ニャン(=^・^=) ママさんのブログ
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ベルリンの壁
そのとき、1989年11月9日の18時頃と言えば、
私はパリ、リヨン駅構内でローマ行きの電車を待っていた。
そのままベルリンの壁のことなどまったく知らずに
カフェで紅茶を飲み、電車が来ると乗り込んで
外を眺めたり、ベッドを作ってもらって眠ったりして
次の朝ローマに着いた。ローマに着くと、友人が
「昨夜車中で知らないだろう、
昨夜ベルリンの壁が壊されたんだよ」と。
テレビでは一日中そのニュースが流れていて、
外国語を理解出来ない私でも、映像だけでベルリンが
ひとつになっていくのが解った。
そしてその次の日も、
壁をたたき割る市民がどんどん増えていく。
「このあとどうする?ベルリンに行く?」と聞いてくる友人に
「見たいけど、行けない。帰らなければ」
私には愛するにゃんこが待っていたのです。
妹に世話を頼んでいて、長引かせることはできなかった。
あのとき、無理してでも行けば良かったと後悔する私です。
日本に帰ってもまだそのニュースでした。
まだ壊せる壁は残っているか、今からでも行かないか、
という人が増えて、ツアーまでできてきましたが
やはり行けなかった。
私は割られた壁の一切れをはテレビで見て、
涙がポロポロとこぼれた。
この壁のせいで犠牲になった人たちを思った。
地図で見ても小さなベルリンを二つに分けていた壁。
いつか、できるならブランデンブルク門を見てみたいと思う
ニャンママでした。
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証明書あったんですね。なんだかホッとしました。
持っている方がいると言うだけであたたかな気持ちになります。
こちらこそ、ありがとうございました。
ベルリンの壁のかけら2つですが、ドイツ語の証明書を本日見つけました。
20年後の今日この日に見つけることができたのは、ニャンママさんの日記へコメントしたことがきっかけです。ありがとうございました。
これでただのガラクタではなく、正式なベルリンの壁です。
こんばんは。20年って、あっという間ですね。
ドイツ人と祝杯でしたか、なんかうらやましいような。笑
かけら持ってらっしゃるんですね。いいなあ。
いまは記念として再建するような話が出ているらしいですね。
思い出しますよね、私も今思い出して眠れなくなってしまいました。
明日、というか、今日も早いのに。銘柄監視のために。笑
ではおやすみなさい。
あの日から20年も経ってしまったのですね。私もその時海外にいました(サンフランシスコ近郊)。隣の部屋のドイツ人と祝い酒でしたね。
http://minkabu.jp/blog/show/186245
当時ドイツにいた先輩からベルリンの壁のかけらを2つもらいました。ドイツ語の証明書があったのですが、それはもうないです。ただのガラクタ石に見えますが、このかけらを見るたびに思い出します。