宮ちゃん◎リーマンさんのブログ
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[中国株]中国株で1億円儲けた!(1/4) 小泉鉄造
3章 天国と地獄を味わう
中国株が急騰!
さて、私が上海を訪れた1997年は、上期から中国関連株の値が徐々に上がっていった時期でもありました。この頃、日本でも多少ではありますが中国株が取り上げられるようになっていました。マネー関係の出版物でも中国の株式市場の記事が、これまた少しではありますが載るようになりました。
香港がイギリスから返還されたのも、この年の7月でした。
返還される前は、香港は中国に呑み込まれつぶされてしまうに違いないなどとの論評が多かったのですが、実際は中国の香港化、つまり香港の発展を見習い、中国本土も香港のように発展していこうという方向が目に見えてわかったときでもあります。
香港の隣の深セン(香港から電車で1時間たらずの地区)などは、15年前には何もない農村だったのですが、那小平氏の改革、開放路線に乗り、経済特区(この地区内なら外貨で自由に取引ができ、地区に人ってきた荷物は無税=自由貿易区のこと)であることを活かし、あっという間に大都市へと変貌しました。
海外の企業もつぎつぎと香港に支店を開設し、香港に仕事とお金が流れ込みました。株価も急角度で上昇しました。
そして8月、香港に上場している中国系の株、レッドチップやH株も今までの最高値のポイント(レッドチップが4200ポイント台、H株が1780ポイント台)に急騰しました。私が買っていたH株の中海発展(海運)という株などは、7万円で買ったものが100万円にまで値が上がったのです。
また、中国本土の上海B株、深センB株も急騰していきました。
投資クラブのほうでも毎月コツコツと買っていましたが、この頃になると、同じ金額では以前の3分の1から5分の1の株数しか買えなくなっていました。
買えなくなったことは残念ですが、持ち株の値が上がることにはみんなが喜んでいました。
グループでの話し合いにもなおさら熱が入り、全員の目は輝いていました。こんな調子ですから、私個人は投資4年目で、無償株もついて株数もふくれあがっていたので、すべて合計するとけっこうな金額になりました。最高で総額3000万円くらいにまで上がったのです。
市場で買えば上がる、上がるから買う、という循環で増えていきました。中国企業でも運転資金を株で運用するところが多かったのですからなおさらです。これはどう見てもバブルなのですが、私の場合は長期保有が目的ですから、それでも一部の株しか売却しませんでした。グループのメンバーの中には、このときに売り抜けて大金を手にした人もいます。
この頃が、ある意味では天国の時期でもありました。
しかし、このとき、タイ発アジア経済危機の流れが香港に押し寄せようとしていたのです。
襲いかかったヘッジファンド集団
1993年以降、海外の企業がとくにタイの安い労働力に目をつけ、タイに工場をつぎつぎと建てて創業しました。その結果、人手不足になり、賃金は急上昇しました。賃金が上がればインフレが進行します。ここでインフレを抑えればよかったのですが、インフレになっても景気さえよくなればいいという政策のもとで投資が加速しました。
賃金が上がれば為替は弱くなる、というのが基本的な法則です。そのうえタイ政府の中央銀行はパーツと米ドルとのリンク(固定相場制)を続けていました。そこを国際投資家集団、ヘッジファンドに狙われたのです。
96年、ヘッジファンドはドルとの為替予約をしておいてタイパーツを売り浴びせました。驚いたタイは自国の通貨パーツを守るために手持ちの外貨で買い支えましたが、結果はパーツの破綻となり、パーツは固定相場制から変動相規制に移行し、急落していったのです。パーツが下がるということは、それまでは1パーツ出せば買えた物が、2バーツ、3八ーツ出さないと買えなくなるということです。企業が赤字になるのは必至です。海外企業は先を争ってタイから撤退を始めました。
そしてタイは不況におちいっていったのです。
その後、ヘッジファンドは同じ手口でマレーシア、インドネシア、フィリピンと攻撃していき、各国を破綻させ、不況におちいらせました。その結果、ヘッジファンドは巨大な利益を手にしました。
そして97年夏以降、ヘッジファンドは香港をターゲットとして襲いかかってきたのです。香港ドルも米ドルとリンクしています。これを突き崩せば、ヘッジファンドはまた大儲けできます。
香港はこれに対抗してあらゆる手を打ちました。最終的に香港ドルは守られましたが、それが精一杯で、株式までは手がまわらなかったのです。もともとバブル的な要素があったからなおさらです。株価はその後急落し、元の値段に近くなっていきました。翌年の98年にはさらに下がっていくことになります。
私の株も、3000万円が1000万円以下に下がってしまいました。この出来事に、投資クラブのメンバーもびっくりしていましたが、私白身はそれほどガックリきているわけでもありませんでした。まあ、たしかに地獄といえば地獄でしょうが、それほどくやしくはなかったのです。いや、むしろ喜んでいた、といってもいいのです。
