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[中国株]中国株で1億円儲けた!(2/4) 小泉鉄造

予想以上に尾を引く低迷

1998年も中国市場の株価は指数でいうと30%程度下落していきましたが、私は楽観視していました。その年の半ば過ぎには回復すると思っていたのです。

しかし、実際はB株に聞してはそうではありませんでした。レッドチップ、H株は八月が底値で、以降は上げに転じました。

98年を迎えるにあたって、私は中国株式の新聞『チャイニーズ・ドラゴン』に寄稿しました。当時の私の考えていたことがよくわかる内容なので、ここに再録します。新聞の表題は「特集!中国株式98年市況予測」でした。

≪●活性化へ海外投資家の積極参入

今年の上海B株の株価予想を結論からいえば2~3月が最も安く、その後は回復、株価も上がっていき、年末には80ポイント前後までいくのではなかろうか。アジア通貨危機も収まりつつあるようにみえるが依然予断を許さず、その後遺症は深く、B株市場は一進一退しながら回復する。回復というよりも今は株価があまりにも安くなっているため、もとの姿(株価)に戻るという程度ではなかろうか。中国は今後3年かけ金融改革を行おうとしている。証券取引法の制定もまだ行われていない。この改革が終わらないうちはこの2~3年はそう大きく上値は追わないのではないか(もちろん投機的に指数が大きく上げたり下げたりということは市場が小さいためと制度の来整備により幾度かはあるだろうが)。上海浦来地区の問発もあと10年はかかるであろう。こうみていくと行く先まだまだ暗くみえるが、金融改革、証券取引制度、元の自由交換(まだまだ先のことだろう)がすすめば当然、株も値上がりするだろうし、海外の証券会社も積極的に参入してくるであろう。 中国は安定した成長を求めている。今はその道筋をつけ始めたばかりの段階である。この2~3年、混沌とした市場になるであろうが、しかし、こういった時期こそ中・長期に投資という立場からみると買いのチャンスである。今、株価はいろいろな要素から悲観論が多数を占め、下げている。そこで株価が安いということは果たして悪いことであろうか?

PER(株価収益率)も低く割安感があり、配当率からみても5%前後の銘柄も数多くあり、それだけ見ても買える銘柄も多い。輸出競争力低下や金融不安の心配を考慮しても買えるのではなかろうか。将来成長が見込める企業なら買っておいて損はないと思う。今年の見通しをすると8%前後の経済成長率を達成しながら株式市場は数多くの会社が上場し、市場は膨らむ。が、株価は不安材料(金融不安、香港ペッグ制維持、元切り下げ問題)でもう何度か大きく下げる可能性が大きい。金融不安が収まれば株価は上げに転じるが、今年前半は難しく後半になるだろう。優良銘柄から上げに転じ、値の安い銘柄でも1・5S2倍の価格まで戻る。さらに来年以降を考えてみると銀行の合理化、資本市場の整備など金融体制の改革、および国有企業改革がどれくらい道んだかにより、市場の株価が信頼度を示すだろう。98年は改革が始まったばかり。市場はその行方を見て動く展開となりそうだ。≫

このようなものでしたが、文中の「2~3年、混沌とした市場」というのはじつによく当たっていたと思うし、実際、上昇するのに三年かかったので、これも私が指摘したとおりとなったのでした。

この頃、中国株式の新聞社のT記者に「中国株のアナリストにならないか」とすすめられました。

「今ならまだ中国株のアナリストはいない。興味があるのならぜひやるべきだ」とのことでした。

たしかに心引かれる意見でした。私自身、本格的に調べて徹底的にやってみたい気もありました。いろいろな人たちに出会えるだろうし、人脈も広がるに違いありません。投資には悟報がいちばん大事だと思っていますから、その意味でもこの話には魅力を感じました。

覚悟を決めて取り組めばできないことはないだろう、と思いましたが、問題もありました。現在かかわっているイラストの仕事のことです。この仕事をやめたら生活できないし、この仕事のために私は独立したのです。好きで始めた仕事でもあります。それに当時の状況では、中国株のことを取り上げる雑誌もあまりないづではないか……。

いろいろと考えましたが、今は中国株のアナリストになるような時期ではないし、将来、どうしてもアナリストになりたいと思ったらそうすればいいではないか、と決めました。結局、この話はお蔵入りになりましたが、心の隅にはおいておくことにしました。

1998年はアジア経済危機を背景に、レッドチップ指数が558ポイント、H株指数も2元ポイントと、1997年の高値からそれぞれ87%も下落しました。B株も60%以上の下落です。

