トランプ政権の本質とドル高(前編)

著者:武者 陵司
投稿:2018/07/17 10:00

多くの市場参加者にとって想定外の ドル高が進行している。武者リサーチは長期的ドル高時代が始まると主張してきたが(ストラテジーブレティン173号 2016年12月14日「2017年情勢の基軸、強い米国経済、強い大統領、強いドル」、175号 2017年1月12日「トランプ政治の影の主役、強いドル」、177号 2017年2月3日「トランプ政権の本質、保護主義ではなく帝国主義~守りではなく攻撃~」、195号 2018年3月5日「円高論に対する懐疑」など)、その可能性がいよいよ強まっている。

[1]ことごとく覆されるドル安論の根拠

現在の情勢はかねてからのドル悲観論者の根拠をことごとく裏切るものとなっている。

1).景気拡大10年目と戦後最長になった米国経済がリセッション入りする、
2).低インフレ・低金利・資産価格のバブル化が格差拡大と成長率の低迷と同時に進行しており、それは米国資本主義の衰弱を示す、
3).ドル高7年、ドル安10年の長期ドル循環は2017年からドル安局面に入った、
4).貿易戦争、関税引き上げはドル安をもたらす、
5).トランプ大統領の保護主義は米国通貨安を必須とする、
などは全てが誤りであることが明白になりつつある。

米国経済がリセッション入りする兆候は今のところ皆無、最低2020年まで景気拡大が続くという見方は、すべてのエコノミストとFRBなど当局で共有されている。米国経済がインターネット、AIなどの産業革命の母国であり、世界で最も経済活力にあふれていることも今更、説明する必要はない。

また、循環論からのドル安論が根拠薄弱であることは、「ブレティン195号」で以下のように説明した。

「円高論の最大の根拠は長期ドル循環の波動がすでにドル安局面に入っている、というものである。40年余りのドル循環を振り返ると、ドル高7年、ドル安10年がサイクルであり、それを当てはめれば、2011年から始まったドル高は2017年にドル安に転換したというわけである。

しかし、ドルの長期循環を支配してきた主要因は、米国経済事情と政策の優先順位であった。米国国内経済の充実期は、インフレ抑制、バブル警戒、対外投資促進に優先順位が置かれ、金融引き締め、ドル高が対応した(1978~1985年、1995~2001年、2011年以降)。逆に国内経済不振時には、景気てこ入れ、デフレ回避、輸出競争力の強化に優先順位が置かれ、金融緩和とドル安が対置された(1973~1978年、1985~1995年、2001~2011年)。

では、現在の米国経済情勢と政策の優先順位はどうだろうか。米国経済が充実期であり、デフレよりはインフレのリスクが高く、資産バブル警戒にますます重点が置かれていることは明らかである。とすれば、ドル高に筋があるということになる。

今回のドル高の起点がいつかも重要である。2011年から2014年まではドル高といっても底這いに等しく、米国の超金融緩和(QE)の下でドルは歴史的安値水準で低迷していた。本格的にドル上昇が始まったのは、QE3が終わりFRBのバランスシート拡大が止まった2014年後半からである。事実上のドル高は始まってからまだ3年余りともいえるわけで、長期ドル安局面に入ったとする議論は説得力があるとは言えない。

経済のファンダメンタルズを分析すれば、ほとんど全てがドル高要因である。(1)金融引き締め、財政拡大のポリシーミックスは典型的通貨高要因、(2)金利、景況感は先進国で米国が最も強くそれはドル高と整合、(3)米国企業の世界的収益力の強化により経常収支改善傾向、(4)先進国で最も金融引き締め的なのは米国、などである。」(ブレティン195号)

[2]「保護主義」や関税は、かえってドル高を招く

唯一未だに生き延びているドル安論の根拠は、トランプ政権の保護主義的政策がドル安をもたらすというものであるが、それこそが今是正されるべき最大の謬論であろう。

そもそも自由な為替市場の下では保護主義はかえって自国通貨高を招くというものが、経済学的には正しい理解であろう。かつて1930年代の世界恐慌時に通貨切り下げ競争による近隣窮乏化政策が展開された。また、日米貿易摩擦時には、日本に対する米国のプレッシャーの中心が円高圧力であった。このために、米国の貿易摩擦=ドル安政策との連想が市場に働いている。しかし、それは経済学的には非論理的というべきである。

