ユリウスさんのブログ

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語源の快楽(19)-Quaker(クエーカー教徒)

 使ってよい言葉とよくない言葉があるとして、なんら文脈に関係なく言葉のみを問題にして、言葉狩りをするグループがある。その人たちから人権を犯すとか弱者の尊厳を傷つけるとか言われると大抵の人はこれらの意見に反論できなくなってしまう。その結果の産物として、「放送禁止用語」なんていうリストができいる。それらの用語を放送中にウッカリ使ったりすると大変なことになるらしい。

翔年はこのように言葉にタブーを設けることは好ましいことではないと思っている。どんな言葉でも、使われる文脈や使う人物によって、侮辱的な言葉になることもあるし、人を励ます暖かい言葉にもなりうると思うから。
 
 例えば身体的特徴で相手を貶めるからよくないされている「ハゲ」と言う言葉がある。翔年は年とともに髪の毛が薄くなってハゲ頭になっている。これは事実であるから、散髪屋が「大分ハゲてきましたね」と言っても、身体的特徴を攻撃するケシカラン散髪屋だとは思わない。
 それに昔から、日本語には「禿頭(トクトウ)」とか「はげちゃびん(禿茶瓶)とか「若ハゲ」とか「ハゲ山」と言うような熟語もあるから、それら全てを禁止するわけにもいかんのじゃないかと愚考する。「ハゲ山」を「木の不自由な山」と呼び変えてもナンセンス。

 一方、こういう言葉狩の発想と正反対の例もある。要するに、侮辱するために使われたマイナス言葉を、開き直ってプラスに変えてしまった人たちがいるのだ。翔年は言葉狩りをする人たちより、こっちのグループの方が好きだ。

 例えば”Quaker(クエーカー教徒)"と言う言葉は、Earthquake(地震)でも分かるように、キリスト教のフレンド派の信徒が「震えおののきなさい」とよく言うので、「quaker(ふるえる人)」と侮辱の言葉として使われた。ところが、フレンド派の人々はこの言葉を受け入れてしまって、今では”Quaker(クエーカー教徒)"には侮辱的響きは全くない。こういう話はなかなかいい。弱者(この場合は少数者)のしたたかさが好ましい。

 さらにもう一つ、二つの例を示そう。
 ゲイの運動家たちが"Queer(同性愛者、変態)という蔑称を堂々と使うことで、その言葉から憎悪の毒を抜いてしまったと言われている。やるものですね。

 もっと一般的なものでは、あるジャーナリストがある傾向の画家たちを「印象派」と嘲ったが、モネや仲間達はこれを自分達の旗印にした。(翔年は印象派の絵は大好き)

 この他にも「几帳面な連中(methodists)」とからかわれたのに「メソジスト派」という正式な宗派の名前にしてしまった例もある。

 弱い少数派が侮辱の言葉に反発せずに、その言葉を取りこんだ心根は素晴らしいと思う。当初は何かと問題があったでしょうが、それらの困難を乗り越えるたくましさが好ましい。

 外国の事例しか上げられないのが悔しいが、このような例はわが国にもあるでしょうか? (ご存知の方、是非教えてください)
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