ここまで下がると、政府による買い支えも行われました。広東国際信託投資公司(GITIC)という投資会社の破綻も起き(99年に清算に追い込まれました)、レッドチップ企業の新規上場や資金調達計画は相次いで延期されました。思った以上に尾を引き、低迷が続いたのです。

この年は、個人的にもグループでも仕込みの時期になりました。B株企業の中でも弱い企業は赤字になりましたが、優良企業の業績は横ばいか前年比を上回っていたので安心して買うことができたのです。グループの仲間も私も、もともと金持ちではありません。ですから少額ですが、全員でコツコツと買い続けました。

ふり返ってみれば、株価が下がったこの時期があったからこそ、少ない金額の投資で一億円にすることができたのだと思います。この時期こそが基礎だったのです。

インターネットで情報を得る

98年末、平岡証券の手数料などが、すでに取引している証券会社にくらべていちばん安かったので、取引を開始しました(その後、他の証券会社も手数料が下がって、現在では格差はほとんどありません)。                                       ‐’
平岡証券に口座を開設すると同時にパソコンを購入し、インターネットで情報を得るようにもなりました。毎日の株価を20~30分遅れで居ながらにしてチェックできるのがなによりの魅力でした。その他、中国に関する情報がほとんどリアルタイムで人手できるのもありかたいことでした。平岡証券のホームページは充実していて見ごたえがあります。

パソコンは毎日、午前9時から10時半の間に電源を人れます。この時間だと、前日のアメリカの市場の動きが反映された株価がチェックできるからです。簡単にいってしまえば、アメリカの株価が下がると、日本株も中国株も下がります。とくに香港市場でそれが顕著です。

ヤオハン・インター破綻で大失敗

1998年は私にとって残念な出来事がありました。私は、香港株式市場ヤオハン・インターナショナル・ホールディングスという企業に投資していたのですが、そこが倒産してしまったのです。 社長は和田一夫といい、一時は中国で企業展開して成功した人として有名になりました。97年に上海に行ったとき、すでにお話ししたように上海浦東区に開店した百貨店「NEXTAGE上海」をのぞいてみました。当時はアジア最大の百貨店として君臨しており、開店時には一日の来店客が100万人以上を数えたこともありました。

和田一夫は”ブラジル進出から中国進出まで海外に夢とロマンを追い続ける現代の山田長政”として英雄視されていました。2005年までに中国全土に1060店舗のスーパーマーケットを展開することになっていました。

急に事業を拡大したために倒産してしまう企業がよくありますが、ヤオハンも事業を急拡大したために資金が足りなくなり、焦げつきを出して倒産したのでした。

投資額は多くありませんでしたが、じつに残念なことでした。株券が微くずになってしまったわけですから、正直、痛い思いをしました。ですが、ここで私は多くのことを学んだような気がします。基本的に、危ない、または危なくなりそうな企業の株は買わないか、もし持っていたとしたら売却し、一から出直す、ということです。当たり前のようですが、これはじつはなかなか実行できない真理だと思います。このときも、この会社が危ないのではないか、という話は漏れ開いていたのですが、ついつい「まあ大丈夫だろう」と甘く考えてしまいました。

この頃になると、グループで投資を始めてから約2年がたち、株数も銘柄も増えていました。B株の決算期は12月末日で、公表は四月です。この時期に話題になるのは無償株と配当金のことです。98年に無償株がついた銘柄と無償率をあげてみましょう。

上海B株は、上海フレンドシップ3割、黒竜江電力5割、新亜集団3割、上海広電電子2割。深川B株では山東シンミン紙業4割、広東電力3割などとなっています。

三割無償は30%の株がダダでもらえるということです。黒竜江電力は5割ですから50%、つまり株数が1.5倍に増えることになります。株価が安くなっても、それは単に数字が小さくなっているだけの話です。株価は将来大きく上がれば、それでいいのです。無償で株数が増えているということは、資産を作るという目的に着実に近づいていることになります。

配当金も優良企業ほど多く出します。買い値の3~5%、あるいはそれ以上になるところも少なくありません。現在の日本の銀行預金では考えられない利回りです。98年の銘柄で見れば、国際旅行社、上海フレンドシップ、山東シンミン紙業、広東電力、方正香港などの企業がこれに当たります。低迷する株価を除いて(じつは下がっているほうが株数が買えるからいいのですが)、無償株分と配当金だけを見れば着実に前進しているのです。

私個人で持っている銘柄にも多くの無償株がついたのはいうまでもありません。

グループのメンバーには、無償株の力を肌で実感してもらった年でもあります。この年からは優良企業に関しては2回、3回と同じ銘柄を買い足して株数を増やしていきました。加えて他の銘柄も買ったので銘柄数も増えていきました。
 
98年の配当金は7万円でした。


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