たしかに3000万円が1000万円にまで落ち込んだのは、残念無念という気はします。しかし、もともと今回の投資は短期ではありません。10年、20年という長いスパンで資産を作るというスタンスなのですから、急騰も暴落も「こんなもんか」と思っていればいいのです。
アメリカのウォーレン・バフェットは、投資だけで3兆円ともいわれる資産を手に入れましたが、その投資方法はきわめて単純です。株価が安いときに買い、株式市場が加熱して常識では考えられないほど高騰してしまったときには買いをやめる、もしくは一部株式を売却し現金比率を上げる、というものです。
話は古くなりますが、1960年代半ばのこと、アメリカの景気は最高を示し、金融街ウォールストリート全体が強気にありました。この頃をゴーゴー時代(日本のバブルと同じ)ともいい、証券会社のブローカーや一般投資家は積極的に売買し、市場値はどんどん上がっていきました。
バフェットも買ってはいましたが、あまりにも株価が上がりすぎるのを見て、もうこの株価では買えないと判断し、68年に買うのを中止しました。バフェットが38歳のときのことです。
ところが、その頃からアメリカの株は下がり始め、そして73年、74年に大暴落してしまいます。この大暴落の後、バフェットはまた買い出すのです。バフェットは基本的に、アメリカ株がブームになったときは警戒して現金を手もとにおくようにし、下がったら買い始める、という投資法をくり返しました。
この例からもわかるように、半年や1年のスパンで株式市場を見るのではなく、長期で考え判断し、行動した人のほうが最終的に大きな利益を得ることになるのだと、私は考えています。
うれしいはずの暴騰がなぜ”地獄”なのか
ウオーレン・バフェットの考え方は、私にはよく理解できるし、参考にもなります。バフェットはファンド・マネジャーとして多くの人々から資産を集めそれを運用して利益をあげていたわけですが、私のほうは1人です。だから投資方法は違いますが、安い株を買って株数を増やしていくという、いちばん大事な考え方は同じです。
高値になったときには株数が少なくしか手に人らないのですから、私にとっては最悪です。本来なら、バフェットのように高値になったら買わないという方法をとるべきなのでしょうが、とりあえずは上がり下がり関係なしにグループは毎月定期的に購入していきました。
継続は力なり、というくらいですから、この方法でもオーケーだと思ったのです。
少ない株数しか買えないときは、暴騰暴落はさほど問題ではなく、とにかく株数を増やしていくことを最重要課題としていました。
暴騰や暴落のことは、株数がある程度まとまった時点で考えればいいと思ったのです。だから、私にとっては株が暴騰することは極楽ではなく、じつは地獄でしかないのです。逆に安く買うことができる暴落の時期は、天国なのです。
最初、グループのメンバーは私の考え方にとまどっていたようですが、やがてなんとなく理解してくれたようです。途中はどうあれ、10年後に喜ぶことができればいいと私は思っています。そのときまで、そのときどきの状況に応じて買い方を変えていくという投資スタイルです。
グループの会話には、この銘柄はいくらまで上がった、あのとき売っていれば……という話題もよく出てきますが、それはそれでいいと思っています。その中から反省と学習が生まれ、次の投資のときにはまた別の投資スタイルになるかもしれないし、各個人の売買のときの参考になるかもしれません。大事なのはコツコツと株を買い続け、株数を増やすことです。
この当時、中国の滅亡説や崩壊説がまた復活してきました。マネー雑誌も中国株のことを取り上げなくなりました。
97年に個人で買った銘柄は、東方通信(中国最大の移動体通信設備メーカー。米モトローラ社との提携で、上場する前から有力株として噂されていました。今後、移動体通信の発達とともに受注が増えていくはずです)、上海大江集団(タイ財閥C・P・ポクバンドと共同で経営。鶏肉を生産し、日本に半分近く輸出をしています)、上海テレコム、上海ラバーベルト(コンベアベルトメーカー。今後、本格的に機械が増えるにしたがい必要になる業種です)など。
グループでは、黒竜江電力、上海海立集団(エアコン、冷蔵庫コンプレッサー製造会社で、エアコンなどはこれから家庭に普及していきます。生産拡大予定で業績も伸びるはずです)、大衆交通集団(上海市で業界第2位のタクシー会社。サービスがいいので有名で、これから勝ち残ることができるでしょう)、金橋開発(不動産。浦東開発を行う3社のうちの1社で輸入区を担当)、浙江東南発電(浙江省にある巨大発電会社。これからの電力需要を見込んで買える銘柄です)などです。
97年の配当金は6万円以下でした。
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