唯我さんのブログ

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検証やりまくり

2017.03.21(火)
 

 トレード学校に入門して、直後から、「今日習ったことは、実践の場で、本当に機能するのか」「私の目とクセで抽出しても、同じ結果が出るのか」等々の、検証をかけまくっていた。

 

 社会人になったころ、仕事の師匠に、「聞いて鵜呑みにすんな、確認を手抜きすれば、死ぬぞ」と、日々怒鳴られていたんだよね。

 「死ぬぞ」というのが、誇張なんかではないことを体験すれば、全身から血の気が引く。自分だけでなく、仲間を殺しかねないことも、イヤでも学習する。

 どんなに確認しても、やられるときにはやられるのだ。それでも、自分で確認しているといないのとでは、なにもかもが、しゃれにならないくらい違う。

 そういう経験が積み重なってみろ、学びの場が、相場に変わっても、フツーに本日の講義の、裏取りしますがな。

 

 門下生の中からは、私のこういう姿勢を、苦々しく思う人がでた。師匠に対して失礼極まりないって意見も出ていたと聞く。

 ところがだ。当の師匠が、私を面白がった。そして、好きにやらせてくれた。

これは大きかった。

私は技術面でも、人間的相性でも、アタリの師匠を引いたってことだ。トレードの世界では、アタリくじは少ないんだよね。

 

 本来、相場の世界で何十年も生きてきて、成果を出してきて、それを今も継続させている師匠の講義だから、裏取りをショートカットしたって、何の問題もない。

 鵜呑みにした方が習得は早い。これはもう、年単位で早い。検証は、働いている社会人の身ではンヶ月なんかではとてもできない。他にもやるべきことが山盛りあるしね。

 

 それでも、あえて今なお、検証作業をかけるのは、自分が迷いやすい人間だと、知っているからだ。私の場合は、迷うのだ。

講義でこう習ったけど、もしかして今回は違うんじゃないか? それは師匠の目でチャートを見たからであって、私の目で見た場合とは違うんじゃないかってね。

 

トレードの最中に迷うということは、都市高のど真ん中で、立ちすくむことと同じだと思う。それを防ぐためには、自分で確認して得た、自分なりの納得が、どうしても必要だった

 

相場は、講義どおりに対応するのがよい時が多いが、違うときもある。違わないときの方が多いのだから、違わないほうに常にかける。違うときにはロスカット。それで、トータルで勝てる。

 これが検証しまくった末に得た、私の納得ってやつだ。

私だって、きかれりゃ諸先輩同様、講義は丸呑みで大丈夫ですと言う。ただ鵜呑み丸呑みを、自分がやるかどうかは、別のはなしなだけだ。


 検証をかけまくり、自分専用に微調整をかけ、そうして自分専用のトレードルールが組み上がった。

結果的に、微調整くらい別にかけなくても、問題ないことがわかっている。


私にとって検証は、収益を上げるためというより、かかるストレスを減らすための、精神面の問題解決策になっている。

つまり、やんなくったって同じってこと? ときかれたら、私には必要なだけで、アナタに必要かどうかは、私にはわからないって答えるよ。

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