ユリウスさんのブログ
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日本人のノーベル賞、連日の快挙(なんと4人も)
ノーベル物理学賞を3人が受賞したというニュースで日本人の喜びが最高潮に達したその翌日、また日本人がノーベル化学賞を受賞したという嬉しいニュースが続いた。
最初に、3人の経歴と受賞理由をキチンとみておきたい。ただし、素粒子論という理論物理学の最先端の話なので、論文が発表されてから35年~47年経っているけれど、一般人には何年経っても理解する事は困難だ。ここは新聞解説程度の概念を理解して、素直に偉業とされる独創的な研究を賞賛するしかありません。
変なはなしですが、我々はピカソの絵には分からんとか何とか言って文句をつけることがありますが、理論物理学など科学の分野では、分からないのは自分が悪いと素直に思いますね。
ノーベル物理学賞受賞者
南部陽一郎(1921年生れ):東京帝国大学理学部卒、現シカゴ大名誉教授、70年に米国籍をとる
受賞理由:素粒子物理学と核物理学における自発的対象性の破れの発見
→ 研究が発表されてから47年経っての受賞。
小林誠(1944年生れ):名古屋大大学院理学研究科修了、現高エネルギー加速器研究機構享受、
益川敏英(1940年生れ):名古屋大学大学院理学研究科修了、現京都産業大教授
お二人の受賞理由:クォークの世代数を予言する対象性の破れの起源の発見
→ 研究が発表されて35年経っての受賞。
受賞理由にあるように三人は素粒子の一般的な考え方「標準理論」の基礎になった業績が独創的だったと評価されたものだという。
学問の業績は先人の業績の上に積み上げるものだとはよく言われることですが、この三人の成功の源には下の日本人の水脈が滔滔と流れていたのです。新聞が書いてない物理学の源流に繋がる人脈は興味深いので、記しておきたい。
1 ボーア博士、仁科芳雄博士
→ 湯川秀樹先生の自伝によると、「仁科先生の講義は単なる量子力学の解説ではなかった。先生は、ボーア博士を中心とする、当時、最も優秀な理論物理学者の、全体にただよっていたコペンハーゲン精神を、私たちに伝える媒体でもあった。(中略)そればかりではなかった。仁科先生その人に私はひかれたにおである。」と書いてある。恩師ですね。 翔年の世代で自然科学系の方は大学でボーアの原子模型を学んだと思う。このニールス・ボーア博士がコペンハーゲン大学の理論物理学研究所所長であった時、世界各国から優秀な人材がボーア博士を慕って集まっていた。ここで学んだ日本人学者の一人が仁科博士だった。
2 湯川秀樹博士、朝永振一郎博士
→ 湯川博士は朝永博士を「真理への旅路の同行者」であったと回想されている。二人は仁科博士の影響を強く受けられている。二人ともノーベル物理学賞を受賞された。
3 坂田昌一博士
→ 湯川博士の初講義を大阪大学で聞いたのが坂田昌一博士、朝永博士の下で研究に従事。この方が今回の南部陽一郎シカゴ大学御世教授の恩師だという。
ここから後は新聞が伝えるとおり。
4 南部陽一郎
→ 小林、益川両受賞者の恩師である。
5 小林誠、益川敏英
→ この下にも多くの俊秀が集まっていると信じる。
一方、ノーベル化学賞受賞の下村脩(1928年生れ):長崎医科大学付属専門部卒、2001年、米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員を退職。
受賞理由:緑色たんぱく質(GFP)の発見と開発
こちらは、オワンクラゲの体内から紫外線が当たると緑色に光るたんぱく質を発見した。その後は特定のたんぱく質にGFPで印をつけ、細胞を壊さないでたんぱく質の動きを追う事ができるようになったという。
理論物理学と違ってこちらは実際的で実に見える研究なので、新聞記事もカラーで一般人にも分かりやすく解説してくれている。ユニークな研究による発見は大変面白い。
オワンクラゲ捕獲大作戦(左から3人目が下村博士)
くらげ捕獲大作戦のこの写真は大変愉快ですね。下村博士の号令下、奥さん、二人の子どもさん、アシスタントを総動員して、くらげを一匹ずつ網ですくってバケツに入れたのだという。