昨年、国境税が議論されていた時、WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)紙上で、マーチン・フェルドシュタイン ハーバード大学教授は、国境税は米国の貿易赤字を減少させないと主張した。「貿易収支は一国の投資と貯蓄のバランスで決まるのであり、国境税は直ちには投資や貯蓄には影響を与えないので貿易収支は不変である、と考えられる。とすれば、国境税導入の効果を相殺する為替の変化が当然のこととして起きることになり、ドルは上昇するはずということになる」(1.9.2017)。

それは今回の対中関税引き上げにも当てはまる。つまり、通商規制や関税強化を導入したとしても、その効果は相手国通貨の下落によって相殺されてしまい、結局競争力に変化は起きない、というものがオーソドックスな経済学的理解である。実際、NAFTA再交渉が膠着して以降、メキシコペソ、カナダドルは大きく下落し、むしろメキシコ工場、カナダ工場の競争力を強めているのである。

[3]強いドルが米国の国益という時代

「ムニューシン財務長官が1月ダボス会議で突然ドル安が望ましいと発言し、市場を驚かせた。これをもって米国が保護主義に走り、通貨切り下げ競争の先陣を切るかのように受け止められたのである。しかし、そうだろうか。米国は、今や必要物資の8~9割を輸入している。その大半は米国国内に全く供給力がない。つまり、米国は他国と価格競争をほとんどしていないのである。ゆえに通貨切り下げが貿易収支を改善させるなどということは起きようもない。

1980年代のレーガン時代には米国は必要物資の6割程度を国内生産しており、国内生産業者を支援するためのドル安政策は意味があったが、今は全く事情が違うのである(ただ、対中だけは通貨安(= 人民元切り下げ阻止)を仕掛けているが、それは米中貿易摩擦において強い人民元維持がカギになるからである)。

では、なぜムニューシン長官は、ドル安歓迎発言をしたのかだが、その理由は、リパトリ減税にあるのではないか。今回の税制改革によって、既に蓄積されている米国企業の海外留保利益(約300兆円と推定)の国内送金時の税率が35%から15.5%に引き下げられた。それにより巨額の米国への送金需要、ドル需要の発生が予想されるが、その際に過度のドル高にならないように牽制をした、と考えられるのである。海外留保利益を米国送金する際にドル高になれば、米国親会社のドル手取りは減価する、また米国税収も目減りする。それを避けたいための方便であったと考えられる。

この点を除けばあらゆる点で米国にとってはドル高が望ましい。ムニューシン氏のドル安発言の翌日にトランプ大統領が、「米国経済はドル高がふさわしい、強いドルが米国の国益である」という見解を披歴した(一年間でトランプ氏の為替観は大きく進化した!!)。こちらが米国政府の本心であると考えられる。」(ブレティン195号)

かつてないドル高環境

「今ほど、米国にとって強いドルが国益であった時代は、変動相場制に移行して以来、なかったのではないか。理由は、(1)国際分業において相互補完分業が確立し、米国の独占的支配力を持つ企業が世界市場を傘下に収めており、ドル高は安く買って高く売る(=交易条件改善)ことを推し進める、(2)トランプノミクスはインフレ圧力を高める(レーガノミクス時と類似)、(3)強いドルは世界を買い占めるのに有利(米国多国籍企業のグローバルM&A等)、(4)強いドルが米国のプレゼンスを一気に押し上げる(防衛支出有利に、米国の世界地位・世界GDP比シェアなどが高まる)、以上の4要因による。

米国の国際分業上の位置が大きく強化され、もはやドル安は必要なくなっている。米国企業の競争力優位は歴然としている。インターネット、スマートフォン、クラウドコンピューティングなどの情報ネットインフラにおいては世界中の人々が(知的所有権を恣意的に扱う中国を除いて)、米国企業の提供するプラットホームの上で、ビジネスと生活をしている。金融においても米国の突出した強みは歴然である。

WSJ紙によると米国の大手企業の海外留保利益は総計2.5兆ドル(2015年)に達している。米多国籍企業の海外留保利益の膨大な規模は、財の貿易ではなく直接投資とサービス輸出で稼ぐ今日的米国企業の収益構造を端的に示している。

