寿限無寿限夢ポンポコナー長久命長助さんのブログ最新一覧へ « 前へ817件目 / 全1139件次へ » ブログ 被災者への接し方 「がんばって」は禁句 … 通報する 寿限無寿限夢ポンポコナー長久命長助さん 更新:2011/4/4 14:12投稿:2011/3/24 17:23 被災者への接し方 「がんばって」は禁句 心理的経過に4段階、感情の変化に理解を http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C889DE0E7E7E1E4E1E0E2E0E6E2E1E0E2E3E397E3E2E3E2E2 上記日経サイト、非常に参考になったので紹介します。 タグ: 東北関東大震災 被災者対応 post bookmark share 通報する 8件のコメントがあります 古い順新しい順 黒鮪殿下さん 2011/3/24 18:00 通報する 小法師さん こんばんは言われてみれば「がんばって」は、上から目線です。私もあちこちのブログで言って来ましたが、反省して改めようと思います。 寿限無寿限夢ポンポコナー長久命長助さん 2011/3/24 18:32 通報する 黒鮪殿下さん 今晩は、というより、本人達は、言われるまでもなく充分以上頑張って耐えているのにこれ以上何を頑張れと言うのかそんな気持ちにもなる可能性ありますね、口にも出せずに耐えるに耐えている人達には、それを吐き出させるのが一番かも。 ハクゼンさん 2011/3/25 01:15 通報する あえて。それでもがんばってもらわなければいけません。ここでがんばらなければ淘汰されてしまいます。生きる力は存在できる気持ちは頑張らなければ生まれません。こんな状況の時は頑張れ頑張れ。これ以上どうすればという気持ちは分っても、それでもがんばらなきゃ乗り越えて行けません。中途半端な気持ちでは生きていけません。がんばれ。とにもかくにも、がんばれ。 寿限無寿限夢ポンポコナー長久命長助さん 2011/3/25 06:21 通報する ハクゼンさん お早うございます。あなたのプロフィル拝見しましたが、貴方が男か女か年齢はお住まいは…何も判りませんので、コメントに苦慮しています。頑張って生きて欲しいとの気持ちは充分感じられるのですが、被災者の心情や何もかも失った被災者の打ちのめされた気持ちをどうしたら前向きな気持ちに向けることが出来るのか、その人たちの目線で考えているつもりでも、的外れになっていたのかも、そんな風に思って見ること出来ませんか、死の縁から生還したは良いが何もかも失って茫然自失の人の深い傷をどう癒し立ち直らせられるか、そのためには、頑張って立ち直って欲しいとの思いは心に秘めて、被災者のどう接すれば良いのか、心療カウンセラーになったつもりで考えて見る必要ありそうです。 tsuntsunさん 2011/3/26 23:46 通報する こんばんは。勉強になります! (゜ー゜)(。_。)ウンウン 寿限無寿限夢ポンポコナー長久命長助さん 2011/3/27 05:55 通報する tsuntsunさん お早うございます。勉強になります! (゜ー゜)(。_。)ウンウン判ります。それと、被災者の被災直後の状態と、半月も経ってからの状態では、また対応の仕方も違うとの事、被災者が何に飢えてるか何を欲しているか頑張るために何を支援して上げられるか、その辺も考えないと駄目でしょうね、たちなおろうとの意欲引き出すには、何が必要か、考えさせられます。 sariさん 2011/4/4 12:02 通報する こんにちはこの日記を読んで何度もコメントを書こうと思いつつ今に至ります。URLをクリックしたらもう読めなくなってて・・・・少し独り言のようにおしゃべりさせてもらってもいいですか・・・立ち直ろうとの意欲を引き出すのに何が必要か。被害にあわれた程度、なくされたものの大きさ、それぞれの立場等によってちがうと思いますが・・・私だったら、もし子供達が死んでしまったとしたら、今の段階で立ち直ることはできません。そういう時期と思います。ただ深く暗く沈んでいく。ただそれだけです。そんなときにがんばってとはなんと酷な言葉かと思います。何もなくなってしまったあの被災地に行き、ただ、立ち尽くして見る。ただそれだけでがんばっていることだろうと私は思うのです。見つからない家族を探し回っている方々、相当な力で動いているのだろうな。。ただ座っているだけで、食事をするだけでつらい思い、悲しい想いがこみ上げてくるのではないか・・私たちでは考えられないほどがんばっていると思います。それをさらにがんばれはあの方達にとって酷と思います。生きてるだけでやっとなのだろう・・そんな風に感じてしまいます。今の段階で深く沈んでいる方達に何ができるのか。「あの方達の気持は私たちには一生理解してあげることはできない」この思いを常に持ちつつでも少しでも近づきたい、分かってあげたい、少しでも何かできることがあるのなら・・そんな気持で接する事が大事なのではないか・・・相手の方を見て話しかけてみる。返事もないようならそっとして、何度か必要なものはないか聞いてみる。食べる、寝る、排泄はあたりまえのことなのでその都度、声をかけてみる。また、自分の気持を話すというのは、本人が現実を受け入れていく作業として大事と思います。気持を話す。泣く。大声を出す。わがままになる。いろんな発散方法があると思いますがその全てを受け入れて聞く。ただ聞く。気持を話せるような関係になっていく。私が書いていることは理想論に聞こえるかもしれませんが私が精神的におかしくなった時に私の母が私にとってくれた行動です。私が思いついたことを書いてみました・・・最後に、支援する側として、「してあげる。~ために」ではなく、「する。ただする。したい。」そんな慈悲の気持で接すること。大事と思います。長文になってしまいましたが、すみません。。。どうしてもこの日記に何か書かせてもらいたいなとおもっていたので・・・また伺います・・・sari 寿限無寿限夢ポンポコナー長久命長助さん 2011/4/4 14:12 通報する sariさん 今日は、貴女の長文、迷惑なんて思っていません、素晴らしいと思います、これからも思いついたことあったらコメント下さい。頑張って欲しいの気持ちが、受け止めた側にとって、高飛車な物言いと感じられるか、自分に寄り添ってくれた言い方に感じるか、それによっても受け止め方って違うのでしょうね…などといろいろ私も考えさせられました。 コメントを書く コメントを投稿するには、ログイン(無料会員登録)が必要です。会員登録無料ログイン
