iru*at*tu*ameさんのブログ
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認知症と、薬。(薬は、リスク。)
認知症の人達が飲む薬に「アリセプト」と言う薬が有る。(他にも、色々有る様だが、、、、。)
私の母も、以前は飲んでいた。
しかし、今は飲んでいない。
大震災が起きる迄通院していた病院が津波で流され、別な病院に通う様になり
薬も変わった。
私の母は、見たら「この人は、認知症だ。」と分かるんで
当然、病院から貰う薬に認知症の薬が入っていると思っていた。
しかし、この前、何気なく母の「お薬手帳」を見たら、認知症の薬は無かった。
病院に行き、医者の先生に聞いてみたら
「あなたのお母さんは、アルツハイマー型の認知症では無いんで
合う薬が無いんで出していない。」との事だった。
「本当かよ。もっと、調べてみろよ。」と言いたかったし
「効果が無くても良いから、認知症の薬を出して下さい。」とも言いたかった。
しかし、「薬は、リスク。」という言葉も有り、
「効果の無い薬を、飲ますよりは。」と思っている。
病院で出してくれた薬を、その本人が飲まない。
家族を困惑させるだけでなく、その親類迄巻き込んでしまう。
私も、その仮設住宅に行って「認知症の薬は、飲んだ方が良いですよ。
オラえの母さんは、認知症でも飲む薬が無くて、あ~なったから。
あんたも、認知症の薬飲まないと、あ~なるよ。」と。
(それはそれで、悲しいが、、、。)
nyajyaraさん、今晩は。
家族の協力が有るから、母を介護出来ています。
又、デイサービスやショートステイを利用しながら、適度(?)に息抜きしながら生活してるんで、今の所は大きな問題も無く過ごしています。
我が家の場合は、恵まれてる方だと思っています。
母には、「天寿を、全うさせたい。」と思っています。
「後、500年位かな?」と思っていますが、、、、。(おい、おい。)
私が小さい時は、家で馬を飼っていました。(乗馬用じゃなくて、農耕用ですが、、、、。)
洗濯は、川に持って行ってしてました。
その当時は、それが普通の生活だったのです。
「家族の服を、川で洗濯しながら、私を育ててくれた。」
それを考えたら、(息は抜いても)手は抜けません。
リコメです
脳梗塞の場合
梗塞が起きた部分の認知が悪くなるのです
記憶の部分だったり 何かするときの行動が制限される
というか行動自体が出来なくなってしまうのです
出来ないところを伸ばすことは出来ないと思いますが
せめて出来る部分だけでも自分で出来るよう心がけてください
一緒にやってあげたり時に手伝いながら
楽しんで・・・って言ってもなかなか難しいでしょう?
24時間365日お付き合いするんですから・・・
時には息抜きできる時間が作れるといいですね
可能なサービスを少し活用した方がいいですよ
あなたの責任ではないのですから
みんなでお母様を助けてあげましょう^^
応援しています
dendenmusiさん、初めまして。
私の母は、脳梗塞で倒れ、そのリハビリ中に認知症の症状が現われて来ました。
最初は、認知症と分からず諍いが絶えませんでした。
私の住む岩手県の三陸海岸地区は、東日本大震災後に「要介護」の人達が
1万人以上増えたと言われています。
私の親類の中には、せっかく病院から認知症の薬を出してもらったのに
「俺は、認知症じゃない。」と言って、薬を飲まず
家族を困惑させている方もいます。
私の母の場合、徘徊や暴力をふるうという事が無いので
「廃用症候群」にならない様に、時間をかけてでも自分で歩かせる様に
家族で気を使っています。
薬はリスク
リスクをひっくり返すと、クスリ・・・
必要のない薬は飲まないに限りますね。
いろいろ大変ですね。
それでも、負けずにお母様の面倒も見ていて、お子さんの面倒を見ているあにゃたを尊敬します。
で、リスペクトに入れます。
お母さんが昔、あにゃたのオムツを替えてくれたこと、愛情を持って育ててくれたことを思い出せば、今後もお母様を愛せるはずです。
こんばんは 初めまして
認知症はいろいろな形があります
先生のおっしゃるとおり
アリセプトはアルツハイマー症のために開発された薬です
脳障害を起こされた方は冒された部分の脳障害が起きるために
それを総称して認知症と呼ぶのです
年齢が行くと薬は害にもなります
昔は・・・今もですが
症状に合わせて薬が処方されるために
同じような薬が重複することも・・・
百害あって一利なし
何よりも家族の深い愛情が一番の薬です