ユリウスさんのブログ
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目と耳と口と
田舎の葬式に参列するため朝から車で峠を越えた。峠道の両サイドは新緑。道のところどころで、周囲の木の枝が張り出してきて上から覆いかぶさっているところもある。まるで緑の回廊みたいだった。
1 新緑の山道をゆく死の報せ 飯田龍太
なんといっても、青葉若葉の季節に思い出されるのは山口素堂の有名なこの句。
2 目に青葉 山ほととぎす 初鰹 山口素堂
ところが、このよく知られている句、本当はこれが正しいのだそうだ。
3 目には青葉 山郭公 初松魚 山口素堂
※郭公=ほととぎす 松魚=カツオ
わざわざ、頭に「目には青葉」と字余りにして調子が崩してある。漢字も読みにくい。これではあんまりなので、分りやすくて、調子も整っている2の句が人口に膾炙(カイシャ)したのだろう。
作者の気持ちとしては、「目には青葉がまぶしい、、山にはホトトギスが鳴いている、こんな季節の初鰹は旨い」と初夏の気持ちのいいことを詠んだのだろう。
名句なんだろうが、この句、字余りだけでなく、季重なりという禁も犯している。「青葉」も「ほととぎす」も「初鰹」も全部夏の季語、季語を三つも重ねては普通はヘボと言われる。名人ともなれば形や規則を超越しているということか。
4 目と耳は いヽが口には 銭がいり 江戸川柳
(意訳)初夏の青葉若葉を目で楽しみ、ホトトギスの鳴き声を耳で楽しむことはできる。只だからね。でも(江戸時代の)庶民は貧しいので、初鰹などとても口にすることは出来ないよ。
傍証:あるwebsiteによると、文化9(1812)年に、魚河岸に入った17本の鰹のうち、6本が将軍家へ献上され、残りを高級料理屋が引き取り、そのうち一本を三代目中村歌右衛門が3両で買ったという記録が残っているそうだ。1両は現在の30万円ぐらいと考えられ、3両は当時の最下級の武士の一年分ほどの給料に相当するという。
蛇足:ついでに「目」と「耳」と「口」の万葉歌と現代俳句を見ておこう。目も耳も口もなかなかいいのを見つけることができた。(俳句は訳も解説もなし。できるだけ想像の羽を広げてご鑑賞下さい)
まず「目」から。
5 目には見て 手には捉えぬ 月の内の 桂のごとき 妹をいかにせむ 万葉集
(意訳)月の桂のように、見ることはできても手に取ることができないあなた。いったいどうしたら逢えるのだろうか。
※古代の中国には、月に桂の木が生えているという俗信があった。これを踏まえてか、伏見の清酒に「月の桂」あり。
6 蜜柑吸う目の恍惚をともにせり 加藤楸邨
次は「耳」。
7 向つ峰に 立てる桃の木 成らめやと 人そ耳言 汝が心ゆめ 万葉集
(意訳)向こうの桃の木は実がならない(私達の恋が成就しない)と陰口を言っている。あなたは決して噂に惑わされないように。
※耳言=ミミコト? 陰口のこと、ささやくと読むのがよさそう。文字のない時代だから、口達者が断然有利だったと思われる。
8 うしろより耳朶噛まれゐて陽炎(カゲロ)へり 富士真奈美
最後は「口」。
9 玉かぎる 磐垣淵(イワカキフチ)の 隠(コモ)りには 伏して死ぬとも 汝が名は告(ノ)らじ 万葉集
(意訳)たとえひとりひっそりと倒れ死んでも、(お慕いしている)あなたの名を決して口外しません。
※当時、恋人の名前を他国の邪悪な神に聞かれると邪魔されて恋が成就しないと考えられていたらしい。
10 月の出や口をつかいし愛のあと 江里明彦
それにしても、万葉人の歌は真っすぐで素朴でいいですね。
cf. 奈良埼初子・西村康子著「万葉集からだ賛歌」を参考にしました。
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