with24さんのブログ
私の住んでいるところ・・・・^^
今日は、私が住んでいる地元のことを書きたいと思います。
私の住んでいるところは、鹿児島市の南部谷山の山手です。
昔は、たぶんすぐそこに海岸があったのでしょうね。
今は埋め立てられて、海岸線は高いところに登らないと見えません。
裏側が山になっていますので、山と言っても今は造成されて団地になっているのですが
湧き水が出ています。
その一角に、波之平刀匠跡という史跡があります。
この辺りは昔、刀鍛冶が有ったと聞いていますし、史跡看板にも書いてあります。
書いてある内容は以下の文です。
「波之平刀匠跡」
大和の国の刀匠、橋口正国が平安時代末期、武の国薩摩に下り、谷山に住みついたのが波之平刀匠の始まりです。
妻子を迎えるため大和に向かう船旅で、暴風雨に遭遇、藁をもつかむ思いで自ら打った一刀を海中に投じたところ、荒れ狂っていた海が、嘘の様に静まりかえりました。
そこで正国は、波平(なみのひら)と名のり、晩年には波平行安とあらためたといわれています。
この波之平地区は砂鉄、木炭、焼刃渡しの水に恵まれ、刀剣づくりに適したことから、数多くの名工が生まれました。
中でも、一条天皇の御剣を打ったことで知られる初代行安、愛知県猿枝神社の国宝を打った2代目行安、3代目行安は、相州正宗と優劣つけがたいとまで言われ、名刀「笹貫」の名を残しました。
波之平刀剣は初代行安から64代、明治初期まで900年も続き、全国の刀剣史上、比類のないことといわれています。
歩いてみると歴史を感じます。
私の住んでる所の電停は「笹貫」という電停です。
こんなところからきていたんですね。^^
ここの水は、飲用できますので近くの人が水くみに来ている姿も見られます。
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神埼あおいさん おはようございます。
歴史とかは興味ないものですから、知ってはいましたがあえて調べるまでは
しませんね。^^
鹿児島は古墳とか聞きませんね。
宮崎は西都のあたりに有りますが・・・・^^
まだ、初恋の話とかの方が良かったかな・・・・^^;
球さん おはようございます。
NK力がありません。^^
この辺りは刀鍛冶があったとは聞いてはいましたが、詳しい事も知りません
でした。^^
薩摩の歴史の1つにはなるみたいです、^^
鹿児島市は市電がまだ走ってます。
半分ぐらいは無くなったのですが、鹿児島駅・谷山間はまだ健在です。
九州では、鹿児島・熊本・長崎だけですかね。
タヌキさん おはようございます。
有るのは分かっていたのですが、覗いてはみませんでした。
私歴史とか苦手なんです。^^;
神さま仏さまさん おはようございます。
歴史とか興味ないものですから・・・^^
磯野波平はまた別なものですね^^
この波平は商事会社に勤めています。
ふねという妻が居て、私より年下です。^^;
おはようございます
私はこの刀のお話 知りませんでした
私の知っている刀は 草薙の剣 妖刀村正・・・お粗末ですみません
私の住んでる所は 都とはかけ離れて 昔は超寂しい所だったと思うのですが・・・
何故か 古墳があります
車で一時間ぐらいのお隣の県には 古墳群があったり・・・
不思議です
おはようございます。
歴史があって、由緒正しそうです。
薩摩の歴史の一つなんですね。
ところで、電停っていうには、市電の停留所のことですか?
球の住んでるところでは、全く遺跡などがありません。
大企業の遺跡のような幽霊団地や空き地がいっぱいです^^;
少し行けば、あと50年後には、遺跡になるかもしれない、
万博会場があります。^^
チョッとした所でも、周りを見渡せば、結構遺跡がある物ですね。
散歩に楽しみが、添えられますね。
私も廻りを散歩して、楽しみを増やしたいと思います。
なるほど↓
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【波之平刀匠】
薩摩には名刀を生んだ刀鍛冶がたくさんいる。
最古の刀と言われる「笹貫」は特に有名。
平安時代に、大和の刀匠・橋口正国が、薩摩の谷山に移り住み、
以後、明治時代までの間
64代900年にわたり鋳造、
多くの名刀を残して、中には国宝として保存されているものもある。
橋口は、「波之平行安」と名乗った。
造られた刀は「大段平」おおだんびら、などと呼ばれ、
幅の広い長刀で、薩摩武士に好まれて使われた。
屋敷跡など5ヶ所に記念碑が立っている。
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ちなみに、磯野波平は、どこにも関係が無い様でした。
(笑)