ユリウスさんのブログ

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新エッセー岡部塾(4)-合評・添削指導

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 昨日は「新エッセー岡部塾」の第4回目で、生徒の8作品の合評と指導の日。教室のみなさんの作品を読んで、その合評をきいているとなかなか面白い発見がある。文章は奥が深い。

 岡部先生の指導でなるほどと思ったことを忘れないうちに書いておこう。

(1)先生は作品を形式段落毎に区切って読む。形式段落は一つの「意味のかたまり」だから、これを追って全体を把握する。
→ 今まで翔年はこういう読み方はしたことがない。英文では文の構造を意識することはあっても、日本語を構造的に意識したことも分析したこともなかったと思う。

(2)形式段落がシッカリしていると長文が書ける。
→ 納得。「意味のかたまり」がしっかり書けていたら、そのブロックを並べる構成を考えたら、論理のストーリが通るので、読みやすい文章になるのは道理だと思う。

(3)密度の濃い文体と疎な文体がある。

(4)人物像やものの見方の細部が描かれていると人物が動きだしたり、情景がイメージとして浮かび上がる。

(5)自分とのかかわりを書くとよい。
→ ある人物について書かれた作品での評だったが、エッセイーの大事なポイントの一つと思った。これはたいへん難しいが、人物にしても、事物の描写にしても、これなくしてはエッセーになりえない。うまく書くと文章がいきいきしてくるはずだと思う。

(6)最後に強調するなら、文章の前半に伏線を書いておく。
→ テクニックとして拝聴した。

 さて、翔年の第一回作品「手談の喜び」が添削指導されて手もとに返されてきた。今まで、自分の文にこれだけ叮嚀な指導を受けたことは一回もなかったので感激した。

添削事例(一部)

・ 基本的な主語と述語の関係
・ 多くの読者に共鳴や共感を得るためにどういう「書き方」をするか
・ 例えを何でするか(女性読者も視野に入れて)の工夫
・ 表記の統一、表記のビジュアル的配慮など
→ すべて納得でした。


 人生で文章を書く機会は大変多いのに、学校での文章指導はどうだったか?
 思い返してみると、小学校から大学までの学生生活において、先生から文章について指導されたのは、中学校時代の担任、M先生(数学)ただ一人だと思い至る。M先生はクラス全員に日記を書くことを勧め、文章指導と言うよりも、主に人生案内をして下さった。全員の日記に先生が朱を入れて返すなど誰にでもできることではない。今思い返しても頭が下がる。
青春前期に差しかかっている生徒に真正面から向き合って、何かを植えつけようとされた立派な方であったと思う。(当時、父兄達の評判は必ずしもよくなかった熱血先生だった)
 
 反対に国語の先生のしたことは何だったか。無理に読書感想文を書かせて、生徒を本嫌いにし、作文嫌いに追いやって、おまけに国語の先生嫌いにしただけ。面白い物語を読んでも、読書感想など子供に書きたいという気持ちがおきるものだろうか? 先生が書きたい気持ちを起こさせないで、無理に書かせた文章の誤字脱字の指摘だけでは、子供はついていかない。本も、作文も、先生も嫌いになるだけ。教育の根底が間違っていたと思う。
 今の国語教育はどうなっているのだろうか? 
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