下村博士はこうして、合計10万匹のくらげを捕獲したというから、もうびっくり。こういう努力には頭を下げるしかありません。
最初に、3人の経歴と受賞理由をキチンとみておきたい。ただし、素粒子論という理論物理学の最先端の話なので、論文が発表されてから35年~47年経っているけれど、一般人には何年経っても理解する事は困難だ。ここは新聞解説程度の概念を理解して、素直に偉業とされる独創的な研究を賞賛するしかありません。
変なはなしですが、我々はピカソの絵には分からんとか何とか言って文句をつけることがありますが、理論物理学など科学の分野では、分からないのは自分が悪いと素直に思いますね。
ノーベル物理学賞受賞者
南部陽一郎(1921年生れ):東京帝国大学理学部卒、現シカゴ大名誉教授、70年に米国籍をとる
受賞理由:素粒子物理学と核物理学における自発的対象性の破れの発見
→ 研究が発表されてから47年経っての受賞。
小林誠(1944年生れ):名古屋大大学院理学研究科修了、現高エネルギー加速器研究機構享受、
益川敏英(1940年生れ):名古屋大学大学院理学研究科修了、現京都産業大教授
お二人の受賞理由:クォークの世代数を予言する対象性の破れの起源の発見
→ 研究が発表されて35年経っての受賞。
受賞理由にあるように三人は素粒子の一般的な考え方「標準理論」の基礎になった業績が独創的だったと評価されたものだという。
学問の業績は先人の業績の上に積み上げるものだとはよく言われることですが、この三人の成功の源には下の日本人の水脈が滔滔と流れていたのです。新聞が書いてない物理学の源流に繋がる人脈は興味深いので、記しておきたい。
1 ボーア博士、仁科芳雄博士
→ 湯川秀樹先生の自伝によると、「仁科先生の講義は単なる量子力学の解説ではなかった。先生は、ボーア博士を中心とする、当時、最も優秀な理論物理学者の、全体にただよっていたコペンハーゲン精神を、私たちに伝える媒体でもあった。(中略)そればかりではなかった。仁科先生その人に私はひかれたにおである。」と書いてある。恩師ですね。 翔年の世代で自然科学系の方は大学でボーアの原子模型を学んだと思う。このニールス・ボーア博士がコペンハーゲン大学の理論物理学研究所所長であった時、世界各国から優秀な人材がボーア博士を慕って集まっていた。ここで学んだ日本人学者の一人が仁科博士だった。
2 湯川秀樹博士、朝永振一郎博士
→ 湯川博士は朝永博士を「真理への旅路の同行者」であったと回想されている。二人は仁科博士の影響を強く受けられている。二人ともノーベル物理学賞を受賞された。
3 坂田昌一博士
→ 湯川博士の初講義を大阪大学で聞いたのが坂田昌一博士、朝永博士の下で研究に従事。この方が今回の南部陽一郎シカゴ大学御世教授の恩師だという。
ここから後は新聞が伝えるとおり。
4 南部陽一郎
→ 小林、益川両受賞者の恩師である。
5 小林誠、益川敏英
→ この下にも多くの俊秀が集まっていると信じる。
一方、ノーベル化学賞受賞の下村脩(1928年生れ):長崎医科大学付属専門部卒、2001年、米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員を退職。
受賞理由:緑色たんぱく質(GFP)の発見と開発
こちらは、オワンクラゲの体内から紫外線が当たると緑色に光るたんぱく質を発見した。その後は特定のたんぱく質にGFPで印をつけ、細胞を壊さないでたんぱく質の動きを追う事ができるようになったという。
理論物理学と違ってこちらは実際的で実に見える研究なので、新聞記事もカラーで一般人にも分かりやすく解説してくれている。ユニークな研究による発見は大変面白い。
オワンクラゲ捕獲大作戦(左から3人目が下村博士)
くらげ捕獲大作戦のこの写真は大変愉快ですね。下村博士の号令下、奥さん、二人の子どもさん、アシスタントを総動員して、くらげを一匹ずつ網ですくってバケツに入れたのだという。
下村博士はこうして、合計10万匹のくらげを捕獲したというから、もうびっくり。こういう努力には頭を下げるしかありません。
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