この強みが米国の国際収支を大きく改善させている。過去10年間(2005年から2015年)に、米国経常収支は-8067億ドル(対GDP比-5.7%)から-4630億ドル(対GDP比-2.6%)へと大きく改善したが、改善をリードしたのは金融・知的所有権料・ビジネスサービスなどのサービス収支と、直接投資、証券投資などの第一次所得収支の2部門である。今後サービス収支と第一次所得収支の合計額が過去10年間の年率12.5%のペースで増加し、貿易収支が今のまま横ばいで続けば、米国はあと6年で経常収支黒字国に転換することになる。基軸通貨国米国の経常収支均衡が視野に入り始めるとすれば、米国からのドル供給に急ブレーキがかかるのであるから、それは衝撃的である。」(ブレティン173号)

[4]ドル高は中国にデメリット、日本にメリットをもたらす

「ドル高のデメリットは主に海外において現われるだろう。米国経常収支が改善している中でのドル高は、国際的なドル調達難をもたらす。各国通貨の減価によりドル建てで見た国際流動性が減少し国際的金融がタイト化する。また、ドルベースで世界経済の縮小や、海外でのドル建て債務の高負担化が起きる。各国は自国通貨を防衛するためには引き締めを余儀なくされるが、他方、国内経済の困難に対処することも迫られる。結局、各国は財政に依存した経済対策を強めざるを得ないだろう。

特に困難化すると思われるのは中国である。まず米国好況・ドル高・米金利上昇により中国からの資本流出圧力が高まらざるを得ない。人民元の下落は巨額の対外債務を負っている中国の経済主体にとっては、大きな負担増をもたらす。中国は4.6兆ドルと外貨準備高3.2兆ドルの1.4倍の対外債務を負っているため、ドル高・人民元安が続けば深刻な打撃を受けるであろう(債務がドル建てであれ人民元建てであれ、債権者or債務者に発生する損失は変わらない)。

そこで人民元防衛策を余儀なくされるが、それは二律背反となる。人民元の下落を抑制する政策は、ただでさえアジアの競合諸国に比して割高になっている中国の人件費を一段と高め製品の競争力を削ぐ。また、通貨防衛をすれば国内金融は引き締まるが、それは不動産バブル崩壊リスクを高め、国内金融不安を顕在化させるかもしれない。通貨価値を維持しつつ国内経済のてこ入れを図るには、財政政策に一層働いてもらうしかない。中国の財政は比較的健全であるので、財政片肺の景気刺激ではあっても、数年間は経済の底割れは回避されるのではないか。

しかし、中国の困難は、通貨のみならずトランプ政権の対中貿易摩擦という方面からもやってくる。今日では米国の対外貿易赤字の5割を占める中国がトランプ政権の貿易摩擦の主な標的であることは明らか。知的所有権の侵害、サイバー空間での不正アクセス、国内市場の極端な閉鎖性とあからさまな政府による企業育成、外資投資規制を維持しながら世界の高技術企業買収を図るといった、中国の不公正な貿易通商慣行などは批判と是正の対象になっていくだろう。実力以上の内需水準の維持を余儀なくされるので輸入は減りにくいのに、実力以上の通貨高の維持と貿易摩擦により輸出は一段と困難になるかもしれない。貿易黒字の減少、純輸出の減少は中国経済のもう一つの成長制約要因となる。

ドル高の恩恵は日本に現れる

他方、ドル高の恩恵は、米国との間で競合商品を持っている国、特に自動車対米輸出国やドル債権保有国に現れるだろう。その最大の受益国が日本であろう。

円ベースでの輸出単価の上昇により円安が企業収益の大きな押し上げ要因になることは言うまでもないが、より大きいのは日本の対外資産の増価である。日本の対外資産と負債の差額(純資産)は2.88兆ドルと世界最大級であり、この差額分はそのままドル高となれば、円ベースで増加する。10%のドル高で2880億ドル(=25兆円)の差益が発生する計算となる。それはほぼ4兆ドルに上る海外証券投資の元本増価、直接投資・証券投資から生まれるインカムゲインの増価となって日本経済を大きく支えよう。」(ブレティン173号)

 ※「トランプ政権の本質とドル高(後編)」に続く

配信元: みんかぶ株式コラム