サイコさんのブログ

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現況打破のヒント

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  士業(弁護士、会計士等)  現在 7位ふーん、パイオニアも薄型テレビ事業撤退で、1万人削減かー、やっぱ恐慌だ しかしサイコはまーだこんな地合いの相場にも係らず、市場から撤退出来ないのよねぇ~ しかしまぁ、書くことといえば、低迷したような同じ繰り返しばかりなので、こういうときはヒントを探すための一冊、に限るね。「文明論之概略」を読む丸山眞男は大の福澤諭吉ファンである。といっても壱万円札が好きというわけではない。現行の紙幣(正確には1984年発行の前のバージョン)になる前にこの読書会は始められているので、当時は発行されていないし。冗談はさておき、この書はある意味岩波文庫の担当者に嵌められた感から始められたのであるが、この読書会での講義というか解説の卓抜さを思うに、丸山という人柄は20世紀最大の知識人であることに間違いはない。しかも伝承と知が一つになっている稀有でもあるのだ。いかに丸山を批判する者の卑小さのみが透けて見えてしまうかのようだ。だから、例の赤木はよくもまぁひっぱたきたいなどと、書いてしまったことかと思ってしまう。丸山を熟読していなくても、赤木論文に対する批判にアホな反論をしたものだと、傍から見てて恥ずかしくなるような思いだ。要は丸山が概略で諭吉の「人間交際」という概念を解説するところで、生産的な議論とは何か、というのを解くところがある。諭吉は常に物事の表裏一体を見ていて、良い面、悪い面で言えば良い面を採用するというポジティブ思考なのであるが、それでも絶対悪として「怨望」だけは退ける。いわゆるルサンチマンである。丸山的な表現でいうところの御殿女中根性だ。「多事争論」ある中でいかに左翼が知識という高尚をもってのみで現実を迂回していたとしても、それをやっかみ半分で批判したとしてもなんの生産性もないのではないか。その権化をひっぱたいたところで、単に自己の溜飲を下げるのみで終わっているとしたならば、それこそ進歩のない話だ。この論で言うならば、まだ中島VS小林(先回のブログ)の論争のほうがある意味生産的であるように思ってきた。さて、文明論之概略を読むにあたって著者丸山が切に願ったことは、原典を必ず目の前に置いて読み進めることである。しかしながら、その原典を借りてきていないので、さてどうしようか、と思ってググッているとありました。文明論之概略のサイトを開けつつ、これと並行しながら読む作業を行うことが出来て、取敢えずの体裁は繕うことが出来た。しかしながら明治八年に、列強諸国の脅威と立ち向かう時代において、まず庶民の意識改革を推し進めよ、という啓蒙的なものとなることは当然ながら、単に西洋風を取り入れるということではなく、日本人のための日本人による国家統治のために文明の精神を取り入れよ、ということなのだ。「国体」なぞというと大東亜戦争の「万世一系」を思いがちなのであるが、皇家血統の存続や政治体制維持とは区別して、「一系万代」は容易きことであり、それより目下国体維持、日本人が日本人として日本国を治めることの難しきから掛かれ、ということなのだ。これは所謂傀儡としての溥儀と成るな、ということだ。満州国はあっても満州人が統治しているわけではないのであるから、そこに「国体」はない、ということなのである。この当時、諭吉というパイオニアが思考していたものを、再考してみることは現況の打破に繋がるヒントを与えてくれるような気がするのだが。グゥーーーー
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