言われてみれば
「がんばって」
は、上から目線です。
私もあちこちのブログで言って来ましたが、反省して改めようと思います。
というより、本人達は、言われるまでもなく充分以上頑張って耐えているのに
これ以上何を頑張れと言うのか
そんな気持ちにもなる可能性ありますね、
口にも出せずに耐えるに耐えている人達には、それを吐き出させるのが一番かも。
それでもがんばってもらわなければいけません。
ここでがんばらなければ淘汰されてしまいます。
生きる力は存在できる気持ちは頑張らなければ生まれません。
こんな状況の時は頑張れ頑張れ。
これ以上どうすればという気持ちは分っても、それでもがんばらなきゃ乗り越えて行けません。中途半端な気持ちでは生きていけません。
がんばれ。とにもかくにも、がんばれ。
あなたのプロフィル拝見しましたが、貴方が男か女か年齢はお住まいは…
何も判りませんので、コメントに苦慮しています。
頑張って生きて欲しいとの気持ちは充分感じられるのですが、
被災者の心情や何もかも失った被災者の打ちのめされた気持ちを
どうしたら前向きな気持ちに向けることが出来るのか、
その人たちの目線で考えているつもりでも、的外れになっていたのかも、
そんな風に思って見ること出来ませんか、死の縁から生還したは良いが
何もかも失って茫然自失の人の深い傷をどう癒し立ち直らせられるか、
そのためには、頑張って立ち直って欲しいとの思いは心に秘めて、
被災者のどう接すれば良いのか、心療カウンセラーになったつもりで
考えて見る必要ありそうです。
勉強になります! (゜ー゜)(。_。)ウンウン
勉強になります! (゜ー゜)(。_。)ウンウン
判ります。
それと、被災者の被災直後の状態と、半月も経ってからの状態では、
また対応の仕方も違うとの事、被災者が何に飢えてるか何を欲しているか
頑張るために何を支援して上げられるか、その辺も考えないと駄目でしょうね、
たちなおろうとの意欲引き出すには、何が必要か、考えさせられます。
この日記を読んで何度もコメントを書こうと思いつつ今に至ります。
URLをクリックしたらもう読めなくなってて・・・・
少し独り言のようにおしゃべりさせてもらってもいいですか・・・
立ち直ろうとの意欲を引き出すのに何が必要か。
被害にあわれた程度、なくされたものの大きさ、それぞれの立場等によってちがうと思いますが・・・
私だったら、もし子供達が死んでしまったとしたら、今の段階で立ち直ることはできません。
そういう時期と思います。
ただ深く暗く沈んでいく。ただそれだけです。
そんなときにがんばってとはなんと酷な言葉かと思います。
何もなくなってしまったあの被災地に行き、ただ、立ち尽くして見る。
ただそれだけでがんばっていることだろうと私は思うのです。
見つからない家族を探し回っている方々、相当な力で動いているのだろうな。。
ただ座っているだけで、食事をするだけでつらい思い、悲しい想いがこみ上げてくるのではないか・・
私たちでは考えられないほどがんばっていると思います。
それをさらにがんばれはあの方達にとって酷と思います。
生きてるだけでやっとなのだろう・・
そんな風に感じてしまいます。
今の段階で深く沈んでいる方達に何ができるのか。
「あの方達の気持は私たちには一生理解してあげることはできない」
この思いを常に持ちつつ
でも少しでも近づきたい、分かってあげたい、少しでも何かできることがあるのなら・・
そんな気持で接する事が大事なのではないか・・・
相手の方を見て話しかけてみる。
返事もないようならそっとして、何度か必要なものはないか聞いてみる。
食べる、寝る、排泄はあたりまえのことなのでその都度、声をかけてみる。
また、自分の気持を話すというのは、本人が現実を受け入れていく作業として
大事と思います。
気持を話す。泣く。大声を出す。わがままになる。いろんな発散方法があると思いますが
その全てを受け入れて聞く。ただ聞く。
気持を話せるような関係になっていく。
私が書いていることは理想論に聞こえるかもしれませんが
私が精神的におかしくなった時に私の母が私にとってくれた行動です。
私が思いついたことを書いてみました・・・
最後に、支援する側として、「してあげる。~ために」ではなく、「する。ただする。したい。」
そんな慈悲の気持で接すること。
大事と思います。
長文になってしまいましたが、すみません。。。
どうしてもこの日記に何か書かせてもらいたいなとおもっていたので・・・
また伺います・・・
sari
貴女の長文、迷惑なんて思っていません、
素晴らしいと思います、
これからも思いついたことあったらコメント下さい。
頑張って欲しいの気持ちが、
受け止めた側にとって、
高飛車な物言いと感じられるか、
自分に寄り添ってくれた言い方に感じるか、
それによっても受け止め方って違うのでしょうね…
などといろいろ私も考えさせられました。