ユリウスさんのブログ

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遅すぎたエッセイ友達の花見 

  
 8年前にNHKカルチャーで知り合ったエッセイ仲間7名が、24日(日)に「いきいき塾」で観桜会をすることに早くから決まっていました。久しぶりに顔を合わせるということで、翔年も張り切って1ケ月前の桜木を幹事さんに送ったり、1週間前の花盛りの映像をみせたりして、みなさんの期待はいやがうえにも高まっていました。(笑)

 ところが好事魔多し、中心人物の幹事のOさんは九州で独り暮らしのお母上が地震で被災されたとかで欠席、一方桜の方は盛りを過ぎて、当日は葉桜状態ということになりました。

 けれどこの会は日程を決めたら、葉桜であろうと、毛虫が一杯おろうと、何が何でもやるということでした。幸い枝垂れ桜は、ソメイヨシノのようにパッと散ってしまう訳ではないので、散り残った花と葉桜観桜会ということでやりました。


幻想的と評された1か月前(3月)の桜木と1週間前(4/16)の盛りの桜


 7人の年齢層は下は子育て終了間際、上は翔年も含めて人生終了間際予備軍(笑)です。

 仲間の実力はと言えば、橋田寿賀子の脚本コンテストで最終選考に残った脚本家の卵やら、新聞投稿の実績がある方やら、カルチャーの元講師やら多士済々。まだこれから花を咲かせそうな猛者ばかり。朝日カルチャーでたった1年間一緒に学んだだけなのに、文は人なりと言われるように、お互いの気持ちがよくわかりあえてる、ちょっと今まで経験したことのない不思議な人間関係の仲間です。




 短い時間ではありましたが、それぞれが近況報告やエッセイの発表や脚本のプロット披露など、思い思いに材料をだして、ワイワイガヤガヤと楽しく過ごしました。



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以下は翔年が去年あるWebsiteにアップしたものを手直しして、当日発表したもの。


2015年03月10日 16:13 ユリウスの雑学コレクション(2)より

 「柿木、柿木問答、渋柿、熟柿、吊し柿」

 僕が生まれ育った丹波地方では、村のちょっと古い家の庭にはたいてい柿木が1本や2本は植わっていた。お年を召した方なら、それが普通の山村風景だったと懐かしく思い出されるのではないだろうか。
 ちなみに、僕の生家の庭にあったのは「百匁柿」、「久保柿」、「富有柿」と「御所柿」だった。

 Fig.1 今も残っている富有柿(下方の枝の柿はすべて収穫済み)


 田舎の柿木の風景をしっている人でも、「柿木問答」はご存じない方が多いのではないだろうか。

『柿木問答』
(深夜、縁側から寝室に向かってささやき声で…)
♂「あんたとこに柿木あるの?」
♀「ハイ、あります。」
♂「よう実がなりますか?」
♀「ハイ、ようなります。」
♂「わたしが上(ノボ)って、ちぎってもよろしいか?」
♀「ハイ、どうぞちぎってください。」
♂「そんならちぎらしてもらいます。」

 もう日本のどこにもこの夜這いの風習は残っていない。まだそんな風習の残っていた頃の、ある地方の男と女の導入部の定型会話だと言ったら、なんとなくご理解いただけるだろうか?
 「そんなら契らしてもらいます。」と言うが早いか、男は縁側から布団にもぐりこんだのです。(笑)
 
 そんなところから「柿」にはエロティックな連想がはたらくようになり、暗喩として歌に歌われたり、小説のタイトルなどに使われている場合があるが、、案外気づかれていない。

 昔、柿は嫁の木だったらしい? 有吉佐和子の小説「紀ノ川」では三代にわたる女たちの一生が描かれており、柿木が女達に密接にかかわっている。小説の展開につれて、「紀ノ川」の柿木は次第に女の象徴になっていく。

 また、別のこんな談話記録も残されている。「これらの柿の多くは、娘が嫁に行く時、里から持って行ったのだという。そして嫁ぎ先で一生を終えたとき、里から持っていった柿木で焼いてもらうのである。柿の木の成長は、又自らの死の近づくのを意味していた。」

 知識というにはおこがましいが、こういうことをなんとなく知っていると、下の芭蕉の句もこのような古い村が深くイメージできるように思えてくる。

里ふりて柿木もたぬ家もなし    芭蕉


 ところで、夏目漱石のあだ名は「柿」。名付け親は親友の正岡子規だった。彼の漱石評は納得させられる。

「ウマミ タクサン。マダ渋ノヌケヌノモ マジレリ。」 


 意外なことに、柿は俳句にもよく詠まれている。

ちぎりなきかたみに渋き柿二つ  大伴大江丸

頬ぺたに当てなどすなり赤い柿   小林一茶

存念のいろ定まれる山の柿    飯田龍太



 囲碁好きの僕は「柿喰えば…」の法隆寺の句より、これがいい。

淋しげに柿食ふは碁を知らざらん  正岡子規


 柿のことをいろいろ書いてきたが、最後に○?△□らしき話で終わりたい。柿木はどうやら女の一生と密接だというのが、「紀ノ川」や古老の談話から明らかになった。僕はもう一歩踏み込んで、食べる身になって柿の実の熟成に注目したい。

1 柿は若いうちは、どれを喰っても渋いらしい。よく知らんけど。

渋かろかしらねど柿の初契り     子規

 正岡子規も「柿木問答」を知っていたことは間違いないですね。(笑)

2 ところが、色づき始めると、ようやく独特の甘味が味わえるようになる。が、まだ渋みも残っているらしい。前出、子規の漱石評のとおり。

ウマミ タクサン。マダ渋ノヌケヌノモ マジレリ。

3 それがどうだ。熟柿(ジュクシ)になると、少しぐらい形が崩れておろうが、カビが生えかけておろうが、どれもこれも舌で転がして味わうと旨い。 時には向こうから口に飛び込んでくる。(笑)

口腔に殺到すべき熟柿かな相生垣瓜人


 ここまで話を進めてくると、熟女から「干し柿はどうどす?」の声あり。どうどすも、こうどすもない。緊縛と被虐やんか。歌にもありまっせ。 (ご注意、贋作混じれり)

両脚を縛られ吊るされさるぐつわ敢えて志願の人口人魚     川上史津子

たのしみは 吊るした柿の くすぼりを 水にあらって 軒に干す時(緊縛、吊るし、入浴、露出)

たのしみは 囲炉裏のうえに 柿吊るし 雪のふる夜も 薪をづぐ時(緊縛、吊るし、ローソク?)

                                      (おわり)
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会の最後のご挨拶

本日は遠い田舎まで足をお運び下さり、こんな雑文までお読みいただき、本当にありがとうございました。

春風の花を散らすとみる夢は覚めても胸のさはぐなりけり西行

葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢う心地する西行

花もまた別れん春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを殷富門院大輔
(意訳)
桜よ、お前もまた、私が死に別れていく春は思い出しておくれ。お前が咲くとては、散るとては、その度ごとに、私が心を悩まし気をもんだのを。


蛇足:
私ごとですが、今月75歳になり、人生はには「三つの段階」があるということを悟りました。
「青少年期」「中年期」 そして「まぁ、なんてお元気なこと」と言われる時期。(笑)


 

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