堅実さんのブログ
ちゃんちきおけさ(6.10.18)10時26分
どういう訳か。ここ2.3日夜になると、この「ちゃんちきおけさ」が、浮かんでくる。
終戦後、東京に働きに出てきた若者が、仕事が終わって、うさばらしに、安い屋台で、おでんを食べながら、焼酎でも飲み、故郷を思い出しているのであろう。
戦後は、東京に出れば、働く場所は、それなりにあった。いや、これは江戸時代から、既にあった。「江戸でひと花、咲かせる」のごとく、人は江戸に出稼ぎにきた。そして、これは今でも続いている。東京、一極集中である。
これと共に、地方の人口は減少した。地方再生というが、これは、言ってるだけで、無理だろう。この流れは、行きつくところまで、続く。
東京で働き、2,3か月もすると、仕事にも慣れ、生活も落ち着いて、ほっとしたところであろう。しかし、故郷はどうなっているか、やはり、気がかりである。
慶応の速水先生の講義は、面白い。講義の途中で、生き抜きのために、慶応大学の歴史とか、東京の話をする。この速水先生は、江戸時代の江戸の人口を過去帳より算出した。そして、最盛期の江戸の人口は100万人だと出した。この人数は、パリの人口より多く、世界で一番の人口である。
その人、人が、今の東京23区よりさらに狭い土地に、住んでいたもんだから、其れこそ、日中は人で、ごった返し、大八車や人で、押すな押すなの道路状況だったのであろう。「火事と喧嘩は江戸の花」というが、道路では、毎日、ぶつかったの、どうのとの、いざこざが、絶えなかったのだろう。
後ほど、速水先生は勲1等の勲章をもらった。記念撮影の画像が、新聞に出ていた。こんな、優秀な先生に、教わったことは、運が良かったと思う。
人生は、短いので、やはりレベルの高い人に、いろいろ、教わるのが、良いと思う。しかし、その機会は、滅多に無いことである。
長くなるので、速水先生は、機会が有れば、書くことにします。
盆踊り チャンチキおけさ
https://www.youtube.com/watch?v=eR3gJS-lSy0
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村田英雄を、宿敵のように嫌っていましたw」
村田英雄を、宿敵のように嫌っていましたw
kouboudaisi さんへ
「後ほど、速水先生は勲1等の勲章をもらった。記念撮影の画像が、新聞
に出ていた。こんな、優秀な先生に、教わったことは、運が良かったと思う。
そうなのですか~!私の出た公立大学は国立大学より月謝・入学金が安いという事だけが取り柄のしょうもない学校でした。」
政治の世界での、勲章(勲1等)は、たいしたことはないのですが、
学術の世界で、勲章は、滅多に、もらえません。
その点、すごい人だなと、思っております。
この人の、研究の成果で、明治時代の日本の急速な工業化は、
江戸時代に、その素地があったことが、評価されたのです。
1 江戸では100万人の人口。
2 それを支えるには、飲み水(上水道)の確保。
3 商業の発達。それを支える、ソロバン。読み書き計算のレベルの高さ。
人的資源のレベルの高さがあった。寺子屋などがあり、識字率は5割をあが
ったという。これが西洋の考えの理解に役立った。これは世界でもトップだ
った。学力レベルのトップ。
4 食料を支える、交通網の整備があった。
動力はなかったものの、海での運搬手段、海運業が発達。
尤も、この頃は、世界でも動力を使う方法はゼロに、近かった。
5 東海道をはじめとする、江戸への5街道があった。道路網の整備。
6 全国の、穀物生産は、江戸へ(100万人の人口)荷車などを使って、運ば
れた。
こんな事が、明治になって、急速な工業化に、役だったのです。
これは、昭和になって、東南アジアを工業化するのに、忘れていたことです。
機械を設置しても、それを動かす能力が無く、失敗。
これは、現代でも通じます。
人的資源のレベルを高めることです。今の日本の経済の停滞、斜陽化は、この人的資源が世界から見て、劣っていることです。
どうも、社会が低レベルになっています。ハングリー精神が失われております。
それを認めるなら、こうするしかないのです。
生活レベルを落として、生活する。
当たり前のことを、言いました。
いつもお世話になっております。
>後ほど、速水先生は君等の勲章をもらった。記念撮影の画像が、新聞
に出ていた。こんな、優秀な先生に、教わったことは、運が良かったと思う。
そうなのですか~!私の出た公立大学は国立大学より月謝・入学金が安いという事だけが取り柄のしょうもない学校でした。