失)は6%で、100万人当たり死者数が54人と米国の30分の1に過ぎない日本もこれとほぼ同等である。米国の平均寿命は2020年6月現在77.8歳と、前年比1年短縮し2006年以降最も短くなった。これほどの健康被害にもかかわらず、米国の経済成長率は先進国中最高である。
OECD(経済協力開発機構)は3月9日に2021年の経済見通し(前回2020年12月実施)を改定したが、全世界は4.2%→5.6%へと1.4ポイントの改善であったが、うち米国は3.2%→6.5%へと3.3ポイントの最大の改善となった。ちなみに、日本は2.3%→2.7%へ0.4ポイント、ユーロ圏3.6%→3.9%へ0.3ポイントの改善、中国は8.0%→7.8%へと0.2ポイントの悪化となっている。
「カギは人々の恐怖心だ。人々は感染を恐れて外出を抑制する。これに伴い飲食店などサービス業への需要が激減し、GDPが大きく落ち込む。これが経済被害が起きる仕組みだ。」「恐怖心は得体のしれないもので、直接検証しにくい。だが心理学では『感染が心配で夜も眠れない』『命を落とすことを心配している』などの質問に答えてもらうことで人々の恐怖心を測定し、恐怖心の強弱と感染対策の行動(外出抑制やマスク着用など)との関係を探ろうとしている。恐怖心と感染対策行動の間には強い相関が確認される」(日本経済新聞 経済教室2021年3月9日 「下振れ傾向、回復には時間 コロナ危機と物価動向」 渡辺努・東京大学教授)。
コロナ禍で奇しくも顕在化した恐怖・悲観といった心理要因が、日本病(Japanification)の原因と特定できるのではないだろうか。
日本病(Japanification)からの脱却が始まった
しかし今、日本病からの脱却が始まりつつあるのではないだろうか。コロナ禍により長らく日本経済の制約要因であった財政のくびきが取り払われた。日本のコロナ対策による財政寄与は他国より格段に大きい。
また、ポストコロナの世界経済回復が見え始め、その恩恵が表れつつある。米国景気回復・長期金利の上昇とドル高傾向も見えてきた。日経平均は3万円台まで回復した。日銀の追加策が特になくても経済回復、物価上昇、株高が維持できる局面に入りつつある。それは日本の根拠なき悲観を一掃し、日本病(Japanification)を終わらせるものとなるだろう。
(2021年3月11日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン276号」を転載)
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